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宮沢賢治「旭川」AIイラスト 水星少女歌劇団
「旭川」
植民地風のこんな小馬車に
朝はやくひとり乗ることのたのしさ
「農事試験場まで行って下さい。」
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「六条の十三丁目だ。」
馬の鈴は鳴り馭者は口を鳴らす。
黒布はゆれるしまるで十月の風だ。
一列馬をひく騎馬従卒のむれ、
この偶然の馬はハックニー
たてがみは火のやうにゆれる。
馬車の震動のこころよさ
![](https://assets.st-note.com/img/1723839810294-qTKUcGg4dO.jpg?width=1200)
この黒布はすベり過ぎた。
もっと引かないといけない
こんな小さな敏渉な馬を
朝早くから私は町をかけさす
それは必ず無上菩提にいたる
六条にいま曲れば
おゝ落葉松 落葉松 それから青く顫えるポプルス
この辺に来て大へん立派にやってゐる
殖民地風の官舎の一ならびや旭川中学校
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馬車の屋根は黄と赤の縞で
もうほんたうにジプシイらしく
こんな小馬車を
誰がほしくないと云はうか。
![](https://assets.st-note.com/img/1723839874799-fS4rkAE7Hl.jpg?width=1200)
乗馬の人が二人来る
そらが冷たく白いのに
この人は白い歯をむいて笑ってゐる。
バビロン柳、おほばことつめくさ。
みんなつめたい朝の露にみちてゐる。
(解説)
農学校の教師だった26歳の宮沢賢治は生徒の就職先を探すため樺太をめざして出張旅行中で1923年8月2日夜行列車で朝4時55分に北海道旭川に着き農事試験場を見学し旭川市内の美しい風景と素敵な馬車に感激しました。11時54分旭川駅発稚内行きの列車で旭川をあとにしました。
「植民地」「殖民地」「ジプシイ」という現代では慎重になるべき表現がありますが宮沢賢治に差別の意図がなく対象への愛や好感がこめられていることが明白であるためそのまま掲載しております。