「達成感」は人生に必要なのか。
先日、ヨセミテ国立公園に行ってまいりました。
おめあては、春先から初夏(5月-6月)限定で現れる、雪解け水の滝。
北米で一番の高低差を誇るヨセミテの滝は、下から眺めても圧巻なのですが、この雪解けの期間、滝の水しぶきをミストのように浴びながら歩き、頂上で滝を上から眺めることができるという人気のハイクがあると聞き、、、
頭の先から足元まで全て前日調達で(!)、ほぼノリだけで行ってきました。
雪解け水の滝を上から眺めるというハイクは、「山歩きに慣れた人でも、6時間以上はかかる」中級レベルとのことでしたが、体力には自信があったのでさほど心配はしていませんでした。
でもまぁ、
あの、、、
歩き始めて20分後には気がついたよね。
「体力に自信があった」って、、、
何年前の話やねーーーん!!!ってことにさ。
アメリカでトレイルしてみたい人へ
ここでイキナリですが、「アメリカで中級レベルのハイクに挑戦してみたい!」というビギナーハイカーに、僭越ながら少しだけアドバイスを。
歩幅が違う。
悲しいことですが、アメリカのトレイルは長身足長ローカルの人たちに向けて設計されております。石畳や階段はもちろん、獣道に自然にできたフットパスのようなものも、私のようなチビには特に(!)全く歩幅が合いません。この歩幅に合わせようとする「ぴょんぴょん歩き」は、6時間続くとさすがにキツイ。もう、最初の一歩目からステップは気にせず、自分の歩幅に自信を持って踏み出すことをおすすめします。ハイクに必要なのは勇気あるはじめの一歩だ!(ちょっと違う)自己責任感ハンパない。
「全て自己責任」の国民性はトレイルにも表れております。充分なお水を持っているか、靴や服は状況の変わる長時間のトレイルに耐えうるものかなど、全て自分の責任です。入念な準備をしていても、足元ビーチサンダルのハイカーに追い抜かれて度肝を抜かれたりしますが、それもアメリカ。自分を信じて、自分の身は自分で守りましょう。周りに振り回されるな!すれ違う先輩たちの「Almost!」は信じるべからず。
頂上まで半分を過ぎると、既に頂上を経験して下山する先輩たちとすれ違うことも多いでしょう。頂上に近づくにつれ、必ずと言っていいほど、皆さん最高の笑顔で「もうすぐそこだよ!」「がんばって!もうほとんどゴールだよ」と声をかけて来ます。決してその笑顔に騙されてはいけません。みんなもう「応援したがり」なだけなので、決して「もうすぐ」なんかではないのです。周りに振り回されるな!(2回目)
Hikeとハイキングは別物です。
ちなみになぜ私がこんなに今回のハイクをなめていたかと言いますと、、、
友人とヨセミテの話をしていたら「ヨセミテのnature walkが一番好き!」と話している子がいたのです。
この「nature walk」という軽い響きが、なんとなく「楽勝」という印象につながってしまったのです。
このとき彼女が「trekking」とか、「trail hike」とかもうちょい激しい感じを連想させる単語を使ってくれていたら、別のものを想像してのぞんでいたかもしれません。
とにかく、「nature walk」ですっかり「ハイキング with おにぎり」の頭になってしまった私は、、、
完全に甘かったです。
あれは、ネイチャーウォークでもハイキングでもなく、、、、
完全に登山でした。
ちょっと気になったので調べてみましたところ、ハイキングとトレッキング、そしてネイチャーウォークの違いはこんな感じ。
「ヨセミテの滝は、間違いなく登山だった!」と、これから挑戦される方に、私は声を大にして伝えたいです(笑)。
そもそも英語の「hike」と、日本語の「ハイキング」の意味合いが違う気がします。
だって、私にとって日本語の「ハイキング」って、、、
おにぎりのイメージしかないですもの(泣)。
達成感は買えるのか。
さて私は、今回の旅で7時間ほどトレイルを歩き、滝を上から眺めてみて、なんとも言えない気持ちの良い達成感を味わうことができました。
私は「達成感」を、日常生活にときどき必要なスパイスのようなものだと捉えています。
子どもの頃は、学校に行けば運動会や文化祭みたいな行事があったり、期末テストがあったりして、日常生活に、適度に用意された達成感を味わえるスパイスがありました。
大人になって仕事をしていても、もちろんプレゼンや決算やいろいろポイントはあるのだけれど、なんだか私にとって今回のトレイルは学校行事に少し似ている気がしました。
非日常的でワクワクするけれど、途中めんどくさいところもあって、でも終わると達成感を感じられるところが少しだけ。
今回は、「滝を上から眺めてみたい!」という気持ちで登り始めたはずですが、登頂して下山して、心に残っているのは頂上からの景色以上に、頂上までと下山する道のりでした。
頂上でももちろん達成感を感じたけれど、下山して下から滝を眺めてみて、また改めて気持ちの良い達成感が湧いてきました。登る前に見た滝とはまた違った印象を受け、頂上で感じたより「浸れる」感覚でした。
さて、下山してから「登山っていいな」と、気持ちの良い達成感に浸っていたとき、小学生だった頃に受けた「お金で買えないもの」についての道徳の授業を思い出しました。
小学3年生か4年生くらいだったので、教室では、
先生「世の中にお金で買えないものはありますか?」
男子生徒A「飛行機!」
先生「飛行機はお金で買えます」
男子生徒B 「山!!」
先生「山もお金で買えます」
みたいなやりとりが繰り広げられていました。
そこで突然指された当時超優等生の私は、
「親が教えてくれること」
と、答えたかったけれど、なぜか先生に気を遣ってしまい(!)、
とっさに
「親や先生が教えてくれること」
と、律儀に先生を加えて答えてしまいました。
そのときの!!!
山倉先生のあの!!!!(実名出すなよ!)
「先生は、お金をもらってあなたたちを教えています」
と食い気味で返答されたシュールすぎる目を、今でも忘れることができません。
だいぶ話がそれましたが、「学校行事みたいだなー」と思ったときにこのときのことを思い出し、先生が伝えたかった「お金で買えないもの」は達成感だったのかなぁと思ったわけです。
「お金だけでは買えない」が、正しいのだけれど、頂上にお金出して連れて行ってもらって滝を上から眺めても、今感じている「気持ちの良い達成感」は味わえないもんね。
てなことを、ヨセミテの滝を見ながら考えたのでありました。
私はやっぱり、人生にときどき「気持ちの良い達成感」が欲しいです。そして娘にも、そんな気持ちを感じながら育って欲しい。
毎日登山は、しなくて大丈夫ですけどね。