「〇〇離れ」は、離れるも何も一度もくっついてない人に使われている
若者の「車離れ」「野球離れ」「ゴルフ離れ」「アルコール離れ」
変な言葉である。その若者たちは一度もそれらとくっついたことがないから離れたこともない。
しかもなぜか、この言葉を発するものたちが被害者で、若者が加害者であるような批判的なニュアンスも匂う。
かつて若者であった自分は、それらの言葉を聞くたびに不思議な心の騒ぎをかんじていた。
正確にいうのであれば、「車のトレンド離れ・役割変化・役割終了」「社会の車離れ」などではないか?
“若者”は一括りにできるものでないし、時代で変化しないものでもない。
車が好きな人は好きに乗れば良い、ゴルフをやりたければやれば良い。
同時に、それらに興味がなかったり、それらを必要としない人間を、大人の愉しみを知らない、コスパばかり追い求める人間のように蔑む必要もない。
哀れなことに、「離れ」という言葉をつかってしまうことが「離れ」の原因ともなる。
「離れ」という無遠慮な言い方には、一流はゴルフや高級車をたしなむ、アルコールを飲めることが強さの証拠のような圧力が潜んでいる。
その人間の優劣つける考え方こそが、「離れ」をさらにうむ。
この言葉を使うマーケターやコメンテータ、企業の類の方は自身の常識のあり方を見直してみては如何であろうか。