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「頑張る」の定義を ふと考えてみた。

*こちらは、cotree advent note に寄稿するものです。

先日、 #サイボウズ式第2編集部 の コラボ企画のキックオフ会に参加したのですが、その内容が #cotree_advent_note に ぴったりだったので それを深掘り出来たらと思い筆を取りました。

コンセプトは、"自分にとっての頑張りとは何か?

正直、『深い。』と思いながら、出席したメンバーの意見を聞いているうちに、果たして その答えが何なのか知りたくなったのです。自分なりの頑張りって一体何だったのか。"永遠のテーマ" と真剣に向き合ってみました。

*一番におススメする連載は、小杉湯の番頭 兼 イラストレータとして働いている 塩谷歩波さん の この記事 です。

若いうちは、とにかく意味も分からず頑張っていた。

20代の自分は、とにかく訳も分からず仕事に没頭していました。何が正解なのかも分からないまま。無我夢中です。一歩先にある答えなど知る由もありません。毎日をとにかく必死になって働いていました。目の前の実務をこなして先輩や上司に頭を下げることもままならない。それが社会人としてあるべき姿ではないことは百も承知です。

不平不満はどこ吹く風で、土日は 馬の背中に乗り山の中を駆け回ったり、時には海に潜りに行きました。週末は そんな気持ちを癒してくれるためだけの自己投資に費やしていたのを覚えています。

そこまでしないと、仕事もやっていられなかったんでしょう。それが本心ではないでしょうか。

終電まで仕事をこなしていた日々が、自分を気付かせてくれた。

僕自身、任せられた案件やタスクは、責任感丸出しで 全てにおいて抱え込んでしまう方でした。だからこそ、今思えば 回りを信頼して協力を仰がなかった自分に対して歯がゆい気持ちしかありません。人は ひとりでは何も出来ないから、パートナーが必要であり、互いに補完し合える仲間がいないと破綻してしまう。その対価に見合うフィードバックがないから、不満が爆発してしまう。

お前はプライドが高い。」と 上司に言われたことは、今でも 忘れない勲章です。社会人では、プライドこそ邪魔をして闇落ちし兼ねない手綱を握っているのです。30代も半ばに差し掛かったころ、僕は そのダークサイドに見事にハマってしまい、身体を壊す悲劇に見舞われました。

1日に仕事をこなすキャパは、8時間と決まっていて、それ以上はオーバーワーク=残業という 負の時間に突入です。今でこそ、終身雇用という魔力から解き放たれてフリーランスや、副業兼業がようやく認められつつある社会になってきたものの、まだまだ 同じ会社で 黙々と仕事をこなした人が 偉い風潮も見受けられます。

今は、プロジェクト単位で回す時代。決まった時間内で効率よく業務を捌いた人こそ持て囃される時代。身体を壊したら、その時点で未来へ紡ぐ夢も希望も無くなってしまいます。

頑張る行為そのものは、自分の居場所を見つけること

いつの間にか、周りを気にしている自分が居た気がします。市場価値というパワーワードは 時に 自分の首根っこ を掴んで離しません。自分のキャリアを ふと振り返った時、未来と照らし合わせてみると、人生の半分は仕事をしている訳で、その積み重ねが給与に跳ね返ってくる。スキルや経験、実績から ヒトとなりが分かり、その待遇に見合っているかジャッジするのです。

ただ、ある一定のラインにぶち当たった時、これ以上どうすることも出来ない自分がいたんです。(ああ、ここは求めていた領域ではないな。)期待値調整をしても 輝ける自分が そこに介在できないことを知ったんです。

年収を数千円アップするのも難しい資本主義の中で、どう 自分を誇示していけばいいのか?どうすれば 自分色に染められるのか?めちゃくちゃ考えて ここ数年過ごしてきたと思います。

そう考えているうちに辿り着いた答えがこれでした。

自分は 頑張る行為の先に 自分の居場所探しだなーと思ってます。1回 頑張る行為をして 自分を潰したんですが、、なんでかな?と振り返った時 周りに認めてもらいたいという衝動が起こした結果なんだなと...

自分が光り輝く場所を見つける。活躍できる居場所を探す。それが 頑張ることの本当の意味なんだと思います。

頑張らなくていいスタンスを身に付けることが大事。

頑張らない自分がいたっていい。そう思うようになってからは、身も心も清々しくなりました。上長から、時折「石川さん、頑張ってるのは知ってるから。」と言われるけれども、うーん、いや 仕事とは ぶっちゃけ そういうものだし、何か課題が見つかった場合の解消法や、タスクやマイルストーンの抜け漏れを最小限に抑えることが 自分自身の最高のパフォーマンス と思って疑いません。

普段 頑張ってる姿は 当たり前 であって、明日の自分は 頑張ってるとは限りません。ずっとアクセルを踏み続けると、車がガス欠するのと同じで、頑張るパワーに対して ブレーキを掛けることだって必要なんです。敢えて 頑張らずに 丸1日を過ごしてみるのも、今まで "見えない世界" が見えてきます。

人知れず 頑張り続けていると、いつの間にか堕落している自分がいます。只、それを防ぐためのフォローアップは絶対的に不可欠なもので、マネジメントを誰がするのか 議論することもあるでしょう。イライラが募って愚痴を零すこともあれば、缶ビールを3本開けて自棄酒する日もあったりします。


そんな時は、いつもこの言葉を思い出すのです。

Take it easy!!(落ち着こう。気楽にいこうぜ!)
Life goes on.(それでも人生は続いていく)

焦ったってしょうがない。生涯、生きていれば いつか チャンスは巡ってくる。ただ、やりたくないことは無理にする必要もない。得意なこと、好きなことで人生大逆転させればいい。頑張らなくても 次の未来に繋がるように。それを信じて人と人を紡いでいく。


ただ、それだけを信じて ここまで 無理せずやってきた自分を、少なからず一生懸命 褒めてあげても許されるだろうか。

頑張って失敗しても、やり直しが許される。そんな土壌づくりを目指そう。

このツイートは、頑張った人を応援し合える そんな場作りが必要との想いに満ち溢れています。失敗を恐れては何も始まらない。『失敗してダサい』という感情こそ不要で、その先にはネガティブな論争しか巻き起こりません。

僕は、ここまで「頑張るの定義」を探してきたけれど、結局 導き出された答えは、自分が活躍できる場所を探すことでした。

見つけたその先に何があると思いますか?その場所で失敗を恐れずに立ち向かえる勇気があるならば、受けて立ちたいと思う。万が一、その場所で何かあったとしても 周りの皆んなで互いに補完できるなら、それで良いと思う。

頑張って失敗しても、やり直しが許される社会。


僕にとっての最終的な GOAL は 多分そこなのかもしれない。ど偉いラスボスに、運にも味方されて レベルが低いうちに出会ってしまった勇者ご一行様みたいに、 やられたらやり返す倍返しがモットーの 半沢直樹みたいに、そうやって 力なく生き抜いていくうえでのバランスさ加減 が、茨の道を飛び越えていくうえで とてもスマートなことなのではないかというお話しでした。

明日からも 精一杯 生きていこう。努力を惜しまず、ただ 楽しさも忘れず。日の陽に足元を照らされるまで、僕たちが輝きを取り戻す為の種を捲こう。
きっと成果は現れるはずだ。分かっている人は必ず手を差し伸べるだろう。

僕は頑張った日々をずっと忘れることはないだろう。これからもこの先も。

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