賢治先生の北海道修学旅行「農村景観改善とドイツトウヒ」
宮沢賢治が花巻農学校教師として、1924(大正13)年5月に、生徒を引率した北海道修学旅行復命書(出張報告書)について読み解いて参りました。
復命書本文はこちらです。
通して読むなかで、当時の賢治先生の考えがみえてきたような気がします。
以前は、農産物加工、今はやりの言い方なら六次化にたいする高い関心について考えました。
今回は農村環境改善とドイツトウヒについて考えます。
ドイツトウヒ(独乙唐檜)という樹木を見て、賢治と生徒たちが大喜びする場面が何度かでてきます。
まず、札幌の植物園です。
(引用開始)
植物園博物館、門前より既に旧北海道の黒く逞き楡の木立を見、園内に入れば美しく刈られたる苹果青の芝生に黒緑正円錐の独乙唐檜並列せり。下に学生士女三々五々読書談話等せり。歓喜声を発する生徒あり、我等亦郷里に斯る楽しき草地を作らんなど云ふものあり。
(引用終了)
次は、札幌から苫小牧へ向かう車中です。
(引用開始)
車窓石狩川を見、次で落葉松と独乙唐檜との林地に入る。生徒等屡々風景を賞す。
(引用終了)
また、東北の農村景観の暗さを指摘したのち、ドイツトウヒ等がこれを救うと書きました。
(引用開始)
而して之を救ふもの僅に各戸白樺の数幹、正形の独乙唐檜、閃めくやまならし赤き鬼芥子の一群等にて足れり。寔に田園を平和にするもの樹に超ゆるなし。
(引用終了)
賢治とドイツトウヒの関係、そして、それが生徒たちにも影響を与えているようで、興味深いです。
独乙唐檜(ドイツトウヒ、オウシュウトウヒ)と賢治のかかわりについても書かれた、論文があります。
三浦修氏は、植物学者で宮沢賢治と植物のかかわりについて、骨太な論文を書いている方です。
賢治が中学時代からドイツトウヒに触れた短歌を詠んでいたことがわかります。
北海道修学旅行復命書で賢治がドイツトウヒになんども触れている背景を考察するのに役立ちます。
三浦修 著
宮沢賢治作品の「装景樹」と植生景観
-「田園を平和にする」白樺、独乙唐檜、やまならし-
教師を辞め、羅須地人協会をはじめてから、書いた詩「蕗の根をとったり」でも、防風林と思われる独乙唐檜が開墾畑の風景を引き締めています。
(本文開始)
一〇二二
一九二七、四、一、
蕗の根をとったり
薹を截ったり
きみたち二人はたらけば
朝日に翔ける雪融の風や
そらいっぱいの鳥の声
あゝ一万のまた千億の
掘り起された塊りには
いちいち黒い影を添へ
独乙唐檜も三列冴えて
杉の林のなかからは
まっ白な聖重挽馬が
こっそりはたけに下り立って
ふさふさ蹄の毛もひかる
(本文終了)