木村夏樹を感動ポルノに貶めたシンデレラガールズ7thLIVE大阪公演「Glowing Rock!」
長々と書いていますが、この記事で訴えたいことは以下に集約されます。
大阪公演に感動したという方々の、その感動したという事実を否定しません、しかし、その感動は木村夏樹の人格をないがしろにすることで、成立しているのも事実ということ。
そして、これからはもう
木村夏樹の人格を否定するような真似はしないでください。
木村夏樹が大事にしているものを、これまでの歩みを大事にしてください。
ただそれだけです。
◆感動ポルノとは何か
感動ポルノについて、上記のサイトではこのように説明されているが
近年ではより広範囲に、感動ポルノという言葉は、災害の被災者や、緊急時の医療従事者など非日常にある人々を、過度に同情したり英雄視する風潮に対しても論じられる。
おおよそ現在で言われる感動ポルノの意味合いは
当事者の人格を理解せずに、第三者が感動して気持ちよくなるための都合のいいモノとして扱うこと
というものだろうか。
感動ポルノという言葉自体は、何年も前から知っていたが、その意味について自分は本当に理解していなかった。当事者ならずとも、当事者に関わる立場にならないと、こういう言葉の意味は本当には理解できないようだ。
自分はシンデレラガールズ7thLIVE大阪公演「Glowing Rock!」で感動ポルノの意味を理解した。
シンデレラガールズ7thLIVE大阪公演「Glowing Rock!」における木村夏樹の扱いがまさに感動ポルノでした。
大阪公演で木村夏樹はこれまでの道のりを、大事にしてきたものを
人格を貶めて陵辱され尽くす残酷ショーに祀り上げられました。
◆7thLIVE大阪公演「Glowing Rock!」について
デレマス7thライヴは、各公演ごとに音楽的なテーマを掲げており
大阪公演ではロックがテーマの「Glowing Rock!」というタイトルを掲げています。
このコンセプトが発表された時、木村夏樹を担当するプロデューサーたちから期待の声が上がりました。木村夏樹はロックを愛してギターを弾くリーゼントをキメた、デレマスのアイドルの中でロックといえば欠かすことのできない存在であり、大阪公演「Glowing Rock!」にも木村夏樹の声優である安野希世乃がきっと出演するだろうと確実視されていました。
しかし後日、出演者が発表されるとその中に安野希世乃が居らず、木村夏樹がいないロック公演だとわかると担当Pたちは意気消沈しました。
それでもなお、ロック公演と名乗っているからには木村夏樹に関わる演出があるかもしれない、もしかしたら特別出演で安野希世乃がいるかもしれない。
さらにはライヴに生バンドが出演する。それも木村夏樹の楽曲やアニメにおいてギター演奏を担当していたIMAJOも出演するとなれば
木村夏樹Pの中に密かな期待が生まれるのも無理からぬ事でした。
そして迎えた2020年2月15日、16日。大阪公演「Glowing Rock!」は開幕しました。
木村夏樹に関する扱いはどうだったか。
木村夏樹が不在にも関わらず、木村夏樹のソロ曲である「Rockin' Emotion」が多田李衣菜、前川みく、安部菜々、向井拓海、藤本里奈によってユニット曲として歌われました。
多田李衣菜、前川みくがアスタリスクとして「0ω0ver!! -Heart Beat Version-」を歌い、さらに多田李衣菜のソロ曲である「Twilight Sky」を
アスタリスクとして歌い、それらのギター演奏をIMAJOが担当した。
この事実をどう解釈するでしょうか。
好意的に解釈する人もいることは理解しています。
ですが、ですが木村夏樹が何を大事にして、どんな道のりを歩んできたのか木村夏樹の人となりを知る人からすると、どうあっても受け入れがたいことばかりでした。
◆ソロ曲をユニット曲として歌うことについて
そもそもの話、デレマスにおいて持ち歌というのは特別な意味を持ちます。たとえユニット曲であってもオリメン以外が歌うとヒリつくのがプロデューサー界隈です。
ましてやソロ曲の持ち歌ともなれば、そのアイドルの象徴ともなり、そのアイドルにとっても担当プロデューサーにとっても、何より大事な宝物となります。
そんなソロ曲をユニット曲として歌うこと自体が、都合のいい適当な曲として扱っているようで、木村夏樹Pにとって受け入れがたいことは理解していただきたい。
特定のアイドルには持ち歌が偏重する一方で、何年も持ち歌がもらえない、ソロ曲なんて望むべくもないアイドルが数多くいるデレマスの現状を思えば、なおのこと楽曲の扱いには気をつけるべきものがあります。
◆ロキエモを歌ったメンバー、その受け止め方について
ロキエモを歌ったメンバーについて、好意的に受け止めている人がいることは理解しています。
いわく木村夏樹と仲良しのメンバー、いわく「木村夏樹の女」たち。
いずれも木村夏樹と関係性の深いアイドルが歌ったという理解のようですが、果たしてその理解はどのようなものでしょうか。あのメンバーと木村夏樹の関係性はいかなるものでしょうか。
公演後のTwitterでロキエモに関するツイートを検索してみると
多田李衣菜、前川みく、安部菜々を指してアスタリスクwithなつなな
向井拓海、藤本里奈を指して、炎陣として語っているツイートが多いようです。
ロキエモ 炎陣
ロキエモ アスタリスク リンク先は公演日の検索結果です。
ロキエモを歌ったメンバーは、木村夏樹がユニットを組んだ
アスタリスクwithなつなな、そして炎陣という繋がりだと理解しているのが大方のようです。
なるほどなぁ、ふざけるなと言いたい。向井拓海と藤本里奈と言えばまずノーティギャルズ。そして、そこに木村夏樹も関係するなら、マッシブライダースというユニットがある。
ロキエモ マッシブライダース リンク先が公演日の検索結果です。
検索しても、その名前が全然上がってこない。なぜか?
木村夏樹の関係性がどうとか言ってるプロデューサーのほとんどが
木村夏樹のユニット関係すらまともに把握していないからだ。
この事実だけでも、あのロキエモを喜んでいたのは木村夏樹をろくに知らない人々ばかりだったと言ってもいいでしょう。
木村夏樹をろくに知らない人たちが、気持ちよくなるために、感動するために、木村夏樹が大事にしているものが都合のいいモノとして扱われたと言ってもいいでしょう。
そもそも本当に炎陣繋がりというのなら松永涼と大和亜季が抜けていることに疑問を持つはずなんですが、そこまで頭が回らないようです。
◆木村夏樹を否定することで成り立つアスタリスクwithなつなな
そしてロキエモを歌った残りのメンバーを指して、アスタリスクwithなつなな。
さらに木村夏樹のギター担当のIMAJOが演奏して、アスタリスクが「0ω0ver!! -Heart Beat Version-」「Twilight Sky」を歌ったことについて。
アスタリスクwithなつななと木村夏樹の繋がりを感じたと受け止めた人もいるようです。
その理解は全く間違っていません、事実です。
そして、同様に木村夏樹の大事にしているものを、道のりを、人格を否定することでアスタリスクwithなつななが成り立っているのも、また事実です。
そもそもの話をしましょうか
アスタリスクwithなつななは、アニメのシンデレラガールズに由来します。
デレアニは独自の世界観で制作されており、原点であるモバマスとはアイドルたちのキャラクター性が全く異なっています。
その最たるものが多田李衣菜です。
多田李衣菜は木村夏樹と同様にロックを愛するアイドルであり、木村夏樹と長年ロック・ザ・ビートというユニットを組んでおり、だりなつと言えばデレマスを代表するコンビでした。デレアニが放送されるまでは。
デレアニの多田李衣菜は、どうしたわけか原点の純粋さを失って、狭量な性格となり、ロックにこだわっては前川みくと喧嘩するというキャラになってしまいました。それがアスタリスクというユニットを組んでぶつかり合いながらも自分らしくあろうとしました。
そこまでは、百歩譲ってまだいいでしょう、問題はそれから。
多田李衣菜は木村夏樹と出会い、改めて自分のロックについて考えるようになり、アスタリスクのユニット活動でひと悶着あった結果、多田李衣菜は「アスタリスクが私にとってのロック」「ぶつかり合うことがロック」だと考えるようになった。
お分かりでしょうか、これは言うなれば
アスタリスクのようにぶつかり合うことがなければ
多田李衣菜にとってロックではないということです。
木村夏樹と多田李衣菜の関係性は、お互いに認め合い、高め合う関係性です。
デレアニの、アスタリスクの多田李衣菜は木村夏樹との関係性を否定した。
アスタリスクは木村夏樹と多田李衣菜の関係性の否定なくして成り立たないのです。
そのアスタリスクに、木村夏樹は安部菜々とともにユニットの発展形として組み込まれて、アスタリスクwithなつななとなりました。
これだけでもアスタリスクwithなつななという存在が木村夏樹の大事にしてきたものを否定していることがお分かりでしょうが。まだあるのです。
アスタリスクwithなつななの結成については、アニメ本編で描かれることなく、ボイスドラマのNO MAKEで描かれています。
このボイスドラマが酷い代物でして、なぜか木村夏樹が武内Pに向かって「なつきちと呼んでくれ」と言ったかと思えば、安部菜々が木村夏樹を「なつきちさん」と呼んでいるのです。
デレマスの世界で木村夏樹をなつきちと呼ぶのは、多田李衣菜だけ。
木村夏樹と多田李衣菜は「だりー」「なつきち」とお互いを特別な愛称で呼び会う関係。
そんな基本的な関係性すらNO MAKEでは失念ししているのです。
さらには木村夏樹と安部菜々が、突然どうしたわけか狭量な性格となりアスタリスクよろしく喧嘩を始めるという酷いキャラ改変があるのです。
これがアスタリスクwithなつななの結成の根底に関わっているのです。
アスタリスクwithなつななは
原理的に木村夏樹の道のりを、大事にしているものを
人格を否定することで成り立っているユニットなのです。
そのアスタリスクのためにIMAJOが木村夏樹としてギターを演奏したのが大阪公演でした。
まるでアニメ本編の
アスタリスクのために木村夏樹が否定された話の再現のようで
アスタリスクと木村夏樹の関係性を理解しているのなら
とうてい受け入れられないものでした。
おそらく大阪公演の演出を担当した人は、木村夏樹をアニメでしか知らないのでしょう。
大阪公演で木村夏樹は
木村夏樹を否定するアスタリスクwithなつななのために
都合のいいモノとして扱われました。
木村夏樹というアイドルがそこにはいませんでした。
アスタリスクwithなつななを持ち上げる、アスタリスクwithなつななが好きな人を気持ちよくさせる、都合のいい道具にされた木村夏樹がいました。
◆木村夏樹不在のロック公演について
そもそも論になりますが
ロックがテーマの公演で木村夏樹が出演しないこと自体に受け入れがたいものがある。
それが木村夏樹の担当Pの正直な気持ちでしょう。
出演できなかったアイドルは他にも大勢いる贅沢を言うな
木村夏樹を演じる安野希世乃が、同日にメインキャストだったプリキュアのイベントに出演するんだから仕方ないだろうが
そういう声もあるでしょう。
しかしプロデューサーにとって、担当アイドルは世界で一番のシンデレラ。
どんな理由であれ、担当アイドルが大事にしているテーマで、ここ一番という時に外されてることを仕方なかったですまして、どうしてプロデューサーを名乗れようか。
それでもなお、木村夏樹が不在のロック公演をやらねばならぬとしても
下手に木村夏樹に関係した演出をして、結果的に木村夏樹を貶めることは避けられたはずです。
間違いなく、大阪公演の演出は木村夏樹に対する善意や敬意で行われたことでしょう。しかしながら、善意や敬意で行ったことが必ずしも良い結果を生むわけではないのです。
「リスペクトってのはさぁ…敬意を持たないといけないよな!」とは木村夏樹のセリフの一つですが、この当たり前のことができていないのが大阪公演ではなかったでしょうか。
敬意とは単なる気持ちの問題ではない。
敬意とは対象となる存在が何を大事にして、どんな道のりを歩んできたのか理解する必要がある。
ただ気持ちだけでリスペクトしてるとは言えない。
本当に木村夏樹をリスペクトして、敬意を持って、木村夏樹が何を大事にして、どんな道のりを歩んできたのかを理解していれば、決して大阪公演であのような演出にはならなかったはずなのです。
◆それでもエモい。ということについて
ここまでズラズラと書いてきましたが、反論したい人もいることでしょう。
きっとこういうことを思ってるはずでしょう。
「ごちゃごちゃ理屈を並べてんじゃねえよ、そんなことよりエモかっただろうが」
そういう反論、こういう感想を抱いた人もいるでしょう。
しかしそれこそが木村夏樹を感動ポルノに貶めた何よりの証拠だ。
ここまで事実を元にして論理的に、構造的にいかに大阪公演が木村夏樹を貶めるものだったのかを解説しながらも、聞く耳を持たない。
アイドルが大事しているものよりも
自分が気持ちよくエモかったかどうかを優先する。
これを感動ポルノと呼ばずしてなんと呼ぶのか。
それでも、私はあなたがたの感動を否定しません。
あなた方が感動したという事実は確かなものであり
あなた方の感動は他の誰にも否定できないものです。
しかしながら、あなた方の感動は、木村夏樹を貶めることで成り立つこともまた事実なのです。
そしてまた、こういう反論もあるでしょう。
「ロックがテーマの公演だから木村夏樹に触れないわけにはいかないんじゃないか?」
一理あります。それでも木村夏樹の人格を理解して尊重することが必要でしょう。おそらくは、ほんの少し演出が違っていれば変わっていたはずです。
ロキエモをユニット曲ではなく、ソロ曲として本当に関係性の深いアイドルに歌わせる。
IMAJOが木村夏樹のギター演奏として、木村夏樹が大事にしてきたものを否定せずに、よく吟味した演奏をする。
他にも方法はあったはずです。なかったとは言わせません。
煎じ詰めて考えてみれば、大阪公演の演出は疑問符がつくものばかりでした。
ロックがテーマの公演でありながら、木村夏樹と同様にロックを愛する松永涼が持ち歌「One Life」を披露しない。せっかく炎が吹き出す舞台装置がありながら向井拓海は「炎の華」を歌えずじまい。
彼女たちにしてみれば、不満が残る公演ではなかったでしょうか。
アイドルが大事にしてきたものを大事にせずに、やりたいことがやれずに、公演の演出を優先したのが大阪公演ではなかったでしょうか。
アイドルのための公演ではない、公演のためにアイドルをモノ扱いしている。
それが7thLIVE大阪公演「Glowing Rock!」ではなかったでしょうか。
思えば、音楽をコンセプトにする公演それ自体が、アイドルを音楽のための楽器扱い、都合のいいモノ扱いする原理をはらんでいるのではないでしょうか。
一人のPとして今後の公演のあり方に不安を覚えます。
そして最後に、こんな反論もあることでしょう。
「そもそも二次元キャラなんだから、ただのモノ扱いしても構わないじゃないか?」
アイドルを一人の人間として尊重せずして何がプロデューサーか!!
終わり!以上!