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キャリアバラエティ Vol.43 岩尾至和さんの場合

キャリアバラエティ、今回ご紹介するのは一般社団法人言葉のかけはし代表の岩尾至和さん。難聴の子どもたちがいろいろな機会に挑戦できるサポートや啓蒙活動に従事されています。理系で機械工学を専攻していた岩尾さんがキャリア教育に関わるようになったきっかけや、今の活動に至った理由、これからの思いなどをお聞きしました。


【岩尾至和さんのキャリアバラエティ1/8】

大分県別府市で生まれ育った岩尾さん。幼少の頃から水泳をはじめ、小学生の頃には本格的に選手を目指して取り組んでいたそうです。小学校6年生の時にはロスオリンピックが開催されたこともあり、卒業文集には「オリンピック選手になる!」と書いたとか。水泳漬けの毎日でしたが、高校生になった頃から世界を目指すトップクラスの選手との実力の差を感じ始め、ラグビーに転向します。

【岩尾至和さんのキャリアバラエティ2/8】

大学進学は車が好きという理由で機械工学が学べる学部を中心に受験。なかなか思うような結果が出なかったところ、先生の勧めもあって神戸の大学に進学します。大学では上級生と同室という昔ながらの寮生活も経験。上下関係の厳しい環境だったそうですが、寮生活は楽しかったとおっしゃいます。

大学院への進学も選択肢としてありましたが、早く独り立ちしたいという希望を持っていた岩尾さんは就職を目指します。車好きでエンジン開発をやりたいと思っていましたが、景気が後退していた時期でもあり、就職活動は苦戦したそうです。


【岩尾至和さんのキャリアバラエティ3/8】

先生からの紹介もあり、大手メーカーに入社が決まります。大学時代に学んだことが活かせると意気込んでいましたが、実際には全く分野の違う仕事に就くことに。同期入社も多く、ここでも寮生活を楽しんでいましたが、肝心の仕事にはなかなか興味が見出せず、このまま続けて良いのだろうか?と迷いが出始めます。

ずっと好きだった車に関わる仕事がしたいと、地元に戻り、職業訓練校で整備士を目指して学ぶことになりました。




【岩尾至和さんのキャリアバラエティ4/8】

整備士の資格の勉強をしている時に大阪の会社の求人を見つけ、転職します。学んだことやスキルが活かせる職場でもあり、期待されての入社ではありましたが、一方でまだまだ技術が追いつかず、なかなか自信が持てずにいたため、プレッシャーは相当なものだったそうです。

体調を崩したこともあり、退職。再び地元に戻り、転職活動を行いますが、自分のやりたいことが見つからず迷いながらの仕事探しになりました。縁あって非破壊検査検査を請け負う会社に入社。細かな部品の検査など苦手に感じる仕事もありましたが、徐々に仕事を任せられ、面白いと思うことも出てきたそうです。

このまま続けていくかどうか悩み始めた頃、上司から誘われ、新しい会社に移ります。



【岩尾至和さんのキャリアバラエティ5/8】

新しく移った会社では、従来の検査業務だけではなくさらに業務を拡張しようと奔走していましたが、ちょっとした誤解からトラブルに発展。さまざまなことが重なり、岩尾さんは退職を決意します。

次の仕事を探そうとするも、やりたいことがなく、何をしたら良いのか途方に暮れる日々。そんな時に本屋で1冊の本に出会います。「30分で天職が見つかる方法」と題した内容でしたが、読後すぐに見つかったわけではありません。著書の肩書きにあった「キャリアカウンセラー」の文字が目に止まり、キャリアカウンセラーに興味が湧いてきました。決して成功ばかりではない自分の転職経験が誰かの役に立つかもしれない!と思った岩尾さんはキャリアカウンセラーの勉強を始めます。



【岩尾至和さんのキャリアバラエティ6/8】

講座に通い、キャリアカウンセラーの資格を取得した岩尾さんですが、資格があるからといってすぐに仕事ができるのか、どうやって仕事をするのかわからないこと、不安なことでいっぱいでした。いろいろな人に相談していく中で、偶然、鹿児島で高校生にキャリア支援を行う仕事を見つけます。やりたかったことはこれだ!とすぐに手を挙げたところ、偶然が重なり、正社員として迎えられることになりました。

カウンセラーの資格を活かして講師として仕事をしたいと考えていた岩尾さんですが、事業の責任者として営業も行います。営業や企画、講師などさまざまな経験ができ、面白く充実した日々だったそうです。


【岩尾至和さんのキャリアバラエティ7/8】

いつか講師として独立したいと考えていた岩尾さんは、会社を退職し、事務所を構えて独立します。意気揚々とスタートしましたが、現実はなかなか厳しく思うようにいきません。お子さんが産まれたこともあり、再び就職をすることになりました。

岩尾さんのお子さんは難聴というハンディキャップを持って産まれてきました。どういった状態なのか、どのようなサポートが必要なのか、将来は?など不安や疑問がたくさんあり、巷にはネガティブな情報ばかりが溢れています。そんな時、難聴で活躍しているボディボーダーの存在を知り、ハンディキャップがあっても楽しく生きている人がいる!と大きな希望を抱くようになりました。



【岩尾至和さんのキャリアバラエティ8/8】

難聴などの聴覚障害は外からその障害が解りにくいことから、なかなか周囲に理解してもらえず、適切なサポートが受けにくい状況にあります。岩尾さんは家族会を立ち上げ、難聴の子を持つ家族同士でいろいろなことを聞いたり話したりする場を作ります。本人や家族のサポートのみならず、周囲に理解してもらうこと、啓発、啓蒙が大事と考えるようになり、2021年には社団法人を立ち上げます。現在は難聴の啓発活動や難聴者のキャリア支援に取り組んでいます。コミュニケーションを工夫することで、難聴者もいろいろな仕事ができる、その可能性を広げたい、そのためにはまず知ってもらうこと、とおっしゃる岩尾さん。「パパの仕事はこれだよ」と胸を張って言える父親でありたいとおっしゃる岩尾さんの今後の活動の広がりがとても楽しみです。


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