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宮沢賢治1928(昭和3)年7月菊池信一あて書簡より

宮沢賢治は、1928(昭和3)年6月に、伊豆大島、東京方面を旅行し、同年7月初めに岩手県花巻に帰郷。花巻周辺の水田を巡回し肥料相談を行います。7月20日ごろから発熱し、8月10日に肺結核で倒れます。

このころの本来の予定を、教え子の青年農家の菊池信一あて書簡で書いています。

次回以降この書簡を読み解きます。

(本文開始)

石鳥谷駅前 菊池信一様 平安
七月三日 宮沢賢治

お変りありませんか。先日は結構なものをまことにありがたう。肥料の本を自働車に頼んで置いてそれがしばらく盛岡行をやめて届かなかったのでまだ手許にあります。ちゃうど追肥を調べる時季ですが 今年はこの通りの天候でとてもさきの見当もつきませんし 心配なことは少しもありませんが 追肥だけはみんなやらないことにしようと思ひます。どの肥料もまだ殆んど利いてゐないのです。それで約束の村をまはる方は却って七月下旬乃至八月中旬すっかり稲の形が定まってからのことにして来年の見当をつけるだけのことにしようと思ひます。お手数でも訊かれたらどうかさうご返事願ひます。約三週間ほど先進地の技術者たちといっしょに働いて来ました。もしお仕事のすきまにおいでになれるならお待ちして居ります。葉書をさきにお出しください。肥料の本もそのときはお返しいたせます。一番除草でお忙しいでせうが折角お身体大切に。 まづは。
七月三日

(本文終了)

画像は、hina様からお借りしました。ありがとうございます。

https://note.com/1753

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