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【転校少女*】プロムナードの足跡に見る「ライ麦畑」的要素

アイドルグループ「転校少女*」に「プロムナードの足跡」という曲があります。

ファンによる人気投票では一位になるなど人気曲でもあるこの曲は、J.D.サリンジャーのかの名作「The Catcher in the Rye(ライ麦畑でつかまえて)」からインスパイアされて出来た、という注釈がついています。

転校少女*は他にも、サンテグジュペリの「星の王子様」をモチーフとした「星の旅人」という曲をリリースしていたり、

◆星の旅人

特定の文学作品にインスパイアされていなくとも、歌詞に解釈の幅が広い曲をいくつも持ち曲としている等「文学的」な要素が多いのですが、その中でも「プロムナードの足跡」は代表的な曲です。

◆プロムナードの足跡 ライブ映像

僕は恥ずかしながら「ライ麦畑」をこれまで読んだことがなかったのですが、文学作品から影響を受けたアイドルの曲というのもなかなか見かけず、なじみの無さそうな二つがどういう点でつながりを持っているのかは興味のあるところですし、何よりお家で積ん読状態になっている「ライ麦畑」を読む機会はこうしたきっかけでもないと二度と無いだろうなとも思ったので、「ライ麦畑」を先日読んでみました。野崎孝訳のほうです。

「ライ麦畑」のあらすじは下の通りです。
自分で書こうかと思いましたが、うまくまとめられる気がしなかったので、ネットの助けを借ります。

インチキ野郎は大嫌い! おとなの儀礼的な処世術やまやかしに反発し、虚栄と悪の華に飾られた巨大な人工都市ニューヨークの街を、たったひとりでさまよいつづける16歳の少年の目に映じたものは何か? 

このあらすじに、ネタバレ込みで付け加えて良いのであれば、さまよいつづける16歳の少年「ホールデン」には、ファンタジー的な理想を追い求める子供的な部分も、初対面の人と別れ際に「お目にかかれてうれしかった」と儀礼的なふるまいや外面の良さも出せる(心の中では違和感ありまくりですが)大人な側面が互いに見え隠れしています。

ホールデンの持つこうした二面性は、「プロムナードの足跡」ともリンクする部分があるので、後でまた触れます。

そんなホールデンの語る「やりたいこと」は、広大なライ麦畑の辺縁部に切り立った崖の前で、ライ麦畑で遊んでいるたくさんの子供たちが踏み外して崖から落ちないように捕まえてあげること。

邦題の「ライ麦畑でつかまえて」からのみ読み取るとと「捕まえてほしいのかな?」なんて思っていましたが、原題の「The Catcher~」から分かる通り、捕まえる側なんですね。

もう少し現実的にはNYから離れた、ここではないどこかに身を預けたいー
そんなことを考えてもいたホールデンですが、大好きな妹の存在によって幸せを見出し、思いとどまるといった結末になっています。

子供では無いけれども大人にもなりきれない。
今風の言葉で単純化して「中二病」なんて評するコメントもネタバレサイトで見かけましたが、感受性豊かなホールデンの回想は、一人称で「君」に向かった語り口調で進められます。

このストーリー(回想)の期間はおそらく3日程度なのですが、ホールデンの感情の機微が大きなうねりとなって言動に現れており、まさに「激動」とも言える数々の出来事は、たった3日間の内に起こったこととは思えないほどです。

ーーー

では、そんな「ライ麦畑」にインスパイアされて作られたという「プロムナードの足跡」とは一体どういう曲なのでしょうか。

今回は、プロムナードの歌詞における描写と、僕が最近ようやく読み始めた「ライ麦畑」とにみられる共通点を3つ挙げつつ、曲の全体像を紹介していこうかと思います。

①聞こえないふり

イヤフォンで耳ふさいだ
まぶしい大型のモニター
スクランブルが点滅する
遅れてるよと急かしてる

「プロムナードの足跡」は、ニューヨークが舞台となっている「ライ麦畑」の世界を日本の渋谷に置き換えたような世界観になっています。
この歌詞における「大型のモニター」「スクランブル」なんかはまさに渋谷のスクランブル交差点の風景を連想させますし、2番では「明治通り」も出てきます。

ここでは、「イヤフォンで耳ふさいだ」という表現に特に着目して「ライ麦畑」に当てはめてみます。

「ライ麦畑」の作中には、主人公ホールデンが、会話している相手の言っている内容が聞き取れなくなっている描写がいくつか見られます。
相手と口喧嘩や議論をしている最中に(といっても会話のシーンはだいたい喧嘩や言い合いになってしまっていますが)、ホールデンの頭の中で回想や妄想が膨らんでしまい、肝心の相手からの言葉が上の空になっているのです。

このシーン、個人的な考察を挟むと、相手の言ったことに対して「聞こえないふり」をしているのではないかと感じます。

聞き取れなかった内容は、彼にとってあまり具合の良くない話、言ってしまえば「雑音」なのだろうと文脈から察せます。
そんな雑音を、空想の世界に心を遊ばせることによって一時遮断してしまう、そういう心の動きが見えているような気がするのです。
小さい子が耳を塞ぎ、お母さんの小言を「あーあー」などと声にならない声を出して受け流す、それに似たようなものを感じます。

それを踏まえて「プロムナードの足跡」での「イヤフォン」という単語を考えると、この場合においては単に音楽を聴かせるための役割に留まっているとは思えません。
何かを聴くためだけではなく、周囲の雑音を遮断し、「聞こえないふり」をするための道具という重要な役割を果たしているのではないかと思えてきます。

②相反する感情

「プロムナードの足跡」の1Bメロです。

僕だけが世界中に
取り残されて立ちすくむ
ほんとにいるべき場所がここじゃないなら
答えを誰か教えてよ

ふと立ち止まった時に感じてしまう孤独感をダイレクトに投げかけています。

ところが、直後のサビではこう続きます。

嘘だよ
君だって 僕だって わかってる
ゆずれない夢のありか
戦ってくよ 向き合ってくよ

先ほど「居場所を教えてよ」と歌っているのに、「嘘だよ」と否定しています。
何気なく聞き流すとこのつながりにさほど違和感は覚えない(僕自身、この記事を書くにあたって歌詞をしっかりと読むまで気にもしていませんでした)のですが、どこか不自然です。

思うに、これこそ大人と子供の間で揺れ動く感情を表現している箇所なのでは無いでしょうか。

こういった感情の行き来というのは、世の中の不条理さに大いなる疑問を抱きつつも、あくまで表面上は大人っぽく取り繕った会話もできる「ライ麦畑」のホールデンの二面性的な言動パターンと似ているような気がしてなりません。

そして、「向き合ってくよ」という言葉は、「ライ麦畑」にもみられるある象徴的なワードで置き換えられます。それが3つめです。

③不条理なこの街へ 今キスするんだ

「どうせ」なんて 「だって」なんて 言葉で
都合よく生きていたくない
不条理なこの街へ 今 キスするんだ

最後に、サビでのこの一節に触れて「プロムナード」の紹介を終わりにようかと思います。
「不条理なこと」への抗いと「キスするんだ」という言葉の相容れなさについては②で上述したような考察で片づけるとして、ここでは「キス」というワードに着目してみようかと思います。

これは2番サビですが、同じ箇所の1番の歌詞を観てみると

デタラメなこの街で 今 踏み出すんだ

とあります。1番も2番もどちらもなんとなくニュアンスとしては同じことを言っているんだろうなというのは分かりますが、言ってしまえば1番はよくありがちな歌詞ですよね。

それに対して2番の「キスするんだ」。
「プロムナード」は恋愛や愛情を歌った曲でもありませんし、独特な言い回しだな、という感覚です。なぜこの表現にしたのでしょうか。

こちらも、「ライ麦畑」のフィルターを通すことで、その理由が見えてくるような気がしています。

「ライ麦畑」では、主人公のホールデンが誰かにキスをしている描写がちょこちょこ見られます。クラブで知り合った女の人、数年前に仲良くしていた女の子・ジェーンとの回想シーン、妹と会うシーン。ちょこちょこといってもこれくらいですが。

アメリカでは日本と違い、あいさつ代わりにキス(チークキスなどでしょうか)することへの抵抗はそこまでないであろうとはいえ、個人的にはそのシーンが何か印象的というか、目立っているような気がしていました。

なぜなのか。気分屋で周りの人を困惑させるホールデンですが、作中において唯一といっていいくらい分かりやすく彼の感情が読み取れるのが「キスする」という行動だからなのではないかと思うのです。

これまで書いててきましたように、「ライ麦畑」でのホールデンの心の中は絶えず揺れ動いており、さっきまでやろうとしていたことを「気が乗らない」とか言ってやめにしてしまうシーンなど「気分屋」を思わせる箇所が数多く見られます。
自分だけで完結するならいいですが、そこに相手も巻き込まれるといい迷惑です。そのせいで口げんかになったり、トラブルになってしまうわけです。

なにか行動に起こすことも突発的で、何を考えているのかまるで掴めないホールデンの言動なのですが、妹と会ったときや女の子と遊んでいる際に、おそらく感情が高ぶったのでしょう。くだんの「キス」をします。

そこまで読み進めてはじめて分かるわけです。
この場面ではホールデンの心が解れたんだなと。
彼の行動のメカニズムについては不明なことも多いのですが、「キス」のシーンではわりと心情が把握しやすいように感じます。
相手の中に自分の居場所を見つけたように感じてこのような行動に移ったのでしょう。受け入れられたかはともかく。

少し「ライ麦畑」の考察になってしまいましたが、以上のことを頭に置きながら、「プロムナード」の「キスするんだ」という歌詞を解釈します。

この歌詞に流れでは、世の中の不条理さへの絶望や、しかしそれを飲み込まなければ生きていけない理不尽さからは逃れられないことを自覚しながら、そこになんとか居場所を見つけようとしており、そんな心の動きの象徴として「キス」というワードが選ばれたのではないでしょうか。

「ライ麦畑」はすべてが回想ですから「キスした」と過去形で語られますが、「プロムナード」では「するんだ」と未来形で強い決意になっています。

足跡を残して行くのが
大事なんじゃなくて
残してきた足跡に
今の自分がどれだけ胸を張れるのか

サビではありませんが、この歌詞からもジュブナイルな心模様からの脱皮、決意を感じます。

はじめはイヤフォンを使ってでもなんとか雑音を書き消していていたような少年が、最後には受け入れて立っていこうとする

決意を歌った曲は数あれど、一人の多感な男の子の感情がストーリーのようなものとなり、ここまでの実感をもって聴こえてくる曲はあまりないのではないでしょうか。

ーーー

ここまでいろいろと考察めいたことを書きましたが、こうした理屈抜きに名曲です。
ピアノやストリングスが響く伴奏だけを聴いても、聞きほれてしまいます。
一聴の価値はあるのではないでしょうか。

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