ズタボロな経歴を語る vol.1
「広告制作の仕事」のイメージ
「コピーライターやってます」
と言うとだいたい
「へぇ〜すごい!かっこいい!」
と言われる。
その後に続く言葉は
「周りにそんな人いない!」
「いいなあ才能があって」
「俺も営業やめてそういう仕事したい」
などなど。
コピーライターっていかにも人生うまくいってる人っぽいけれど、そんなことはない。
わたしの転職回数は実に4回。
今の会社は5社目だ。
経歴がズタボロすぎて、もう怖いものなどない。
ここにたどり着くまでにめちゃくちゃ時間がかかってしまった。
それまでに何があったのか、就活から振り返ってみる。
自分を偽りすぎて自分がわからなくなった就活生時代
就活。大学卒業前の最後の砦。
当時やりたいことがわからなかったわたしは、学内の「就活ゼミ」に入ることに。
就活ゼミは、就活コンサルタントの先生が選抜したメンバーからなる「大企業への就職」を目指す集団だった。
所属した直後に先生に言われたこと。
「あなたはアピールポイントがあまりないから、いまのうちにエピソードつくっときなさい」
いま思えばそのときに自分を見つめなおせばよかったのかもしれない。先生から同じことを言われたゼミのメンバーと一緒に、沖縄へボランティアに行った。得たものはあったかもしれないが、当時のわたしに言ってやりたい。違う、そうじゃない、と。
ゼミでは秋頃から面接時に話すエピソードを考え始めた。ボランティアのエピソードも含め、わたしは3つのアピールポイントを作った。
・ボランティアに参加する積極性
・学生団体で副代表をやった積極性&集客力
・靴屋のバイトでノルマを達成したこと
この時点でお気づきだろうが、これは完全に営業職向けのアピールポイントである。いつのまにかわたしは営業職を目指していた。
なぜか?
おそらく大企業=営業or事務という固定概念がゼミにあったからだ。本当に安直だった。
指導したのは先生と外部の元新聞記者。
「アピールポイントがないんだったらストーリーをつくるしかない」
そんな雰囲気だった。
上記のアピールポイントは嘘ばかりだ。
ボランティアは汗水たらして誰かを幸せにするようなものではなかったし、副代表をやったけど人前でしゃべるのは苦手だった。
靴屋のノルマは本当に苦痛で、達成できないことを副店長に毎回ひどくなじられて辞めた。
それなのに、だ。それをうまいこと利用してエピソードをねつ造した。元新聞記者は、つくったエピソードが大人に響くかどうかをチェックするためみんなに新聞に投書させた。
結果から言うとわたしの投書は全国版の新聞に載った。うれしかった。エピソードが認められたことよりも、文章を評価された気がしたからかもしれない。
でも、元新聞記者はこう言った。
「あなたのよりおもしろいエピソードあったのにね」
一気に心が折れた。
とはいえ、時はすぎて就活解禁。
わたしは仕込んだエピソードをすらすらと話す練習を続けた。
続きはこちら▶vol.2
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