ピンクスパイダー/木村夏樹の覚え書き/2023.09

木村夏樹に関する覚書を毎月書いて2年ほどになる。自分がアイドルマスターシンデレラガールズというコンテンツと木村夏樹という存在を理解するために向き合うために書いてきた。だから、誰に読まさせるよりも自分のために思ったことをメモ書きをする意味で覚え書きとしてきた。

だが2023年9月は覚え書きしようも、全く捗らない。あまりにも木村夏樹に関する供給量が多く、また思うことが多すぎて考えがまとまらず、どうしようもない。

原点に立ち返り本当にメモ書きのつもりで思うまま書き連ねてみる。

今の木村夏樹と、安野希世乃さんだからこそ、愛を叫ぶことが出来た。

・木村夏樹が愛とロックが詰まったデレステ8周年記念曲『無限L∞PだLOVE♡』を歌った。

・デレステ8周年記念ライブ『Shout out Live!!!』に、木村夏樹として出演した安野希世乃さんが座長を務めて、公演のテーマそのままに愛を叫んだ。

今月はこの2つのトピックがあまりにも大きく自分の中で呑み込めずにいる。そして言葉にしようにも、どれほど言葉を尽くしても足りない。だから楽曲やライブのありきたりな感想は置いといて、自分だからこそ見えたものや考えたものを記したい。

そもそも自分は先月まで木村夏樹が8周年曲を歌う可能性は限りなく低いと考えており、また『SoL』に関しても、事前情報から公演と8周年曲のコンセプトがロックだと予想してた。その前提で考えれば、同じくロックがコンセプトの7th大阪公演のように『SoL』も木村夏樹を都合のいいモノ扱いするだろう、木村夏樹が何より大切にしているロックという価値観や、ロック・ザ・ビートのユニット関係や多田李衣菜についても、ろくでもない扱いをするだろうと予想して、今月は地獄を見ることになると覚悟していた。

つまりは、最悪中の最悪として想定していた展開はこうだった。

①8周年曲を多田李衣菜が歌うが、木村夏樹は歌わない
②『SoL』に木村夏樹は出演するが、多田李衣菜は出演しない
③8周年曲と『SoL』のコンセプトがロック
④多田李衣菜が出演しない『SoL』で木村夏樹は8周年曲を多田李衣菜の代役として歌う
⑤木村夏樹はロックがコンセプトの『SoL』で多田李衣菜の代役として全力を尽くすが、当の多田李衣菜は同時期に呑気にコラボ企画の宣伝をしており、SoLも木村夏樹もロックさえもどうでもいい形になる。
⑥結果としては、木村夏樹は多田李衣菜の代役で都合のいいモノ扱いで、当の多田李衣菜も木村夏樹との関係性どころかロックという価値観さえもどうでもよくなる。木村夏樹とロック・ザ・ビートのこれまでの歩みがまた否定される。

この想定が覆された。

①8周年曲『無限L∞PだLOVE♡』を木村夏樹と多田李衣菜がともに歌う
②『SoL』に木村夏樹は出演するが、多田李衣菜は出演しない。
③8周年曲『無限L∞PだLOVE♡』と『SoL』のコンセプトが、「好き」や「愛」の気持ち“LOVE”、その気持ちを伝えるために叫ぶ“Shout”
④多田李衣菜が出演しない『SoL』で木村夏樹は多田李衣菜の代役ではない、むしろ木村夏樹にしか務まらないライブの座長を務めた。
⑤木村夏樹は多田李衣菜が出演しないライブでも、多田李衣菜を相棒と呼び、さらには愛がコンセプトの公演のトリに、「好き」という気持ちが込められた多田李衣菜を象徴するソロ曲『Twilight Sky』を全体曲として歌う。これにより多田李衣菜が出演していないにも関わらず、その存在感を強く刻み、さらに演目順で木村夏樹のソロ曲『Rockin'Emotion』を次に歌うことで、ロック・ザ・ビートの関係性の深さを刻んだ。これでコラボ企画の宣伝もオマケ程度扱いになる。
⑥結果としては、木村夏樹が都合のいいモノ扱いどころか、愛とシャウトがテーマで、生バンド出演の公演で、座長という木村夏樹にしか務まらないオンリーワンの役目を果たして、さらには多田李衣菜の存在とロック・ザ・ビートの関係性も大事にしており、木村夏樹への理解と敬意、リスペクトに溢れていた。

そしてさらに言えば、この8周年曲『無限L∞PだLOVE♡』は、ラブリーでありながらロックテイストであり、『SoL』のセットリストも「愛」や「好き」をテーマにいた楽曲で構成されているおり、それでいてシンデレバンドが出演してバンドアレンジをすることで、迫力と意外性のあるロックな演出になっていた。

この楽曲を歌い、この公演で座長を務めることができるのは、アイドルマスターシンデレラガールズのアイドル数多しと言えど、ロックなアイドル木村夏樹だけであり、安野希世乃さんあってこそだった。それも今の木村夏樹と安野希世乃さんだからこそ可能だった。

安野希世乃さんはライブとなれば木村夏樹のイメージに合わせたヘアスタイルで、木村夏樹らしくカッコよく決めて歌い上げてくれるが、本来は木村夏樹のイメージとはかけ離れた、優しく柔らかい、素直で可愛らしい人柄だ。

安野希世乃さんが、木村夏樹としてカッコよく演じて歌うことは大変なことだろうが、これまで数々のステージと楽曲で木村夏樹として演じて歌い上げてくれた。いつしか木村夏樹のイメージに安野希世乃さんの声と歌は欠くことのできない存在になった。

そして木村夏樹もアイドルとして活動する中で様々な経験を積んでいる。ロック・ザ・ビートや炎陣のメンバーのように価値観を同じくするいつものメンツから、アイドルだからこそ接点ができる意外なメンバーまで関係性が広がっていった。

ぶつかり合うこともあり、悔しいこともあり、楽しい記憶ばかりじゃなかった。やがてアイドルとしての活動を通じて価値観や役割にも変化があり、自身にとって大事なロックとアイドルらしさという、相克する価値観に向き合い、カッコいいだけじゃない、前髪をおろした女性的なアイドルらしい姿も魅せた。SSR[My Life, My Sounds][緋色のラブ・ソング]その姿には、どこか安野希世乃さんを彷彿させる柔らかな可愛げある印象がある。

そしてデレステ8周年曲『無限L∞PだLOVE♡』を歌った。この愛を全面に押し出したキッチュなまでにアイドルらしい楽曲は、様々な経験を積んで自身の価値観にも向き合って、可愛いアイドルらしさも物にした今の木村夏樹だからこそ、そして今まで数々のステージと楽曲で経験を積んだ、安野希世乃さんだからこそ歌える楽曲だった。

思えば木村夏樹のアイドルとしての活動はカッコいいことに偏っていた、またカッコつけることで弱さを隠して強がりにもなり、さらに言えば弱音を吐かない木村夏樹に、運営側の無理を押し付けて理解のない都合のいいモノ扱いにつながっていたように思う。

しかし、そもそも木村夏樹がアイドルを志していたのは、モバマス時代にまで遡れば[もしかしてロックアイドルってカッコいいし可愛い感じで最強なんじゃない? 目指してみっか!]というように、木村夏樹のアイドルとしての始まりにはアイドルとしての可愛さを目指すこともあった。

そう考えてみると、アイドルらしいラブリーロックな『無限L∞PだLOVE♡』を歌い『SoL』で座長を務めて愛を叫ぶことで、木村夏樹はアイドルとしての始まりから目指していた“ロックアイドル”に成れたんじゃないか。

そしてついには『SoL』では最後の最後に木村夏樹として安野希世乃さんが「プロデューサーさん大好き」と愛を叫んだ。

木村夏樹のプロデューサーとしては、これ以上ないほどに『SoL』は愛と歓喜に満ちて、プロデューサーとして報われた公演だっただろう。













これで終われればよかったのに

自分独自の見えるもの

愛を叫んで、愛を受け取って

それはきっと素晴らしい歓喜だろう

だがしかし

自分にそれはできない、それだけはけっして

自分はプロデューサーではないからだ。

自分はとうの昔に木村夏樹を信じきれずに、運営の方針に付き合いきれずに、プロデューサーを辞めている。

だから、その愛を受け取るわけにはいかない。

この愛を受け取れるのは、木村夏樹を信じてきたプロデューサーたちの勝利だ。おめでとう。

自分は素直に愛を叫び、デレマスというコンテンツを信じるには、あまりも僻みすぎた。

デレマス運営に何度も裏切られて、ライブで何度も見たくないものを見せられてきたから、運営を疑り、見えるものより見えなかったものを考えるようになった。

俺がデレマスというコンテンツに向き合うにはそれしかなかった、俺はそうなってしまった。俺はプロデューサーとして報われることもなく敗北した。

だがそれでも、敗北者だからこそ
疑い、見えないものを見ることで、自分だからこそ見えるものがある。考えに考えて、違和感を言葉にして、見えてくるものがある。

地獄よりもっとおぞましい問題が見えてくる。

アイドルが顕在するようなパフォーマンスが素晴らしい、ならば

改めて『SoL』を振り返ってみると、本当にいいライブだった。これほど満足感あるライブはなかなかないんじゃないか、自分の観測範囲でも好評を博している。その理由の一つとして挙げられるのが、アイドルと出演者のイメジが重なり合い、アイドルが顕在するような素晴らしいパフォーマンスがあった。

『SoL』の安野希世乃さんは歌唱やダンスはもとより、頼もしいほどにステージをものにして、みんなを引っ張りながら全力で楽しんでいた、そこに木村夏樹らしさを強く感じた。

その他の出演者も素晴らしかった。

ライブ初出演の原涼子さんは望月聖の高い歌唱力というハードルを超えて、さらにトーク中の初々しさ純真さから望月聖のイメージそのものだった。 

西園寺琴歌役の安齋由香里さんはライブ初披露となるソロ曲「セレブレイト・スターレイル」を勝手が違うステージで踊りながらも、西園寺琴歌らしくパワフルにエレガンスに歌い上げた。

そして生田輝さんはナターリアとしてソロ曲「ソウソウ」を待望の有観客の声出しステージで披露。ライトを浴びて体いっぱいで踊り歌う様はまさにナターリア、そして観客と一緒に歌うことで一体感が生まれていた。これが本当の「ソウソウ」なのかと感じ入った。

その他にも、一日しか参加できずともしっかり爪痕を残した早坂美玲役の朝井彩加さん、叫ぶと言えば欠かせない星輝子をきっちりやり切った松田颯水さん、この他の出演者も総じてパフォーマンスが高かった。

さらにはソル・カマルやフィオレンティナなどユニット名をアピールしたり、その場にいないユニットメンバーも気遣うなど、出演者たちがアイドルたちの関係性も大切にしていることが随所に現れて伝わってきた。

このようにアイドルと出演者のイメージが重なり、「アイドルが顕在するようなパフォーマンス」は素晴らしかった。

だがしかし、そのように評価すれば、その逆にアイドルと出演者のイメージがズレる「アイドルが顕在できないパフォーマンス」は悪評価となり問題視されることになる。

木村夏樹がロック・ザ・ビートを大切にする、ならば

さて、また改めて今月の2つの大きなトピックを振り返ってみると、木村夏樹のすぐそばに多田李衣菜がいることに気がつくだろう。

8周年曲『無限L∞PだLOVE♡』の8人の歌唱メンバーの中には木村夏樹と多田李衣菜がいる。MVでも二人は当たり前に一緒にいる。それどころか8周年宣伝CMでも並んでいるほどだ。

『SoL』でも木村夏樹として安野希世乃さんは、公演前から意気込みを込めた色紙にロック・ザ・ビートのロゴマークまで書いてくれた。告知ツイートでもロック・ザ・ビートのTシャツ姿を見せてくれた。

そして公演でも多田李衣菜を指して「相棒」と呼び、多田李衣菜のソロ曲『Twilight Sky』に続いて、木村夏樹のソロ曲『Rockin'Emotion』を歌うことでも、ロック・ザ・ビートの関係性の深さを刻んでいた。

これほどまでに、木村夏樹は安野希世乃さんは、ロック・ザ・ビートと多田李衣菜の関係性を大切にして、愛を叫んでくれたが、当の多田李衣菜はどうだ、演者である青木瑠璃子さんはどうだ。

これまでの公演で、多田李衣菜は青木瑠璃子さんは、ステージで木村夏樹を指して「相棒」と呼んでくれたことがあったか、木村夏樹が不在でも、木村夏樹の楽曲を歌うなら、ロック・ザ・ビートの関係性を大切にしてくれたか、7th大阪公演でロック・ザ・ビートのTシャツを着てくれたか

木村夏樹が安野希世乃さんがロック・ザ・ビートを大切にしているように、青木瑠璃子さんはロック・ザ・ビートを大切にしてくれたか

木村夏樹が安野希世乃さんが、ロック・ザ・ビートへ多田李衣菜への愛を叫んでも、当の多田李衣菜にも青木瑠璃子さんにも届いていないんじゃないのか

安野希世乃さんがロック・ザ・ビートを大切にしてくれれば、くれるほどに、青木瑠璃子さんがロック・ザ・ビートを大切にしていない事実が浮かび上がる。

名曲は歌い継がれる、ならば

『SoL』のライブをさらに振り返ってみると、多田李衣菜のソロ曲である『Twilight Sky』が全体曲としてトリに歌われた。この素直な「好き」という気持ちを歌ったロックな楽曲は、愛を叫ぶライブコンセプトとしても、生バンドが出演する公演としても、トリを飾るのに相応しい楽曲だった。

こうして『SoL』に登場しないながらも、その楽曲で存在感が強かった多田李衣菜だったが、よく考えるとおかしくないか?

よくよく考えてもみると、『SoL』の出演者たちが精一杯のパフォーマンスでアイドルのイメージを顕在させたように、青木瑠璃子さんがこれがまさに多田李衣菜だとイメージを顕在させるほどのパフォーマンスを見せたのはいつが最後だろうか、少なくともここ最近のライブではそうじゃない、もう随分とステージで多田李衣菜を見ていない気がする。

つまりは、多田李衣菜として青木瑠璃子さんが出演したライブよりも、青木瑠璃子さんが出演していない『SoL』で多田李衣菜の存在を強く感じるのはおかしくないか?

『SoL』以前も振り返ってみると、『Twilight Sky』は、プロジェクトアイマスのVTuber企画であるヴイアライヴにおいても、投票企画で支持を集めてカバー曲に選ばれているように、いつしか『Twilight Sky』は、デレマスの楽曲を超えた定番曲、「好き」な気持ちを歌う、象徴的な楽曲の一つになっている。

そう、つまりは名曲とされる楽曲が、歌い継がれて一人のアーティストに帰せられるものではなくなるように、『Twilight Sky』は多田李衣菜のソロ曲という範疇を超えて、多田李衣菜一人に帰せられるものではなくなっている。

そう考えるならばだ、多田李衣菜という存在も、青木瑠璃子さんという一人に帰せられるものではないのではないか。

もういい加減にハッキリ言ってしまおう

青木瑠璃子さんに多田李衣菜を任せていいのか?

もはや「多田李衣菜」というアイドルのイメージに「青木瑠璃子」という存在が邪魔になるノイズになっていないか

木村夏樹やロック・ザ・ビートのことを大切にしない多田李衣菜や『Twilight Sky』のように自分の素直な気持ちを口にする勇気もない多田李衣菜ってそれは多田李衣菜なのか?

そうだと言う人がいたら、その人の中で多田李衣菜っておかしなことになっていないか?

アイドルとして積み重ねてきたものやユニット関係を大切にしていない声優に、アイドルを任せていいものなのか?

ステージでアイドルのイメージを顕在させるようにパフォーマンスが出来ない演者に、アイドルを任せていいものなのか?

素直に気持ちを口する勇気もない人に歌われるよりも、他の誰かに歌われるために楽曲を解放したほうがいいんじゃないか?

考えてもみてほしい。アイドルのイメージにそぐわない声優の意味を

これは自分だけじゃないはずだ。アイドルマスターシンデレラガールズのライブを見に行くのは、アイドルマスターシンデレラガールズのアイドルためであり、アイドル役の声優のために行くわけじゃない、声優のカラオケを見に行ってるわけじゃないんだ。
















今月は本当に書くのが辛かった。ただでさえトピック満載でまとめきれないのに、自分自身の僻み、だからこその意地もあり、見えるものより見えないものを見て、見たくないものを見たようだ。それでも書かなければ、この違和感を言葉にしなければどうにかなってしまう、俺はそうなってしまった。


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