キャリアバラエティ Vol.38吉原さくらさんの場合
キャリアバラエティ、今回ご紹介するのは、大学教員の吉原さくらさん。一口に大学教員といっても、学生への指導だけではなく様々な校務をこなすなど八面六臂に活動中です。さらには個人でのお仕事も継続されている吉原さんのこれまでのキャリア、これからのことをお聞きしました。
【吉原さくらさんのキャリアバラエティ 1/4】
東京・新宿区生まれの吉原さん。いわゆる歓楽街ではなく、ごく普通の住宅街で育ち、地元の公立小学校に通いました。引っ込み思案でいながらも周りに流されないマイペースさからか、小学校時代はいじめられっ子だったとか。高学年になると塾に通うようになり、きちんと一人の人として向き合ってもらえたことが嬉しく、勉強にも精を出した結果、中高一貫の女子校に進学します。
剣道部に在籍しましたが、人間関係を作るのは不得意で、地味に過ごしていました。転機となったのは、高校時代、学級委員に立候補したことでした。学級委員という立場になったことで、不器用ながらも同級生とのかかわりが一気に増したと仰います。
お母様からの助言もあって、心理学を勉強しようと大学は文学部に進学します。3年生の時に、社会人との勉強会に参加し、行動分析学の面白さ、楽しさに目覚めます。
【吉原さくらさんのキャリアバラエティ 2/4】
勉強会をきっかけに、大学外の人と共同研究をしたり、学会に参加するなど、探求を続けていた吉原さんは、「心理学を社会に応用する研究をしたい」と考え、大学院へ進学します。進学先の大学院では、人事の研究と、機械をより人に使いやすくするためのヒューマン・インターフェースの研究に取り組みました。
大学院修了時、世の中はITバブル期でもありました。吉原さんは、ITの仕事では、プロジェクトマネジメント等を通じて、技術と人のマネジメントの両方を実践できるのではないかと考え、IT業界に就職します。入社後に配属されたのは、運用管理の部門で、ゆくゆくは開発に携われるのかと思っていただけに、残念だったと言います。
【吉原さくらさんのキャリアバラエティ 3/4】
想像していた仕事とは違う環境でしたが、入社2年目には社内の仕組みや運用などの改善点を洗い出し、上層部に働きかけるなどかなり積極的に改善、改革活動を行っていた吉原さんですが、なかなか思うように周りは協力してはくれませんでした。現場からボトムアップで変革していくのは限界がある、それならばコンサルティングする立場から改革、変革をしていけばよいのではないかと考え、コンサルティング会社に転職します。
転職したコンサルティング会社では、人事制度の設計や大型の企業合併に伴う人事制度の統合など、大きな仕事にも携わりましたが、行き詰まりも感じていたと言います。きちんとした仕事をすると、当然のことながら次から次へと仕事がやってきます。となるとこなすことに精一杯できちんと向き合って仕事をすることができなくなる。この連鎖がつらく、挫折も味わったそうです。
そんな頃、パートナーが仕事先に福岡を選択したことから、吉原さんも会社を辞めて帯同し、福岡での新生活をスタートさせました。
【吉原さくらさんのキャリアバラエティ 4/4】
福岡に来た当初は、いわゆる「専業主婦」。友達を作りたいと、いろいろな場に出かけていき、自分でも飲み会を主催するようになりました。そこで交わされる「どんな仕事をしてるんですか?」「元〇〇で…」という会話が徐々に厳しくなり、そろそろ仕事をしたいと考えた頃、講座で知り合った人から仕事を紹介されます。これを機に、アルバイト的に就職支援や研修講師の仕事を始めるようになり、フリーターよりもフリーランスの方がかっこいいのではないか?と考え、軽やかに独立・開業し、個人事業主としてスタートします。
しばらくは研修講師や人事コンサルティングなどの仕事をしていましたが、中小企業庁委託の中小企業お経営支援業務に関わり、経営コンサルティング領域にも踏み出しました。これまでも大学での非常勤講師の仕事をしていましたが、イベントのパネリストに招聘されたことをきっかけに、大学から専任脅威としてスカウトされ、経営支援業務の任期満了を機に、大学での専任教員の仕事を始めました。
大学の仕事は、スピードが速く、部門長として部下を持つなど、これまでにない経験を重ねていると仰る吉原さんに、これから先どんなことをしてみたいかお聞きしたところ、「具体的には考えられていないけれど、発信者、語れる人になりたい」とおっしゃっていました。やらなければいけない仕事の中にも、得意なことを見つけ、やりたいことが叶っているのが嬉しい、とおっしゃる吉原さんがこれから先、どんなことを発信し、語っていくのかとっても楽しみです。