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「宗谷挽歌」より
(一九二三、八、二、)
こんな誰も居ない夜の甲板で
(雨さへ少し降ってゐるし、)
海峡を越えて行かうとしたら、
(漆黒の闇のうつくしさ。)
私が波に落ち或ひは空に擲げられることがないだらうか。
それはないやうな因果連鎖になってゐる。
けれどももしとし子が夜過ぎて
どこからか私を呼んだなら
私はもちろん落ちて行く。
(解説)
1923年8月2日深夜に宮沢賢治は稚内港から樺太に向かいました。生徒の就職先を探す出張でした。乗船したのは稚泊連絡船対馬丸ですが学童疎開船対馬丸とは別の船です。