(ごく個人的な)Friends Again

 あの人にまた会いたいな、と心の中で温めている気持ちがあっても、再会できるのはごく稀だ。学生時代に少しだけ言葉を交わした、友達と呼ぶのもおこがましいくらいの相手ならなおのこと。90年代の初めにはSNSなんてものはなかったから。

 Twitterに書いた昔の話を読んで、ある方から反応があった。DMで会話して、その方が大学の同級生だと確認して顔がほころんだ。私が大学時代に「友達になってください」と声をかけた方だったのだ。
 積極的な学生時代だったとよく思われているが、自分が本当にいいなと思った方にしか声をかけなかったので、彼のことはよく覚えている。いつももう一人の男の子と一緒で、派手ではないけれどお洒落で、何よりもその二人組の仲の良さそうな雰囲気がよかった。私は小さなアドレス帳を持ち歩いていて、知り合いになったらよく連絡先を書いてもらっていた。図々しくも二人にもお願いして、しばらく保管していたけれど、それからあまりお喋りすることもないまま卒業してしまった。
 そのひとりで沖縄にルーツのあるKさんが、Twitterで気づいてくれた。思い出話が役に立つこともある。
 しばらくして上京の折に顔合わせができた。二十数年というブランクはあまり関係なく会話が弾む。最初は確か生協の売店で、雑誌のフリッパーズ ・ギターの記事を読んでいるときに話しかけてきましたよね、ときちんと記憶してくださっていた。SNSを通してお互いの音楽の趣味などを知るうちに、大学時代にもっと遊ぶ機会があればよかったねと話す。きっと楽しい時間を過ごせたはずだ。Kさんが私の好きなe.o.プラウエンの漫画『おとうさんとぼく』の原書をお土産に持ってきてくれたことも、優しい気づかいを感じて有り難かった。

 すっかり歳を重ねてお互いに住むところもまるで違い、やりとりはほぼメッセージのみ。けれど不思議と安心するのは、同じ時期に、同じキャンパスに通って空気を共有した同級生だからこそ。長い年月を経てお互い人生の様々な場面を経験し、再会できたのはきっといいタイミングだったのだろう。

 Twitterは時々、大きなキャンパスみたいだなと思う。直接会話をしなくても、その人が誰かとやり取りしている内容やリツイートなどで、好きなもの、関心ごと、たまには憤りを知ることがある。歳は違えど各々やってきた人生があって、流れてくる幾多の言葉の中から誰かの呟きに出会い、なんとなく好きだなという気持ちや共感が生まれる、それはとても素敵なことだ。

 たまにKさんのタイムラインをのぞいて、うんうんうんうん!とうなずきたくなることがある。大学時代みたいにはフットワーク軽くいかないけれど、いつか何かのライブででもご一緒できるといいなあ。ちょっとノーマン・ロックウェルのイラストに出てきそうな愛嬌のある表情をされるKさんを思い浮かべている。 

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