賢治先生の北海道修学旅行 3日目 5月20日午前 小樽公園のバナナはなぜ安い
宮沢賢治の花巻農学校教師時代の北海道修学旅行復命書を読み解いています。
復命書はこちらです。
https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102150000/
一行31名は、1924(大正13)年5月18日夜に花巻を出発。
https://note.com/cxq03315/n/nd4673f954098
鉄道と青函連絡船を使って函館を経由、約35時間後の5月20日午前、小樽高等商業学校(現 国立小樽商科大学)を見学しました。
https://note.com/cxq03315/n/n384bc1f31e5d
その後、一行は、5月20日10時30分に小樽公園を訪れました。
写真は小樽市役所ホームページです。
https://www.city.otaru.lg.jp/simin/sumai/koen_iji/otaru_kouen/
(引用開始)
十時半同校を辞し丘伝ひに小樽公園に赴く。公園は新装の白樺に飾られ北日本海の空青と海光とに対し小樽湾は一望の下に帰す。且つは市人の指す処、一隻の駆逐艦と二の潜水艇港内に碇泊し多数交々参観に至れるを見る。
茲に四十分間解散す。大なる赤き蟹をゆでて販るものあり、青き新らしきバナナを呼び来るあり、身北海の港市に在るの感を深む。生徒等バナナの価郷里の半にも至らざるを以て土産に買はんなどと云ふ。
(引用終了)
小樽のバナナの価格が花巻の半分だ、と驚く生徒たちの様子が面白いと思います。他愛のない出来事のようでもありますが、賢治先生の農産物輸送費に関する実物教育とも深読みできます。
花巻より遥か北の「北海の港市」で、台湾など南国の農産物であるバナナが安く売られているところを見せて、船舶などによる大規模な農産物輸送により輸送費が下がり、農産物の価格競争力が上がることを教えたかったのかも、しれません。
一方、小説「或る農学生の日誌」ではこのように表現されています。蟹は出ますが、バナナは出ません。
(引用開始)
この公園も丘になっている。白樺がたくさんある。まっ青な小樽湾が一目だ。軍艦が入っているので海軍には旗も立っている。時間があれば見せるのだがと武田先生が云った。ベンチへ座ってやすんでいると赤い蟹をゆでたのを売りに来る。何だか怖いようだ。よくあんなの食べるものだ。
(引用終了)
一行は、このあと昼12時33分小樽駅発の札幌行き列車に乗ります。
(引用開始)
零時半小樽市一瞥を了り再び汽車に上る。
銭函附近 海色愈々勝る。南方丘陵地に美しく須具利を栽へたる耕地あり、今正に廐肥を加い耕耡行はる、農具、操作共に郷土に異り興多し。
(引用終了)
現代より速度の遅い列車とはいえ、車窓から農業の様子を細かく観察していることに感心します。スグリ(須具利)を植えている農地に、家畜糞を原料とした肥料(厩肥)をまき、すきで耕している様子を観察しています。
ここでいうスグリは、最近ではおもにグーズベリーやセイヨウスグリと言われている果樹ではないかと思われます。寒さに強く青森県や北海道で栽培されています。写真はWikipediaより。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%83%A8%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%82%B0%E3%83%AA
このあと車中で乗客との交流もありました。
(引用開始)
車中に軍人数名あり、何処の生徒かなど問ふ。生徒等校歌集を贈り順次に各歌を合唱す。客切に悦ぶ。
午后一時四十分今次旅行の眼目
札幌市に着く。
(引用終了)
軍人の乗客に声をかけられ、校歌などを歌って交流した、とあります。
1922(大正11)年賢治が作詞し、準校歌として教師生徒に親しまれ、現在の花巻農業高校でも歌いつがれている「精神歌」も歌われたことでしょう。
賢治研究家hamagaki氏のホームページで精神歌を聴くことができます。
https://ihatov.cc/song/seisin.htm
さあ、次はいよいよ札幌です!