その場その時しか味わえないことをもっと大切に ~娘の卒園式での失敗~
過ぎ去った娘の卒園式
昨日は、娘の保育園の卒園式だった。
入園したころ、まだまだ小さかった娘が、成長した姿には感動するものだ。
5年間ほどやってきた毎日の送り迎えが無くなることは、親にとっても大きな生活の変化だ。
娘たちにとっては、これが初めての大きなお別れだろう。
毎日のように遊んだり喧嘩したりしたクラスの仲間たちと、この先ほとんど会わなくなる。
卒園式や卒業式だけでなく、結婚式や葬式などのイベントもそうだ。関わる人にとってとても大きな意味がある。だから、大事にしたくなる。なのに、一度寝て起きると、すっかりと忘れて次の日を生きている。
僕たちにとって、昨日の大きな大切なイベントはすでに過ぎ去ったものだ。
僕は、卒園式で未来のための記録を撮っていた
ここで考えたいのは、写真やビデオをとりながら、その場を楽しめるか、ということだ。
昨日、保育園につくと、まずはビデオカメラを三脚にセットして、ちゃんと娘を写せるかの確認をした。そして、カメラの露出などの調整をした。
式が始まりそうになると、ビデオカメラをONにして、娘の入場とそのあとの卒園証書授与がちゃんと見えそうな場所に移動した。
園長先生や子供たち、親族の言葉を聞いて感動しながら、その一瞬後にはどんな画角でどんな表情を捉えようかと考えて、シャッターを切っていた。
この時、僕はその場その時の娘や子供たちをちゃんと見ることをせず、ただただ後で見るかもわからない写真を作り続けていた。
イベントで、写真やビデオを撮ると、僕と同じようにカメラやスマホを掲げる人が必ず写る。
先に書いたように、卒園式は終わったら過去のことでほとんど忘れてしまう。そして、卒園式自体を、そこに参加した人や自分自身と経験を分かち合うのができるのは、その場その時しかできない。
僕は、昨日の式を反省して、今後に生かそうと思う。
記録は大事だけど、その場その時を大事にしたい
とはいえ、記録はとても大事。
記録があることで、より鮮明に記憶を呼び起こしたり、他人と多くのものを共有することができるようになるからだ。
でも、記録をしようとすればするほど、その場の経験が薄まる。
だから、記録に集中しないよう、三脚&ビデオにまかせたり、写真屋さんに任せたりしながら、自分での記録は最低限にするようにしよう。
そして、ファインダーやスマホ越しでなく、直接その場や娘と感情や体験を共有しようと思う。
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