宮沢賢治の石灰散布量は批判されたが、慎重で適正だった
宮沢賢治の肥料設計の石灰散布量は、当時としては大胆で、周辺の農家から「田畑が固くなって岩のようになる」と批判を受けました。しかし、現在の肥料設計とくらべると3割少なく、実際は理論に基づいた慎重なものであったと考えられます。
そして賢治に理論的影響を与えたのは、スウェーデンの科学者一族のようなのです。
銀河鉄道の夜などの、賢治の化学、科学、宇宙論は、スウェーデンのノーベル賞受賞者スヴァンテ・アレニウスの影響を受けていると指摘する研究があります。(事実)
https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202101240000/
スヴァンテ・アレニウスの親族である、オーロフ・アレニウスは、石灰による土壌改良の研究で有名です。(事実)
https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202101260000/
宮沢賢治の恩師である関豊太郎は、オーロフ・アレニウスと会ったことがあり、当時の最新の石灰施肥理論をオーロフから得たとする研究があります。(事実)
https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202012050000/
この当時、電極法などによる正確な土壌pHの分析は、高価で難しいものだったと、関豊太郎は書いています。(事実)
https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202101300000/
宮沢賢治は、詩のなかで、イタドリやクローバーなどの野草による土壌pH判定について書きました。(事実)
正確で簡単な土壌pH分析が困難な状況で、実際に行ったものと考えられます。(推測)
https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102050000/
当時の岩手県庁の指導の石灰散布上限量は、1反あたり30貫(112.5kg/10a)でした。(事実)
正確な土壌pH分析が、高価で難しい時代だったため、石灰の散布量が、現代より控えめだったと考えられます。(推測)
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ちなみに1反は約10a(アール)、約1,000平方メートルです。1貫は3.75kgです。
いっぽう、宮沢賢治の石灰散布量は、最大で1反あたり60貫(225kg/10a)と、当時の岩手県庁の倍でした。(事実)
恩師関豊太郎を通じて得た、オーロフ・アレニウスの当時最新の石灰施肥理論が、正確な土壌pH分析の難しい当時としては大胆な石灰施肥を可能にしたと考えられます。(推測)
周辺の農家が、賢治の石灰散布量が多すぎると批判したという、当時、賢治に肥料設計を依頼していた高橋光一氏の証言があります。(事実)
https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102060000/
現代の岩手県庁の石灰散布上限量の指導は、1反あたり80貫(300kg/10a)です。(事実)
正確で簡単な土壌pH分析の普及と、オーロフ・アレニウスに由来する石灰施肥理論の発展が、昭和初期の県庁の約2.7倍、関豊太郎や宮沢賢治の約1.3倍の施肥指導を可能にしたと考えられます。(推測)
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一般的な土壌に、昭和初期の県庁、宮沢賢治、現在の県庁の、石灰施肥上限量を散布したとして、アレニウス表換算法で解析すると、いずれも土壌のpH上昇は1未満であると、考えられます。(推測)
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以上の事実と推測から、現在のところの仮説として、次のとおりまとめて、とりあえず今回は終わります。
(仮説)宮沢賢治の肥料設計の石灰施肥上限量は、正確な土壌pH分析が難しかった当時としては大胆なものでした。これは、恩師関豊太郎を通じて、当時最新のオーロフ・アレニウスの石灰施肥理論に触れていたために可能になったと考えられます。
当時としては大胆な石灰施肥でも、現在の理論から解析すると、十分に慎重なものと考えられます。野草による簡単な土壌pH判定でも、過剰矯正の心配は少ないと考えられます。賢治の石灰の石灰散布量は慎重で適正なものでした。
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