ズタボロな経歴を語る vol.5
前回までのお話はこちら▶vol.4
今回は営業を辞めたあとのお話を。
■「ひとまず実家に帰る」が正しかったのか、今でもわからない
辞めるということは、会社借り上げのアパートから出ていかなければいけないということ。
東京に残る選択肢もあったけれど、「次も大企業に入らないと東京では暮らしていけない」という不安もあった。
そこで、ひとまず実家に帰ることに。
実家に帰ったら両親は喜んでくれた。
でも、のんびりとニートしている場合ではない。
親のスネをかじるのが嫌で、必死に転職活動に勤しんだ。
業界はこだわらなかったが、迷走したのは職種だ。
前の会社で、営業の何が嫌だったのか?を考えた。
・押し売り
・ノルマ
・BtoCの営業(消費者と直接関わること)
・スーツ、ヒール着用
こうなると、事務という方向性が出てくる。
次に迷ったのは営業事務と一般事務。
営業事務は営業のサポートだ。
つまりテレアポの可能性が否めない。
結果、一般事務一択となった。
■意外とすんなり決まる
転職サイトやハローワークで職を探す。
花の輸入、美容商材の卸売、駐車場の管理、病院の受付…。
業界を絞らなければこんなにも一般事務があるんだ!と少し希望が出てきた。
ハロワか面接に行くor家事をするという生活にも慣れてきた頃に内定が出た。
前の会社を辞めて1ヶ月と少し経った頃だった。
業種はセキュリティ機器関連。職種は一般事務。
とりあえず決まったという安堵感でいっぱいだった。
会社のある隣の県に引っ越し、事務員としての生活がスタートした。
■女の戦いほどくだらないものはないと思う
会社の最寄り駅のから一駅の場所に住み始めたわたしは、毎朝8時頃家を出る生活に。
営業時代と比べたらだいぶゆっくりできることには満足していた。
会社に着いたら、制服に着替えて掃除をする。事務員が掃除をする決まりだった(なぜ?)。
朝礼後には、資材の発注や在庫管理、経費精算、書類の発送などを行い17時半の定時で帰宅という流れだ。
最初の頃こそ、営業とは違って座り仕事ができることやゆっくり出社して早く帰れることが新鮮だったがそれも徐々に飽きてきた。
それに加え、お局Aと先輩Bの板挟みに合う。
A…やけに馴れ馴れしくて声がでかい。旦那が嫌いで、別の人と不倫している。Bのことを敵対視している。
B…30代の女性。私に対して冷たい。Aのことが嫌い。
正直どっちの側にもつきたくなかったし、ふたりとも嫌いだった。
わたしを味方につけるために人前であからさまなBへの敵意を見せつけるA。仕事後にコメダに誘われたりボウリングに行ったり、カラオケに行くことも。断れなかった。めちゃくちゃ苦痛だったので、残業してる気分だった。
Bは、仕事でわからないことを尋ねると「本社に聞いて」の一点張り。なんのためにいるんだ。
昼休憩時は男女で別の部屋に分かれてごはんを食べる決まりだった(なぜ?)ので、わたしは毎日Bとふたりきり(家が近いAは一旦家に帰っていた)。
最初の頃は頑張って話しかけたり、話題を提供するようにしていたが、その日のBの機嫌によって全く盛り上がらないことが多かった。
疲れたわたしはBと話すのをやめた。
それからは毎日、同じ部屋にいるのに無言という謎状態で昼を過ごした。ストレスだった。
そして、そんなふたりがずっとバトルをしているのが、最高にくだらないなと思った。
そんなことに巻き込まれている自分が情けなくなった。
■暇は人を狂わせる
女のバトルもしょうもないが、他にも問題があった。
早く帰れる代わりの代償といえば、薄給。
でもそれだけでなく、とてつもなく暇だった。
”暇”と聞くと羨ましがられることも多かったが、実際は苦痛だ。
「他にすることありませんか?」が通じないのだ。
経費精算は週に一度だし、本社に書類を送るのは月末だから、それ以外は発注業務のみ。
そんなに大変な仕事ではないので、終われば手が空いてしまう。
特に昼過ぎの15時から定時までが長く感じられた。暇そうにしていても誰に責められるわけでもないので、窓の外をぼおっと眺めたりして、心は雲の中にたゆたっていた。
「この仕事、わたしじゃなくてもいいな」
「毎日時間がもったいないな」
「どうせなら好きな仕事がしたい」
「あれ?好きな仕事ってなんだろう!?」
暇に耐えられなくなったわたしが、暇な時間を使って延々と考え続けた結果出たのがこの考えだった。
ここから「広告」という仕事について、もう一度考えるようになる。
次回「コピーライター養成講座にたどりつく」をお送りします。
続きはこちら▶︎vol.6
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