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フジファブリック 「赤黄色の金木犀」

大学在学中、嗅いだことのない花の匂いがした。

秋を感じるのはどんなときだろうか。

私の場合だとスマホのsafariに秋の季語が並んでいるサイトを留めておき、何かを調べようとしたときにその季語が垣間見える時だろう。

「秋澄む」「秋風」「花野」「若煙草」こんなものがちらつくだけで、いつか見た山梨の秋景色が広がる。季語だけで頭の中を旅行することができるのは、これまでどれだけ良い体験を出来て来たかわかる瞬間でもある。


そんな季節の言葉の中でも最も一般的な秋の季語といえば「金木犀」だろう。

ちなみに北海道に金木犀はない。だから初めて嗅いだ時はこんなにも美しく清涼な香りがあるのかと驚いたものだ。

幸い、私の通っていた大学は自然が豊かで、学内にも通学路にもふんだんに金木犀が咲いており、秋の訪れは誰よりも早く濃く知ることができた。


ちなみに秋の曲というものをちゃんとした香りで、風景で楽しむことができるようになったのも上京してからだ。


もしも過ぎ去りしあなたに全て伝えられるのならば それは叶えられないとしても心の中準備をしていた

フジファブリック 「赤黄色の金木犀」、この曲を知ったのも上京してからだ。


秋は過ぎるのが早い、あっという間に寒くなるし、この間出したばっかりの秋服も気付いたら防寒としては頼りないものになってしまった。

この曲はそんな一瞬の季節を描いているためか、疾走するようにあっという間に過ぎ去っていく。


今年の秋も早い。秋晴れが続いていたと思ったらすぐに台風が来て、街にコートやダウンなんかを引っ張り出させた。

きっとこのまま、夜に散歩をしていたら息は白くなるだろうし、「もう年末か」なんてため息が出てしまう。いつもの長く寒い冬がすぐ目の前にまで来ているのだ。

というのも、私の地元には秋なんてものがなかった。夏はずっと冷夏だし、8月末に2、3日ほど秋っぽい気温が続いたと思えば、すぐに朝の道路に霜が降り始める。だから秋なんて感じる暇がなかったし、もっと言えば季節感なんてものは感じようがなかった。

そんな私がこれだけ季節に思いを馳せられるようになったのは上京、ないしは山梨への旅行のおかげだ。


山梨は季節が顕著だ。春には様々な花が咲き、夏はたくましく青々とした樹木が育つ。秋になればそれらが色を変え枯れ、冬には雪が積もる。それに伴って気温もよく変わり、会うたびに違う顔を見せてくれる奥ゆかしく素敵な人だ、夢中にもなる。

おかげで、脳裏にこびりついた景色は山梨県の山景色ばかりになった。(海については地元で死ぬほど見たし、その海はずっと荒れていてとてもじゃないがいい景色とは言えなかった)


この曲を聞いて浮かぶのもまた、脳裏に焼きついた山景色だ。

作詞作曲をした志村さんは情景と絡めて何気ない動きを書くのが上手い。フジファブリックが大好きだし、知ったときにはもう亡くなってしまっていたことにやるせなくなった。


赤黄色の金木犀の香りがしてたまらなくなって 何故か無駄に胸が騒いでしまう帰り道

これだけ疾走感がある中、語り手は歩くスピードを上げているだけだ。走り出しているわけでも息を切らしているわけでもない。ただ帰り道を歩いているのだ。

理由もなく涙が流れるひどく酔っ払った夜や精神は穏やかであるのに鼓動だけはやけに早いみたいな瞬間は誰にだって起こる現象だろう。端から見たらわからない感情の動きというのが生活の中には確かにある。

実際、体より心が走って先に行ってしまうような感覚は多い。こんな日は決まって俯瞰で見た自分は落ち着いていて冷静だ。


私の場合、帰り道のトイレだ。最寄駅から我が家までの距離は10分もない。別に駅のトイレを借りたっていいけど、どうせ歩けばすぐ着くんだしせっかくなら綺麗で居心地のいいトイレがいいに決まっていると改札を出る。そんなときに限って3分ほど歩いたところで急な尿意に襲われて、やっぱり駅で済ませておけばよかったと後悔する。

走るか....いや走ると逆に危ないか。しかも何か自分の計画性のなさで家までガチダッシュをするのはあまりにもダサい。私の鼓動は急ぐ。しかし身体はごく自然に、しかし少しだけ早く歩いている。

他人からすれば私の身に起こっているこの生き急ぐ様は皆目見当もつかないだろう。

こんなことが帰り道には溢れている。普通に歩いている対向者の青年も、もしかしたら私と同じ曲を聞いているかもしれないし、さっきすれ違って行った主婦さんは涙を流していたかもしれない。私がトイレを我慢しているのと同じようにみんなそれぞれ今日あったことを抱えながら同じスピードで、たまに急いだり、寄り道したりしているのだ。



今日私が家まで帰る道で出会った人で、この台風で吹き落とされた金木犀の花びらを憂いた人間はどのくらいいたのだろうか。

もしかしたら誰もいないかもしれないし、みんなそうかもしれない。

地面にこぼした絵具のようなその赤黄色は、近くで見るとちゃんと金木犀だった。

私はたぶん今年最後になるであろう金木犀を見た。

帰り道で。

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