結婚20年を迎えて〜気持ちの変化と現状整理

結婚して20年が経った。

20年。

ものすごく長い時間だ。

人が生まれてから成人するまでの時間。

この20年で考え方や情熱の向け方は結婚前と全く異なるものになった。

まぁ結婚した時はまだ20代前半という、何も考えていない単なる若造だったので、そりゃ当然といえば当然なんだけど…。

節目なのと、自分の頭と心を整理するため、noteします。

結婚

結婚は突如やってきた。

あれは確かものすごく暑い日のことだったと思う。

かかってきた彼女からの一本の電話。

「子どもができたかもしれない…」
「え?マジで??」
「……どうする??」
「…じゃあ結婚すっか」

みたいなこんな感じだったと思う。
まるでドラゴンボールのチチに対する孫悟空の答え方のようだった感じがする。

子どもができたら結婚して育てるという考え方しかなかった。

電話を切った後、黙ってるわけにもいかないので、すぐ親にそのことを伝えた。

母親が膝を崩しながら

私もおばあちゃんか…笑

と言ったセリフが忘れられない。
まだ50代前半だったので、そりゃそう思うよなw

親父からは怒られるかな?と思ったけど、不思議と怒られなかった。
すごく厳格な父親っていう印象だったので、意外だなと思った。

とりあえず自分の親の了解はそれで済んだが、向こうの両親の許しをもらわなきゃいけない。

彼女とは遠距離恋愛で、自分は首都圏に住んでいるが、彼女は北陸に住んでいるので、都合を聞いて、慣れないスーツを着て新幹線に飛び乗った。

当時は北陸新幹線なんてないので、片道約5時間の旅である。

この往復を何度したかわからない。

さて、彼女の家に着いた。

これが初めての訪問ではなく、何度か行ったことがあったので、面識がないわけではなかったけど、彼女の父親は第一印象が星一徹だったので、めちゃくちゃ怒られることを覚悟していた。

居間に通されて、何時間くらい話していたかな?3時間くらい正座してた気がする。

どんなことを話したか細かいことは忘れたけど、そういえば事前に自分の仕事の師匠に、許しをもらうためにどうすれば良いか相談をしていた。

彼女の両親を安心させるために、これから先の人生プランを、3時間正座しながら説明した。
自分の仕事のこと、給料のこと、自分がどんな人間か。
これから先の人生をどう彼女と二人で歩んでいくか。

そんな中彼女の母親からの一言

「この鬼畜が!!」

は忘れられない。鬼の形相で、怒りに燃え滾った目は今も脳に焼きついて、すぐ再生できる。星一徹な彼女のお父さんが「そんなこと言うんじゃない!!」みたいな感じで諫めてくれたのには、心の底から安堵した。

鬼畜。

生きててこの一度しか言われたことのないこの言葉。

彼女の母親からしたら、自分は鬼畜野郎なんだと痛感した。

冷静に考えればそれはそうだろう。

どこの馬の骨かもわからない都会の若造のせいで、大切に育ててきた娘に突如子どもができたって言うんだから。

この時、北の国から〜巣立ちの純の気持ちを思い出した。

菅原文太さんが放ったセリフ

誠意って何かね?

ドラマのこのセリフが、自分の中で重くのしかかった。
俺は北の国からの純と全く同じことをしている。
誠意。自分は彼女の両親に、彼女に、子どもに、周りの家族に「誠意」を見せなきゃならない。
そう、「鬼畜」という言葉を受けて「誠意」をどう見せていくのかを考え始めた。

今までは自分のやりたいことだけを考えていれば良かった。

ゲームに時間を使う。
音楽に浪費する。
好きなTV、漫画、映画をダラダラ見る。

自分の趣味はそんな程度だったが、それは全部二の次だ。生活が苦しくなり、家族が露頭に迷うことだけは絶対に避けなければならない。

借金だけは絶対するな。
金の切れ目が縁の切れ目。

妻となる彼女からはキツイ口調で言われたのを覚えてる。

3時間が経過して「足を崩しても良い」と星一徹から言われてようやく正座から胡座に。足は死ぬかと思った。

そこから結婚式はするのか?と言う話になったのだけど、20代前半で本当に貯金がなかったので、結婚式はしないと二人で決めていた。

が、結婚式くらいはしろと、自分の両親からも言われていたので、考えを改めるようになった。

せっかく北陸に来ているので、彼女の親戚や家族への挨拶回りがスタート。

いや、その家族の数が半端ない。

自分の家族はせいぜい親の兄弟くらいしか繋がりがないのだけど、相当な数の人と会った。いまだに誰が誰だかよくわからないw

ここから首都圏と北陸の考え方の違い、生き方の違いをどんどん知ることになる。

そして結婚っていうのは当人同士がよければいいだけじゃなくて、家族全体を巻き込んだ、とても一大事なことなんだということを身を持って知っていった。

結婚したら二人でこういう家庭を築けたらいいね、なんて漫画やドラマで知っていた薄っぺらいものとは違う。互いの価値観を尊重し、受け入れていく。精神的な強さを必要とすることなんだと言うことに。

結婚式

さてさてお互いの両親、家族からも許してもらったので、次は結婚式と言うことになった。お腹に子どもがいるので、お腹が大きくなる前にウェディングドレスを着ないと!と言うことになり、式場を探すことに。

どうやって探すかなんて全くわからなかったので、TVCMで見ていたゼクシィを買いにとりあえず本屋に行ってみた。このゼクシィにびっくり。とんでもない分厚さなんだもんw 電話帳か!?っていう。信じられない重さ。東京ウォーカーとか、そんくらいの雑誌と思っていたので、これには本当にびっくりした。持って帰るの大変だったよ…。

そこからは深夜に仕事から帰宅してはゼクシィを開き、結婚式場と結婚指輪をどこで買うのかを調べまくった。でも結局何が良いかわからないので、母親に推薦された青学会館に決めた。

ゼクシィを見ていて、普通結婚式っていうのはお互いの意見をすり合わせてどういう結婚式にするかを長い時間かけて決めていくものなんだっていうことを知った。

でも自分たちの場合、物理的に距離が離れていること、ウェディングドレスを着るまでのタイムリミットがあること、お金が全くないことという結婚式をするにあたってはないないづくしだったので、青学会館を単身訪ねて、とにかく一番近い日取りで安くできる方法はあるか?っていうことを質問しまくった。

家族だけでやるので披露宴はなし。
式場にこだわりはない。
式次第もいらない。

って言ったら、「流石に式次第は…」って言われたので、しょうがなく渋々OKした。結婚式をしている最中、式次第なしってありえないなって確かに思ったw

結果的に結婚式は本当にして良かったなと思う。
たったの30万円だったけど、結婚式はお金じゃないなって思った。

宣誓をするっていうのは、後にも先にもこの結婚式の時しかない。

病める時も、健やかなる時も、
富める時も、貧しき時も、
妻として愛し、敬い、
慈しむ事を誓いますか?

すごく短いこの言葉だけども、これに全て凝縮されているなって今思い返しても思うし、お互いに誓い合って、指輪を交換して、署名するっていう一連の流れで、なんかこみ上げるものがあった。

さっきの「誠意」って言葉にするとこれに凝縮されるのかな?と思う。

もちろんそこに行動が入るのだけれども、端的に表現した素晴らしい言葉だなって思ったのを覚えている。自分事になることで、心にスーッと染み渡っていった。

結婚式を家族に見てもらうことで、祝福してもらうことで、完全に認めてもらえるんだという気持ちになった。

行事ってすごく大事なんだなって思う。

それをしたことの意味が、時間が経つほど意味を持ってくる。

出産

無事に結婚式が済んだ。これは6月のことで、出産は11月末あたり。
出産するまでは妻は北陸の実家で暮らすということだったので、結婚はしたけれども、結婚生活はしないという奇妙な半年間が始まった。

自分は転職したてだったということもあり、とにかく仕事を覚えて社会に役立つ人間にならないと!給料が上がっていくようにしないと!!っていうことしか考えていなかった。文字通りがむしゃらに働いていた。
毎週2徹、3徹当たり前。
今言われている働き方改革なんてちゃんちゃらおかしい働き方をしていた。
今思うと、ほんとに若さってすごいなと思う。
今同じことをするのは絶対に無理。多分死ぬか精神がおかしくなると思う。

さてさて、そんな感じで毎日を過ごしていると、あっという間に出産予定日を迎えた。もうすぐ生まれるということで休みをもらって、妻の実家で出産までずっと過ごした。しかし、予定日を迎えても一向に生まれる気配はない。2週間経っても生まれない(この間休みを取らせてくれた師匠には感謝しかない)ので、医者から「帝王切開するしかない」という話を妻を挟んでしていたところ、子どもはそんな会話を聞いていたからか、急に陣痛が来たw

妻が陣痛に苦しがっている間、男っていうのは本当に何もできないw 無力の極みである。
まぁほんとにオロオロするしかないw
めちゃくちゃに痛がっているので、こんなに痛がっているけど大丈夫か?って看護師さんに聞いても、「あ、まだですね〜。頑張って〜。」という無茶苦茶軽い感じで言われるだけ。とにかく不安しかなかった。

さぁいよいよ出産っていうことになった。
立ち会ったのだけど、まぁほんとに、生命の誕生はすごいです。
赤ちゃんが生まれるってこんなに大変なんだと。
長い時間をかけて育んで、苦しい思いをしてようやく誕生なんだと。
自分が産むわけじゃないけど、擬似体験という意味でも立ち合いはできるならした方が良いと思います。瞬時にいろいろ思うことが出てくるはず。
少なくとも「父になる」という自覚は生まれる。

自分の子どもを抱いた時、その脆さ、弱さに戸惑った。

とにかく生活に困らせない。露頭に迷わせない。それだけは絶対に避けなきゃいけない。また固く誓った。

その瞬間から「父になる」のだけど、精神はまだ子ども。気持ちを変化させていくのは難しかったなぁと思います。

そして今

昨日出前でとった寿司を食いながら、妻が息子に一言言ったんですよ。

こうやって好きな時に好きなものを食べて、生活できているのはお父さんが稼いでるおかげなんだから感謝しないとね。

結婚して20年経って、こうやって言われたのは初めてかもしれない。

生活に困らせない。
露頭に迷わせない。

とりあえず、達成はできたかな。

目標というのは達成してしまうと、人間次はどうしようと考えるもので。
だけど次ってなんだろう?って最近思う。

20年掛けて変わってきた自分の気持ちは、昔の自己中心的なものに戻ることはできない。

また少しずつ変化していくのだと思うけど、どうしていくのが良いかなぁ??って悩んでる自分がいる。

目標を達成しても悩みっていうのは生まれて尽きない。

人間とは、かくもめんどくさい生き物だなと思ってやまない。

これから先の20年。自分はどう生きたいのだろう??

やりたいことが見つからない。
自分がやりたいことがわからない。
(あ、仕事ではやりたいことはありますよ。仕事以外の人生の話です。)

40を過ぎてこんな悩みを持つなんてね。
でも可能性は無限大にある。

今を大事にしつつ、5年、10年、20年後のマイルストーンをこれからまた、立てて行かなくちゃ、と思いつつ、何も考えず今を大事に過ごすだけでもいいのかなと思う。

またそのうちふと、これかな?というものが見つかるまで、とりあえず今やりたいと思ったことをやっていくことしかできないかな。