キャリアバラエティvol.53 海上尚美さん(うみさん)の場合
キャリアバラエティ、今回ご紹介するのは、昨年の春に東京から北九州に移り住んだ海上尚美さん。通称うみさん。長く東京の高校で教員をされていたうみさんが、教員になったきっかけや北九州に転居することになったいきさつなどをお聞きしました。
【海上尚美さん(うみさん)のキャリアバラエティ1/5】
東京育ちのうみさん。小中高ともに地元の学校に通っていました。中学校時代は、仲の良い友人はいましたが、たくさんの友人に囲まれてわいわいと過ごすような学校生活には今ひとつ乗り切れず、集団の中ではマイノリティだったとおっしゃいます。
高校は、お母様が薦める学校に進学。自転車で通えるこれまた地元の高校でしたが、芸術方面で活躍する卒業生を多く輩出していることもあってか、多様なクラスメイトに囲まれ、居心地はよかったとのこと。未経験なのに剣道部に入部したり、文化祭の実行委員を担ったりと楽しい高校生活を送っていました。
大学へ進学したいと考えていたうみさんですが、積極的にこれが学びたい!ものはなかったそう。小さな頃に読んだ本に影響されて社会問題に関心を持っていたこともあって、法学部政治学科へと進学します。
【海上尚美さん(うみさん)のキャリアバラエティ2/5】
少人数制の大学であったため、ゼミは狭き門でしたが、なんとうみさんは3つのゼミで学びます。ちょうど野党が初の政権を取った時代でもあり、政治史が身近で面白かったとおっしゃいます。
卒業が近づくと、同期は就職活動に精を出します。うみさんは、お母様の薦めもあって教職課程を取っており、教員採用試験を受ける準備をしていましたが、もう少し勉強したいなと思い、大学院に進学します。
ご両親にとって大学院進学は想定外。学費を稼ぐためにアルバイトに精を出しますが、授業にもしっかりと出席。かなりの単位数を取得したそうです。修士論文の執筆は難航しましたが3年かかって修了しました。
大学院修了後は、ちょうどバブル崩壊後の不景気真っ只中、超氷河期時代でした。就職活動も難航、教員採用試験を受けるものの不合格となってしまいました。
【海上尚美さん(うみさん)のキャリアバラエティ3/5】
うみさんのキャリアのスタートは、私立の中学、高校での非常勤講師の仕事でした。非常勤とはいえ、週に20コマとなかなかのハードスケジュール。やりがいを持って勤めていたものの、非常勤という立場ゆえ、1年で契約終了となってしまいました。翌年は私立男子校で週12コマを担当しますが、同時に予備校でのチューターも始めます。
翌年、無事に教員採用試験に合格、晴れて都立高校の教員となりました。
が、着任した学校は、いわゆる「荒れた」学校。出席日数の足りない生徒、問題を起こす生徒も多く、授業だけではない高校教師のリアルに直面します。卒業できない生徒も多く、辞めたあとどうするのだろう?高校は何のために存在するのだろう?と考え始めるようになったそうです。
【海上尚美さん(うみさん)のキャリアバラエティ4/5】
その後、うみさんは三部制の高校に赴任します。朝、昼、夜とさまざまな事情や生活スタイルに合わせて通学が可能なパートタイム制の学校でもあります。外国籍の生徒、さまざまな背景、家族環境を持つ生徒も多くいました。学校独自の科目が設定できる制度があり、「博物館学入門」を担当することになったうみさん。当初は専門家が講義に来る、という触れ込みだったものが蓋を開けたら何も決まっていない状態。自分でなんとかするしかないと、情報を集め、授業を運営し始めます。以前から、講義型の授業の限界を感じ、ファシリテーションを学び導入していたうみさん、美術館でもらった「青山学院大学ワークショップデザイナー育成プログラム(WSD)」のチラシがきっかけでWSDで学ぶことになります。激務の中での受講は、実習中にうとうとしてしまうほど大変だったそう。
また、教員向けの長期派遣研修制度を活用して、大学院に進学し、博物館学を研究します。
その後、都内唯一という芸術高校に赴任。折しもコロナ禍真っ只中。最初の緊急事態宣言が発令された時期でもあり、授業は休講となります。芸術系の高校ゆえ、実技指導や受験指導など、学校に期待される役割も大きく、保護者からのプレッシャーもありました。
【海上尚美さん(うみさん)のキャリアバラエティ5/5】
三部制高校や芸術高校など、全日制普通科とは違う環境で教員生活を送っていたうみさんは常々「高校は何をするところなのか?」「何のためにあるのか?」という問いを抱えていました。高校以外の場所で働いてみよう、とおぼろげに考えはじめた頃、知り合いが高専の教員になったことを知ります。それまで選択肢として持ち合わせていませんでしたが、偶然にも北九州から公募が出ていたこともあり、応募し見事に合格、採用となりました。
東京以外の場所で暮らすのもはじめてといううみさん。ご両親は少しびっくりされたようですが、うみさんの新しい挑戦を静かに受け入れてくださったそうです。まだ地理感覚がなくて、とおっしゃるうみさんですが、課外活動の引率や学外での活動の範囲も広めながら、九州ライフを楽しまれています。いろいろな場で、多様な経験をされてきたうみさんがこれから先どんな新しいことにチャレンジされるのか、楽しみです。