宮沢賢治は電車に乗った農村女性を英雄と讃え、警察署長の娘に嫌われた(1927.05.09)
1927(昭和2)年5月9日、宮沢賢治(当時30)は多くの詩(心象スケッチ)を書きました。それには、どうも電車と女性がかかわっているようなのです。
そのころ賢治は花巻農学校の教師を辞め、肥料相談所を開いたり、花壇の設計施工を請け負ったりして、花巻周辺を電車でよく移動していました。
(1)詩「電車」では、電車に乗って町の組合に借金に行く農村女性と村長の会話を描写しています。
(2)詩「これらは素樸なアイヌ風の木柵であります」では、そうした農村女性を、革命家や芸術家に匹敵する近代の英雄と讃えています。
(3)詩「芽を出したために」では、主人公の技術者が、警察署長の娘で小学校に勤める女性に電車内で冷たい目でみられてしまいます。
一連の、電車と女性にまつわる出来事が、賢治の創作意欲を刺激したようです。
黒い作業用の着物を着た開墾地の農村女性より、水色の上着を着た小学校の教師か事務員の女性のほうが、社会階級的には近いはずです。しかし、一連の詩を読むと、賢治の気持ちとしては農村女性のほうに共感しているのが、興味深いです。
警察署に呼び出されて取り調べを受けたり、職務質問をされたり、警察から活動に圧力を受けていたことも、警察署長の娘に反発した原因かもしれません。
(1)詩「電車」
(本文開始)
一〇五八
電車
一九二七、五、九、
銀のモナドのちらばるそらと
逞ましい村長の肩
……べルを鳴らしてカーヴを切る
べルといふより小さな銅鑼だ……
はんの木立は東邦風に
水路のヘりにならんで立つ
はんの木立の向ふの方で
黒衣のこども燐酸を播く
……ガンガン鳴らして飛ばして行く……
田を鋤く馬と白いシャツ
胆礬いろの山の尾根
町へ出て行くおかみさんたち
さあっと曇る村長の顔
……うしろを過ぎるひばの木二本……
風が行ってしまった池のやうに
いま晴れわたる村長の顔
……ベルを鳴らして一さん奔る……
栗の林の向ふの方で
ざぶざぶ水をわたる音
それから何か光など
崩れるやうなわらひ声
(本文終了)
上記完成形の「町へ出て行くおかみさんたち/さあっと曇る村長の顔」の部分は、なぜ村長の顔が曇ったのか、わかりにくいです。
実は、草稿では、「町へ出て行く小さくやさしい貴女たちの群/(今日はどこらへおいでです)/(はあ組合へ金策に)/さあっと曇る村長の顔」となっています。
電車が通って便利になったものの、家族の消費も増えて、農村女性たちが電車に乗って借金をしに行くようになったのでしょうか。
(2)詩「これらは素樸なアイヌ風の木柵であります」
(本文開始)
一〇六三
五、九、
これらは素樸なアイヌ風の木柵であります
えゝ
家の前の桑の木を
Yの字に仕立てて見たのでありますが
それでも家計は立たなかったのです
四月は
苗代の水が黒くて
くらい空気の小さな渦が
毎日つぶつぶそらから降って
そこを烏が
があがあ啼いて通ったのであります
どういふものでございませうか
斯ういふ角だった石ころだらけの
いっぱいにすぎなやよもぎの生えてしまった畑を
子供を生みながらまた前の子供のぼろ着物を綴り合せながら
また炊爨と村の義理首尾とをしながら
一家のあらゆる不満や慾望を負ひながら
わづかに粗渋な食と年中六時間の睡りをとりながら
これらの黒いかつぎした女の人たちが耕すのであります
この人たちはまた
ちゃうど二円代の肥料のかはりに
あんな笹山を一反歩ほど切りひらくのであります
そして
ここでは蕎麦が二斗まいて四斗とれます
この人たちはいったい
牢獄につながれたたくさんの革命家や
不遇に了へた多くの芸術家
これら近代的な英雄たちに
果して比肩し得ぬものでございませうか
(本文終了)
この詩では、開墾地の農村女性が過酷な農作業と子育てや家事を両立しているようすを、革命家や芸術家に匹敵する近代の英雄と讃えます。
肥料代を支払うことができず、笹山を切り開いて焼き草木灰を肥料にする焼畑農業で、ソバを栽培する苦しい農業経営のようすが描かれています。
(3)詩「芽を出したために」
(本文開始)
一〇五九
一九二七、五、九、
芽をだしたために
大へん白っぽく甘酸っぱくなった山である
このわづかな休息の時間に
上層の風と交通するための第一の条件は
そんな肥った空気のふぐや
あはれなレデーを
煙幕でもって退却させることである
……川なめらかにくすんでながれ……
実に見給へ 傾斜地にできた
すばらしい杉の方陣である
諸君よ五月になると
林のなかのあらゆる木
あらゆるその藪のなかのいちいちの枝
みなことごとくやはらかな芽をひろげるのである
川にぶくひかってながれ
退職の警察署長のむすめが
水いろの上着を着て
電車にのって小学校に出勤しながら
まちの古いブルジョア出身の技術者を
少しの厭悪で見てゐたのである
こゝはひどい日蔭だ
ぎざぎざの松倉山の下のその日蔭である
あんまり永くとまってゐたくない
けれどもいったい
これを岩頸だなんて誰が云ふのか
(本文終了)
まちの古いブルジョア出身の技術者(賢治自身が大いに投影された人物)が、退職警察署長の娘で小学校に勤める女性に、電車内で嫌悪の目で見られています。
ちょうど、それまでの素晴らしい車窓の景色が、「ひどい日影」になって、電車がとまってしまうのが、技術者の心をあらわしているようです。
「そんな肥った空気のふぐや/あはれなレデーを/煙幕でもって退却させること」は過激な妄想ですね。
画像は、さく様の写真を使わせていただきました。
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