大学の話

私は2ヶ月後、4年制大学を卒業する。多分。通った大学では多くの学びと、人と、自分の新たな一面に出会うことができた。
非常に恵まれた環境で学ぶことができたからこそ、遊びに4年間を費やしてしまう大学生がいるのは勿体無い、と思う(私の偏見かもしれないが)。

大前提として私も勉強は苦手だ。計算式を見ると頭痛がするし、化学のテストで赤点を取ったこともある。昔はたくさん本を読んだが国語の問題も苦手だった。
勉強する時間があったらゲームしたい。ポケモン図鑑埋めたいし映画だってたくさん見たい。

幸い英語の成績がよかったので英文学系の学部に進学した。というよりも英語だけは好きだったのだ。海の向こうにいる、文化も言葉も違う人が発信したことを理解できるのが嬉しかった。

必修に英語ネイティブの先生の授業がたくさん含まれており、大量に出される課題に必死に食らいついた。2年次はサークル活動も本格化して就活期に劣らないほどのしんどさで入学したのを後悔もしたが、今となっては私のかけがえのない財産だと思っている。

私もGPA的には周りと比べてかなり劣っているので、あまり偉そうなことは言えない。それでも「私は自分のために頑張れた」と思えるものがあるのは強いと思う。私は人のために頑張るのは得意でも、自分の為だけに頑張るのは苦手だと最近気づいた。だから「自分のために頑張れた」の実感があるということは、私はそれなりに努力していたのではないか?自惚れ過ぎかな。

学祭の運営に関わったのは本当に大きかったと思う。
「人のために頑張る」ということを自分の軸にできたのは、これのおかげだ。これがなければ私はいつまでたっても誰とも話せない、隠キャのまま卒業していただろう。ひとりぼっちになった高校時代から、変わる決断をしてよかったと心から思う。
あとインカレのサークル。
変人ばっかりだったけど、みんな頭が良くて(大学的には当たり前?)
何かを頑張っている人で、尊敬できるところがいくつもあった。一方私は中途半端に参加してしまっていたと思う。
後悔が色々と残ってるけど、入ってよかった。


と、ここまではゼミ論に苦しんでるはずの2020年1月までに書いてた日記
ここからは卒業したいま、4月に思うこと。多分そんなにスタンスは変わっていないが、本題から逸れてるので、筋を戻す。

勉強の話。
社会に出て役立つ内容を勉強していたわけではない。
ただ1つ目に学んだこととして、自分の能力が評価されることの喜びがある。

作文やレポートにいい評価がつくとやる気が出た。私の力で、各地で研鑽を積んできた先生たちを唸らせるものを生み出したいと思った。
どうしても私は先延ばしにする癖がある。それを直すことは残念ながらできなかった。だからいつもギリギリでレポートや論文を書いていた。
その中でも絶対に妥協したくなかった。なるべく抜け目のないものを書きたかった。意地でもネットの資料を使いたくなくて、2日間図書館に篭るのもザラ。それは視野狭くない?と今なら突っ込めるが。

とにかくそうしてできたものが評価されるのはすごく嬉しかった。好きな科目やゼミ論文だとさらに嬉しさは増した。
評価を楽しみに頑張った経験は、私の中ではとても大事なものだと思う。職場では評価が給料につながるわけなので、この経験は大事にしたい。


それから2つ目としては尊敬できる人に出会い、たくさんの知識を得る楽しみを知ったことだ。
自分が知らないことを面白おかしく教えてくれる先生や
高学歴で母親をやりながらゼミや授業を受け持ってるスーパーウーマンにも出会って
教えてもらったことを全て覚えているわけではないものの、新しい物事や世界を知るということが自分の興味をどんどん刺激し、同時に自分の価値が高められたという実感を生み出すことを知った。

人間が言葉を学ぶ過程、フェミニズムがどうあるべきか、ヴィクトリア朝のイギリス人の栄華と労働者の苦難、イギリス人バカだなーって思うような歴史上のエピソード、地主のイキリ具合、古英語の読み方や英語の成り立ち...

これらのことは、就職先では全く必要ない。おそらくこれから先も使うことはほぼないだろう。でもたまに思い出してはクスッと笑えたり、勉強の楽しさを思い出して新しいことに挑戦するきっかけをくれるかもしれない。


勉強は生涯続く。世界中のことを知り尽くすまで終わらない。
4年間で学んだ以上の2つ(他にもたくさんある気がするが)の勉強に対するポジティブな姿勢を忘れずにいられたらと思う。
散らかった文章だなあ。浮かんだことをすぐ書く癖をまずは直そう。


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