日航機墜落事故
1985年8月12日18時25分
羽田空港をたった
日本航空123便は
その行方を絶つ
乗客乗員524名
高校生だった
ワタシは
一晩中テレビに
かじりついていた
群馬県御巣鷹山で
焼けた機体が
発見されたのは
翌13日である
なぜ
あんな
大きな機体発見が
ひと晩かかったのか
あまたの
被害者をだした
JAL123便墜落事故
その半年後
幼なじみKちゃんの
お父さんが
自らの命を絶つ
Kちゃんのお父さんは
JAL123便整備の
責任者だったのだ
第1発見者は
Kちゃんだった
本当に整備の
不備だけなのか
ほかに理由は
あるのか
あれから37年
500人以上もの
命を奪いながらも
日本航空も
政府も
正確な回答を
示してくれない
当時の
被害にあわれた方も
日本航空社員も
報道関係者も
政府関係者も
年を重ね
引退したり
泉下の人になり
記憶自体が
風化されてゆく
本当のことが
解明されないまま
何もなかったことになってしまうのか
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#中曽根康弘
#真相は墓場まで持っていく
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