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My pleasureで支えあう
今日は妻の誕生日を祝った。
僕と妻は、誕生日の時におたがい腕によりをかけて食事を作って、付き合っていた頃よりも安いけど気の利いたプレゼントを渡す。
相手に喜んでもらえるのは、とてもうれしい。
とても難しいけれど、どんなことをしたらいいかを考えて、実行するとき幸せを感じる。
誰かに喜んでもらおうとすること、それはどこまで行っても自分のためだ。
喜んでほしくて。
日頃のお返しに。
なんとなく。
相手を想っているけれど、自分のためにやっている。
英語の「どういたしまして」にはいくつかの表現があるけれど、その中に
"My pleasure"という表現がある。
自分がやりたくてやってるし、それで喜んでもらええ嬉しい。
なんて的を射た表現なんだろう。
でも、みんながMy pleasureで愛を与えあうだけでは、続かない。
「ありがとう」やお返しのためにやるのではないと言いたいところだけど、やっぱりお返しは必要だ。
誰もひとりでは生きていけないからだ。
大学生くらいまでの若いころまでは、自分だけで生きる力をつけたいと思っていたけれど、それは勘違いだった。たくさんの生き物の犠牲の上で生き、過去・現在の人類の知恵や周りの人の支えで、自分は生きている。
じゃあ、何が重要なのか?
それは、自分を支えてくれている人やモノに気づき、認めて、返すことだ。
そして、与える側は、どこまでいっても自分のためだという、限界を知ったうえで、精一杯相手を想って行動すること。
会社やスーパーマーケット、電車では、やってくれている人の顔が見えなかったり、そもそも匿名だったり、善意がお金に換算されている。
お金に換算されていないMy pleasureが普段見えない。
感謝でつながるような世の中にしたい。
社会に影響を与えるのは自分ごときには難しいけど、周囲の人を想って行動できるようになりたい。日々家族や職場、買い物をするときに、自分にしてもらっていることに敏感になって、感謝を伝えたい。