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【尊敬する人】宮本茂さんのインタビューメモ:スーパーマリオの映画から感じた任天堂イズム

友達と散々文句言いながら、時には協力的に、時には邪魔をしあう。
これが僕の初めてのマリオブラザーズ。
ドンキーコングはハンマーを取って、樽を破壊するのが面白かった。
そしてスーパーマリオブラザーズはどれくらいやり込んだかわからない。

あの小学校低学年の原体験。
僕の心や性格はマリオやドンキーコング他、任天堂の様々なゲームで形成されていったと言っても過言ではないほどです。
だからこそ、マリオの映画を作ると言った宮本さんの発言から待ちに待ちました。

でも映像になっても面白いかどうかはわからない。
期待と不安は入り混じっていました。
ようやっと予告が流れてビジュアルを観た時、瞬間的に「これは俺が観たいマリオだ!」って思ったんですよね。

映画の感想は他の方もたくさん書いている通り、めちゃくちゃ面白かったです!
シーンの一つ一つがマリオ愛に溢れていて、そして兄弟の絆、諦めない気持ちを描いた素敵な内容で感動でいっぱいでした。

映画の詳しい感想は他の方もたくさん書かれているので、それは一旦横に置いて。

本編が始まる前にIt’s you marioというCMが流れまして、これにやられてしまいました。
もう本当に泣きそうになっちゃって🥹
まだ始まってもいないのに泣いちゃいそうで必死に堪えました。

マリオはたくさんの笑顔と困難に立ち向かう気持ち、そしてやりきったという達成感の醸成を、多くの人に分け与えてきたんだなぁって…。

もうジーンときて仕方がなかったです。

やっぱり僕は任天堂のサービスが、その考え方が、イズムが好きなんだなぁって改めて心底思いました。

昂った気持ちを抑えきれず、スーパーマリオの映画関連をネットで調べてたら、滅多に聞けない宮本さんのインタビューがあったので、熟読。
僕は宮本さんの考え方に共感できることが多く、仕事や生き方にも影響を受けています。

インタビュー記事の中から共感した部分を抜粋してメモとして残しておきます。

宮本茂はどうやって「ゲームの映画化は面白くない」に立ち向かったのか――『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』がちょっと面白すぎたので、宮本さんに直接訊いてみた(電ファミの記事)

とにかく、必要のないものは作らない(笑)。

ゲームはインタラクティブで、自分からどんどん積極的に考えて入っていって、自分が遊ぶから面白いわけじゃないですか。

「嘘のような本当の話」という言葉がありますけど、逆に僕はゲーム作りで「本当のような嘘の話」を大事にしようと思っています。完璧に嘘の話なんですけど、どこかにリアルがあることで、本当の話だったように見える。それがドラマでも大事です。だから、嘘の中で一番大事な「本当(リアル)に見える部分」をいい加減にしているのを見ると、ガッカリするんですね。

最初に相談したのは、「マリオの映画で、お客さんは何を見に来る?」ということでした。そしてお客さんは、アクションシーンが見たいはずです。特に「自分が経験したあのゲームのアクションを、本当のように見せてくれるシーン」が欲しいはずですし、そこはすごく大事にしました。

「任天堂のゲームの大事なところは、横で見ている人が『俺に代われ!』って言うところ」ということを思い出したんです。遊んでいる人だけじゃなくて、横で見ている人もよくわかる。だから、僕らも「見ててわかるようなゲーム」を作ってきたんですね。

僕はたまに監督の領域に口を挟んで「ここの演出はコンマ5秒長いと思う」といったような口出しを、本当はやったらダメなのに言ってしまうんですよ。ディレクターの域に入っちゃダメなプロデューサーなのに、ディレクターの域にちょっと入り込んでしまうことがあったんです。
たとえば、ブルックリンの工事現場のシーンで、ルイージがマリオを追いかけて工事現場から出るじゃないですか。その時、ルイージがドアを開けっ放しにしていくんですよ。そこで僕が、「ルイージはドアを閉めてほしい」と……(笑)。

僕は、「世の中に良いものはごまんとあるけど、誰かに気がついてもらえるものはわずかしかない」と思ってるんですね。その「世の中にごまんとある良いものの中から、選んでもらう。埋もれないようにする」ということを続けてきたのが、任天堂の歴史そのものだと思います。

そうだ、任天堂・宮本茂さんに聞いてみよう──ビデオゲームのこの40年、マリオと任天堂の“らしさ”と今後【インタビュー】(ファミ通の記事)

ほかにない、本当に新しいおもしろさがあるものを作れば、それは発売からひと月で消えていくものではなく、何年経っても売れ続けるだろう、だからそういう風にしようとしてきました。

過去に吸収したものをどんな風にエディットして出すかをくり返しているわけです。「それじゃあ、みんないっしょになるじゃないか」と言われそうですが、それは誰が吸収して出すかによって変わるんですよ。そこが“その人”なので。そこがしっかりしていれば……もう天然でいろいろなことを思いつくままにやっているのがいちばんいいのかなと思いますね。

自分が興味を持つ仕組みや、「どういう仕組みなら人が興味を持つか」などは考えますけど、「おもしろい」と言われているものがあって、それを研究してそのおもしろさを再現して何かを作ろうとは絶対に思わないので。「自分がなんとなく惹かれるのはなぜか」を考え、それに近いものになっているかどうかということしか考えていません。

自分が作るうえでは、基本的には自分がフィルターになっていることがいちばん大事です。だけどいまのように50人や100人でゲームを作るとき、そのフィルターの機能がどれくらいそこに反映できるのだろう、というところが課題ですよね。

「これじゃダメ」というときに、構成などを変えることで、何か見えかたが変わったり、価値が変わったりすることが自分で見えているときに返すのがちゃぶ台です。自分で見えてないときは「ダメ」と言うだけで、その場合は何かを変更するわけじゃない。それはやっぱりすべての要素というのは、ディレクターをやっている人じゃないと見えないものなのでね。

僕だけというよりは、誰も決められないなら、「だったら、そこはできるだけ自分でやろうか」とくり返しているうちに、だんだんとそうなりましたね。まあ、「イヤだ」と言える権利だけは持っておこうかと(笑)。

ゲームはやっぱりインタラクティブなものなので、たとえばバットで人を殴って「ボコッ」という手応えがあったりするのはもちろんダメです。その刺激をおもしろがって故意に作ることもダメだと思いますが、記号としてパンチしたり跳ねたりするのならプレイヤーが受ける感覚はまったく違うじゃないですか。「なんなら効果音を変えてみようか?」と、音をかわいくしただけで「これなら大丈夫」と言われたりもして。

そういう意味では、僕はAppleさんのことが好きなんです。あまり目立たないんですが、うまく制限などをして、お客さんの使い勝手を大切にしているんですね。

「任天堂は子どもっぽい」と言われていた時代もありましたけど、何を優先するのかを考えてその優先事項をコツコツとくり返してきた結果、Wiiのころからお客さんには「安心」というイメージをより明確にお持ちいただけるようになったのではないでしょうか。たとえば、「ネットワークにつないでも安心、安全」だなと。いまはそれがポツポツと皆さんのあいだに定着してきたんだと思うんです。

僕らにとって“任天堂らしさ”とは、本当にお客さん本位で考えること。マーケット本位じゃないし、流行っているもの本位でもない。実際、お客さんが感じられる細かな触り心地にもこだわりますし。そういう意味で、スイッチは実際の使い心地を大切に攻めていったと思うんですよね。

ニンテンドートウキョウを作ったのもリアルに接触する場所があったほうがいいという思いからですし、ユニバーサルさんといっしょにやっていることも、そうして接してもらう機会は多様なほうがいいからで。子どものころから「ずっと安心で安全だ」と感じていただいている任天堂を、家族みんなでいっしょに味わっていただきたいというのが、リアルに踏み出している原点にあります。

じつはインタラクティブという言葉や意味がそんなに世の中には浸透しておらず、企画先行で実際のお客さんの満足度が低いものがまだまだあるのではないかと感じます。でも、その満足度を上げる努力をするのは楽しい仕事なんですよ。

お客さんがしたことに対してどういったレスポンスが返ってくるかって大事ですよね。ところが、そこにどういう技術や処理能力があればいいかがわかっていないと、インタラクティブなものってなかなか設計できないんですよ。

ところが新しいハードを発売して、バーチャルコンソールのような過去のゲームを新ハード上でプレイできるようにするシステムを何回も作っているうちに、「映画はいいよなあ」と思うようになるわけです。もともとプレイできていたハードがなくなっても、移植しなくても、同じものが動くから(笑)。

“売れるもの”を作ろうとすると、いろいろな失敗がありますよね。売れるものを作るより、自分がおもしろいと思うものを信じて作るということがいちばん大事で。売れるものを作ろうとすると、どうしてもどこかにあるものになってくるんですよね。競争の中で作るととくに。
僕はCEDECでも何度か講演をしているんですけど、そういうことを言って、のびのびとした現場のクリエイティブを抑え込んでいるのは経営者や営業だという話をしています。現場ののびのびとした発想に任せず、「こういうものにしたら売れる」なんて言うから、出来上がったものが世間にありそうなものになってしまうと。でも、ありそうなものって売れませんよね(笑)。だから、見たことがないものを作るのが任天堂なんです。

調子が悪くなると、やっぱり守りに入ってしまいがちなのが人間ですけど、いったん守りに入ってしまうと、前を走っている人を追いかけるようになります。ですけど独走していると、いつだって先頭にいられるチャンスがある。よそとはぜんぜん違う方向に向かっていてもいいので、「独走していよう」というのがもともとの考えです。「競走じゃない。独走(独創)である」ということを大事にしているのがいいんじゃないですかね。

ずっと昔から、おもしろいと思うものを作り、それが「おもしろくない」と言われたら、「なぜおもしろさが伝わっていないのか」を考えるということをけっこう大事にしています。それはお客さんの声を聞くのともまた違い、「お客さんがなぜ理解してくれないか」ということに対していろいろなアプローチをするんです。それはもう、わりと作りかたの基本にしていますので。

ちゃんとやろうとしたら、細かいことを覚える必要もありますし、ジムの仕組みも覚えなきゃなりません。それをやっているんです。すごいですよね? さらに『ポケモンGO』を作った皆さんが目指している、「もっと外に出て歩くようになってほしい」なんてことも、ちゃんとやっているんですよね。「今週はあと2キロで50キロになるんやけど、もったいないよね?」とか、夜中に「散歩に行ってこようかな」なんて(笑)。
ええ、攻略しているのがすごいなあと思って。たぶん僕が解説していたら、「めんどうだから、もういい」って言っていたと思います。それを自分から説明してきますからね。いやあ、市場は無限にあるなあと(笑)。

自分をよく見てほしくてものを作っているのではなく、やっぱり、作ったものを遊んでほしくて作っているからですかね。ですから、ファミ通さんにこれだけ出ておいてなんですけど、「作り手はあんまり表に出ないほうがいいんじゃないかな」とも思います。

この歳になって「楽しくないと損だ」と思うようになったんです。誰でも自分たちが作ったゲームを酷評されたりするとムカッとしますよね。でも、「酷評した人たちをギャフンと言わせるためには、こうしたらどうだろう?」と考えると楽しくなってくるじゃないですか。だからムカッとしても、その状況を楽しんだほうがエネルギーも湧いてくるし、それを超えると不思議なもので、「よくぞボロクソに言ってくれました」、「あなたがボロクソに言ってくれたおかげで私は活力を得ました」という境地にいたれるんです(笑)。

55歳ごろを境にですね。それまでは反発する気持ちも強かったんですけど、そうじゃなく、「ヘコんでも、なんとかそれを楽しめるようにしたほうが得だな」と思って。結局、立ち直れないときにいちばん困るのは自分自身なんです。そうすると無理難題やトラブルも成果につながっていることに気が付きます。

宮本さんの次回作、ピクミン4が楽しみです😊