キャリアバラエティ Vol.34岡本耕平さんの場合
キャリアバラエティ、今回ご紹介するのは、熊本県玉名市の地域若者サポートステーション(サポステ)で主に若い世代の職業的な自立をサポートされている岡本さん。大牟田市で生まれ育ち、人に関わる仕事を長く続けてこられた岡本さんが今の仕事、今の働き方に至るきっかけやこれからのことをお聞きしました。
【岡本耕平さんのキャリアバラエティ 1/4】
大牟田市で生まれ、高校卒業まで大牟田で暮らした岡本さん。小学校時代はとても人見知りで友達を作ること、友達と親しくなることが苦手だったと言います。というのも大牟田は炭鉱の町として知られ、三池炭鉱の発展とともにありましたが、岡本さんが小学生の頃はちょうど炭鉱が閉山される時期。それまでは転校生の多い地区でしたが、仲良くなった同級生が次々と転校していくことがとても寂しく、喪失感を覚えることもあったそうです。
そんなこともあってか、中高時代もあまり人付き合いが活発な方ではありませんでした。真面目に勉強するタイプだったので成績は比較的よく、地元の進学校に進みますが、部活動に精を出すこともなく、学校と家を往復する生活…。それまで優等生だった岡本さんですが、進学校に入ると周りは優秀な人ばかりで挫折も味わいました。勉強をする意味が見いだせなくなくなった岡本さんは、大学進学にあたって「大牟田を出よう、大牟田から外に出ることで活路を見出そう」と、地元を離れることを決意します。
【岡本耕平さんのキャリアバラエティ 2/4】
本当は東京の大学に進学したいと思っていた岡本さんですが、家族の反対もあり、福岡の大学を受験。現役時に経済学部に合格していましたが、本当に自分がやりたいことなのだろうか?と自問し、1年間の浪人生活を送ります。自分自身が興味が持てるものは何か?どんなことに問題意識を持っているのか?を考えた結果教育、心理の分野に進みます。
大学入学を機に、福岡に移り住むことになりましたが、大学時代の岡本さんは勉強はあまりせず、学内の友達付き合いもあまりなく、アルバイトとゲームに明け暮れる日々だったとか。2年生になった頃、何のために大学に来たんだろう?このままではダメだ!と思い立ち、大学での学校生活を中心に過ごすことを決意します。そして、学園祭の実行委員になります。学内の知り合いもいない中での実行委員の活動は何もかもが目新しく、実行委員活動がきちんと組織化されていることに驚き、また、仲間みんなと作り上げる感覚が新鮮で楽しく、気づくとどっぷりと活動にはまっていたとおっしゃいます。
そして、就職を考える時期になりました。当時は就職氷河期でもあり、周りは活発に活動をしていましたが、岡本さんにはやりたいことが見つからずにいました。
【岡本耕平さんのキャリアバラエティ 3/4】
実は岡本さんは教育を専攻しながらも教員免許は取得しなかったのですが、その代わりに心理や福祉系の科目を履修していたそうです。やりたくないことを考えていく中で、「人」に関わる仕事がいいかも!と思うようになりました。人を大切にする仕事がしたいと考え、最終的に、人材派遣サービス会社に営業職として就職が決まりました。
とは言え、人見知りを自認する岡本さんは、営業職には不安もありました。入社してすぐに、体育会気質の社風に気後れしてしまいましたが、同じ部署の上司、先輩がとても親身になってくれ、部署みんなで楽しく仕事ができる雰囲気だったことから、仕事にも精を出すようになりました。どうしても数字や実績が重視される営業職ではありますが、岡本さんは数字を上げるだけではない貢献の仕方があるのではないかと考え、徐々にご自分なりのスタイルで実績をあげていくようになりました。
会社員時代は何度か「もう辞めよう」「まだやれる、やることがある」という波を経験しましたが、最終的に「やれることはやった!」という手ごたえや達成感を得られたこともあって、5年務めた会社を退職。その後、声をかけてもらった人材、組織に関わる仕事を始めますが、会社の事業方針が変わったこともあり、働き方を見直すことに。ちょうどその頃、ご家族が体調を崩されたこともあって、一度、大牟田に変える決意をします。
【岡本耕平さんのキャリアバラエティ 4/4】
大牟田に戻り、これからどうするか考えていた岡本さん。熊本に拠点を作るので手伝ってくれないかと打診が入り、事業の立ち上げサポートや準備を手伝ったりしながら過ごしていたそうです。会社員として働くのではなく、フリーランスとして活動しようか?と考えていた頃に、非常勤のカウンセラーの募集がありました。前職の人材紹介での経験から、働く人の支援をしたいという思いもあり、応募。サポステに関わることになりました。
サポステでの仕事を始めてしばらくたった頃、パートナーの病気が発覚します。一緒に過ごす時間、サポートする時間を第一に考え、フリーランスとしての働き方を選択しますが、依頼されたことに応えているだけではないか?もっとしっかりと関わりたいと考え始め、サポステに専従で関わり、責任者として仕事をすることになりました。
サポステの責任者となって4年目、幸いなことにパートナーの病気もよくなり、ご家族の体調も回復、落ち着いて安心して仕事ができるようになりました。
これまではキャリア支援をメインに関わってきましたが、就職だけではない問題を抱えている人がたくさんいる現状も知り、幅広い視点を持ってサポートしていきたい、とおっしゃる岡本さん。どんなときでも自然体で、必要なことをしっかりと見極めていく岡本さんのこれからの活動がどう展開していくのか、とても楽しみです。