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私のキャリアを変えた一言

現在51歳無職、、人生の転機だと思っています。職務経歴書を見直しながら今までの10社での出来事を振り返っています。

今でこそ、仕事にマニアックに向き合って転職を繰り返してきましたが、20代から30代前半は全く何も考えていませんでした。

たまたまご縁があった会社で働いていましたが、2人の上司と取引先の部長からありがたい言葉をいただきました。

改めて思い出すと、彼らの言葉がなかったら全く違うキャリア人生を歩んでいたかもしれません。

どうしたいの?

26歳から30歳まで勤務した5人の商社の当時30代前半の上司(営業と経理の何でも屋)の言葉。

3社目でしたが、初めて商社で受発注業務。最初は物とお金の流れがよくわからず混乱して、毎回上司に相談していました。

ある日、上司から言われた言葉が「君はどうしたいの?」私は自分で考えず全て答えを上司からもらっていたと気づきました。

その後は、悩んだ際はまず自分で考えて、自信がなかったら「私は⚪︎⚪︎だと思いますが、大丈夫でしょうか」と自分の意見を伝えるようになりました。今思うとこの出来事は、一番大きな転機になったと思います。

粘土細工だね

3社目の取引先メーカーの両親と同世代の営業部長の言葉。

同世代の前任者は、背が高い華やかな美人でバリバリ仕事ができる方でした。私は見た目もマインドも全く逆のタイプで、引継中ずっと劣等感。

営業部長は、素人の私にも対等に接していただきました。多分私が悩んでいることを察したのか、「前任者はガラス細工で、Red cloverさんは粘土細工だね!」と。

あぁ、、前任者と違い私はまさに地味な粘土細工ですです。。と落ち込みましたが、どうやら見た目はさておき、前任者はガラスのハートで壊れやすいが、私は粘土のようにフレキシブルと言う褒め言葉だと言われました。

この言葉は、光が見えて初めて仕事で自信がつきました。

私はどの会社でも国籍、役職問わずよく言えば普通に自然体で、悪く言えば馴れ馴れしい(例のイギリスのコンサルの言葉)コミュニケーションを意図せず取っていたのは、この会社の経験がベースにあると感じております。客先は中小企業の社長が多かったのも影響してますね。

ルーティンか動きがある業務どちらに興味がありますか?

4社目の派遣で働いた大手総合商社(名古屋の不夜城と呼ばれる残業が多い会社)の面接の質問

新しいこと好きなので「動きがある業務です。」と即答しました。おかげさまで初めて本格的に自動車業界のイロハを学び、タイの現地法人とのやり取りを経験できました。

派遣でも希望を聞いていただける素晴らしい上司でした。

残念ながら3名とも退職後は繋がりはありませんが、仕事に対する考え方のベースを作ってくれたので感謝しております。

今思うと、4社目からがむしゃらに仕事を頑張り始めたのかもしれません。(この会社から肩こりが慢性化!!)頑張り続けた理由は色々ありますが、長くなるのでまた別の機会に振り返ります。

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