川端康成没後50年

「川端は一人で生き、一人で去っていきました。」

昨日から今日にまたぐ頃、幼なじみと久しぶりに会話。彼女は鎌倉出身だ。
現在の在所から久しぶりに鎌倉へと帰ると人で溢れかえっている。

「なんでだろう?」

彼女にはテレビを見る習慣がない。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を知らなかったのだ。驚いた。

とにかく鎌倉での子ども時代を懐かしんでいた。
川端のお孫さんと小学校で机を並べていたという。

楽しく会話が終わる。

続いて見つけたのが、この記事だ。偶然てあるんだ。興味本位で川端康成wikiを覗く。

大阪の茨木市から出たことは知っていた。
なので終の棲家を鎌倉に選んだことをふしぎに感じてはいた。文士様だからかなと納得していた。

違った。実は川端家は鎌倉幕府の執権北条義時の子孫であった。

わが身の孤独を嘆いていた目と耳の大きい少年は、ゆかりの地を終の棲家に定めたのだ。

「川端は一人で生き、一人で去っていきました。」

逗子で最期を遂げた際、晩年に親しんでいた宣教師が語った言葉だ。

いや違う。一人で生き、家族のもとへ帰っていったに違いない。そうあって欲しい。

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