【ライブアイドル】2021年女性アイドル良曲7選
今回は、間もなく2021年も終わるということで、この一年間に出会ったライブアイドルの曲で特に印象深かった曲をピックアップして紹介してみようと思います。
7グループから、一曲ずつ選びました。
毎年年末になると、「アイドル楽曲大賞」というファンによる曲の人気投票イベントがあるのですが、今回の選曲にはアイドル楽曲大賞ほどの厳密さはありません。
一部はまだ音源化・リリースされておらず、対象外の曲もあろうかと思いますが、気にせず書いていきます。
でも、ここに書いたグループや曲は、ライブアイドル界のほんの氷山の一角にすぎません。
テレビなどに出演する、メジャーとされるアイドルは数的にそこまで多くないので、楽曲大賞でもある程度はカバーできそうなのですが、裾野の広いライブアイドルは掘っても掘っても底が見えてきません。
他の方のnoteやブログを拝読すると、あつかうテーマは同じライブアイドルであるはずなのに観ているグループや曲が全くかすりもしないことが多いです。
好みの問題もあろうかと思いますが、改めて、奥の深い世界と感じます。
1. フォークソング / リルネード
自分が観てきたこの1年間で、リルネードに対しては「可愛い・フワフワだけではない」というイメージがしっかりと染みつきました。
外側には、男性がいかにも好きそうな可愛さであったり、女性が憧れそうなキラキラ感が詰め込まれています。
メンバー3人のバランスも良く、それぞれのキャラが被っていません。
これはなかなか他の追随を許さないのですが、もっと踏み込んでいくとそこだけではない魅力があります。
それはライブのパフォーマンスであったり、歌声の強度であったりするのですが、今回はこの「フォークソング」を通じて書いてみたいと思います。
1月にリリースされたこの曲、衣装は王道アイドルそのものです。
イントロで柔らかな音が流れ始めると、やがてねじを回したときのような、歯車がかみ合いだしたような音が聴こえてきます。
ゼンマイじかけの、操り人形のようです。
途端に現実世界を離れます。
MVでは、レトロ感溢れるフィルターを通した都会の風景や、街のミニチュアのセットの中で人形のように踊るダンスショットなどと場面が頻繁に入れ替わります。
くすんだ色も、明るいパステルカラーも、リルネードはものにしています。
昨2020年のアイドル楽曲大賞を振り返ると、インディーズ部門ではリルネードの「もうわたしを好きになってる君へ」が3位にランクインしました。
「もうわたしを好きになってる君へ いいたいことがたくさんあるんです 例えばちょっとすきになっちゃってるし、答え合わせできない」(もうわたしを好きになってる君へ)
アイドルからオタクに向けたメッセージソングという風にもとれるこの曲には、自意識過剰気味なオタクが言われてうれしい言葉が散りばめられており、多くの人にはそこが受けたのだと思います。
一方で「フォークソング」は、アイドルというよりも広く一般論的な話をしています。
曲名から見てみます。
タイトルの「フォークソング」とは、アコギ片手に鳴らす音楽ジャンルとしての「フォークソング」ではなく、何本かに別れた道から一つにまとまっていく様がかたどられたような食器の「フォーク」のことです。
そして三つ又のフォークは、リルネードのこれまでとこれからにも投影できます。
まだリルネードが発足する前、3つに分かれていたメンバーそれぞれの道が、2019年のグループ結成を境に一つになり、未来に向かって一本道を進んでいくという風にも見えます。
1番2番共に「小さい頃」の夢や欲しいものを思い出しながら、この曲は始まります。
小さい頃みんな将来の夢を語っていて、あれもやりたいしこれもしたい
あれもこれも手にした「大成功」は光っている気もするけれども、大人になって色々と知ってしまうと、あれもこれもとは言えないのが現実だったりします。
「片手には傘があるから、もうひとつくらいしか持てない」とも言うように、何かを持とうとしたら何かを手放さないといけません。
リルネードは、「大正解」という言葉を出して、大成功よりももっと求めるべきものがあるのではないか、とこちらに投げかけてきます。
「隣にいる君を幸せにすればきっと それがねえ私の大正解なの」
「悩んでしまっていた靴でもおろして、自分で歩こうかな」
足元を見つめようじゃないかという問いかけは、ここにも見ることができます。
履いたばかりの新品の靴を見せつけるように、このパートのダンスシーンでは右足と左足を高く上げながらステップを踏んでいます。
一応の結論は出しました。でも..
不安もありますし、この道で正しいのかは分かりません。
大成功の道の方だって捨てきれているわけではない。
選んだ道を戻ってしまいたくなることは、一度ならずあるはずです。
そもそも、「大正解」の定義だって変わっていくものです。
心の揺れは、「大正解」を導き出したサビ終わりの「たぶんね」というたった4文字のなかに凝縮されています。
個人的に好きなメロディーが、サビの「光っているよな気もしちゃうけど」
音を取ってみると、フレーズの前半から後半にかけては音階を「シ→ラ→ラ♭→ソ♭→ソ→ソ♭」とほとんど段階的に下っています。
左右の腕を上げ下げしながら、階段を一段ずつ降りていくように歌うここのメロディーはいつ聴いても良いです。
ワンマンライブのアンコールで、それぞれのカラーの風船の束を手にしてメンバーがこの曲を歌ったときは、MVの続編かのようでファンタジーを観ている気分になりました。
なかなか忘れられない光景です。
2. かくれんぼ / サンダルテレフォン
音源より長めのイントロが流れ、夏芽ナツさんがフロアに向かって何かコメントを発するという流れを、今年のライブで何度も目にしてきました。
この曲の出番は、大抵ライブの最後です。
子供遊びの「かくれんぼ」で呼び起こされるノスタルジー、ハイハットやシンバルが鳴り出すメロディーから浮かび上がってくる、オレンジ色の夕焼けが広がる遠くの空の情景、ライブの幕が下りてしまうことへの名残惜しさが混ざり、一気にしんみりとした気持ちが胸にわき出てきます。
「かくれんぼ」は月一回の定期公演の終盤にすっかり定着しました。
1時間以上のライブともなるとその感慨はさらに増していきます。
「かくれんぼ」というだけあって、はないちもんめや、かくれんぼのときに子が逃げている間に鬼役が目隠しをする、あの手振りが振り付けには取り入れられています。
でも、一年前の初お披露目の時、2020年末の定期公演でメンバーが残したコメントはこれらともまた違う印象でした。
メンバーの誰かによると、「闇がありそうな」というのがこの曲についての感想でした。
ダンスの振り付けは子供遊びをモチーフにしていますし、ライブでのメンバーの顔をみても笑顔たっぷりで、平和でしかなそうな雰囲気です。
どこか闇なのでしょうか。
その理由を、歌詞に探してみます。
この曲で言うところの「かくれんぼ」は、鬼目線で描かれています。
しかし、空き地や公園で遊ぶ、いわゆる「鬼さん」のことではありません。
詞の捉え方はいくつかあるでしょうが、「自分とは」に悩む現代人の比喩だと思っています。
子供というよりもいい年をした大人の悲哀をオーバーラップさせたのが、ここに描かれる鬼さんではないでしょうか。
「いつまで続くのか 鬼だけのかくれんぼ」
初っ端からこんな「嘆き」からはじまります。
「子」は隠れるのが役割ですから、とにかく逃げます。
追われるものもプレッシャーはもちろんありますがいつかは、鬼に見つかるか根負けして「降参」ができます。
でも、鬼にはそれができません。
とにかく見つけなければいけません。
子が出てこなかったり見つからない以上、探し続けるしかありません。
「でもまだ帰れない 何も見つかってない」
「今はやるしかない」
鬼よりは気楽だと思うと、「子」の楽さをふと恨めしく思ってしまうかもしれません。
「逃げ帰れば終わりかくれんぼ」
「今も足掻きながら見つけるんだ」
しかし、諦めて逃げてしまおうかな、という気持ちは、「それじゃ明日はない」と一蹴してしまいます。
そんな葛藤を続けていたら、こんな疑問が浮かんできます。
そもそも「子」はなんだっけ?
「いったい何のために遊び始めたのだっけ」
歌詞ではこんな平易な言葉に置き換わっていますが、考え始めると哲学的な袋小路に入っていきそうです。
今日も明日もなく、それが何なのかも分からないまま探し続けているのが、「かくれんぼ」の主人公ではないかと、歌詞を読み進めていくことで分かっていきます。
自分らしさとか言語化とか言うけど、人間は人工の言葉だけで規定されるほど単純ではありません。
終わりの見えないトンネルに入ってしまい、なにかを見失ってしまう(自分も含め)じぶんらしさ症候群に陥ってしまう状態、現代の病を、こうした鬼さんの葛藤にみることができます。
先に書いたリルネードの「フォークソング」では、「大正解」という結論を出しました。
対照的に、「かくれんぼ」の終わりはこうです。
正解は見つからない
明日になっても探してるよ
とはいえ、こうして重めのことを書いてみたのはあくまでとっかかりの部分です。
言葉にしやすい歌詞を拾い上げたに過ぎず、ライブで聴くとそれよりもメロディーや鳴り響くメンバーの歌声の綺麗さのほうに心が奪われ、聴き入ってしまいます。
ともするとしんみりどころか泣きそうにもなるのですが、冒頭に書いた状況やストーリーがこの曲にそういう雰囲気を持たせています。
「かくれんぼ」は、2021年1月リリースの1st EP「SYSTEMATIC」収録の一曲です。
初披露を聴いてからは一年になりますが、当時はここまで存在感を示す曲になってくるとは思っていませんでした。
この記事で取り上げた曲は、はじめて聴いた時から名曲と確信したものがほとんどでしたが、「かくれんぼ」は徐々に育ってきた感があります。
3. リバース・エイジ / 転校少女*
「好きなのに上手くいかないね」
「ヤマアラシのジレンマ」をモチーフに歌詞が作られていったのだと、初披露から日も浅い1月のライブでメンバーは教えてくれました。
寄り添おうとすると互いの針で傷つけあってしまうから、近づきたいけれど簡単には近づけない。そんなもどかしさを例えたのが、「ヤマアラシのジレンマ」です。
例えなので、見た目にもイメージしやすいヤマアラシを出してこそいますが、むしろヤマアラシはヤマアラシで上手いことやっているのでしょう。
同種の針に非感受性とかあるのかもしれません。
しかし、利害やそれぞれの背景など複雑なものを抱えている人間社会は、物理的な距離だけでは語れないほど入り組んでいるでしょうから、このジレンマは一層深いと思います。
冒頭に引いたフレーズが、印象的です。
「点滅してる信号の途中 邪魔してやりたい
別に轢かれたって誰かのせいにすればいい」
「どうしよう 上げた拳 謝って下ろせない」
はざまにあって不安定な思春期を描き出しているのでしょうか。
あまりにもラジカルなフレーズさえも出てきます。
これこそ、ヤマアラシでいうところのトゲトゲとした鋭い針なのかもしれません。
身を守るどころか、攻撃は最大の防御だと言わんばかりに相手を傷つける構えさえも見せていす。
一方で、奏でられる音を聴いてみると、こうした攻撃的な面というのは他方では繊細さの裏返しなのかもしれないと思えてきます。
イントロのストリングスの後に続く低音は空気を沈ませ、ライブでは直前までの曲の雰囲気がリセットします。
ここで、聴こえてくる音への感覚が研ぎ澄まされていきます。
ストリングスの音色に、フレーズを極端なブレスで切るという転校少女*特有のボーカルが加わると、心の柔らかいところを触られたような、感傷的な気分が広がります。
エモーショナルさ、重く深い歌詞という点では、代表曲「プロムナードの足跡」にも似通ったものを感じます。
サビ前のカチカチと速まっていく音は、時計の針を表現しているのでしょうか。
この曲がリリースされたのは、3月31日でした。
メジャー2ndシングル「春めく坂道」のカップリング曲として収録されています。
リリース前後の期間は、春めく坂道とセットでほとんどのライブで披露されていました。
リリースを終え、6都市を巡る春ツアーがそのあとすぐに始まりました。
印象的なのが初日の東京公演でした。
「果てしなく横たわる RIVER」
その日、大サビソロパートを歌う松井さやかさんの歌声に圧倒されました。
ライブレポでは、当時をこう振り返っていました。
ここでは、一歩前に出てソロを歌っていた松井さんの後を追うように他のメンバーが前に出て、全員横並びとなってラスサビをコーラスします。
メンバーが一歩前に踏み出してきたときのステージの動きは、まるでこちらに向かって押し寄せる川の流れのように感じました。
転校少女*は、2022年1月に解散してしまいます。
ラストライブでは間違いなくこの曲もかかるでしょうが、ここの大サビ含め聴いたら色々と感情が溢れてきそうです。
4. ササル / Ringwanderung
ピアノの音は、鍵盤ロックを曲のコンセプトに掲げるRingwanderungらしく、流れるままに進んでいきます。
ぼろぼろと崩れていく音のようにも聴こえます。
スピード感があり、明るめなメロディーなのに、恐らく恋愛を語ったであろう詞はとても苦いです。
何が「ササル」なのだろうという答えは、冒頭で分かります。
「きっと君は上の空ずっとわかっているのに その瞳に刺されたまま僕は」
好きの裏返しは、嫌いでは無く無関心なのだと、よく言われます。
この歌詞でつづられている語り手は、相手からくる無関心という反応にまさに打ちひしがれています。
「きっと君の中では僕の存在なんて どこにいるかさえもう見えてないんだ」
見えない存在なのだから、相手にとって自分は意識にも上ってきていないはずです。
何とも思われていない、好きか嫌いかの土俵にすら立てていないのに、主人公は刺されたような気になってしまっています。
その刃を向けているのは他でもない自分自身なのに、そのことには気が付きません。
自意識が相当膨らんでいることが見て取れます。
もう確かな何かも見えずに 妄想の間を彷徨ってる
この僕を嘲笑って
傷ついても、夢を見続けてしまう。
でも、こうした心情は男性陣であれば多少なり共感できることではないのでしょうか。
驚くべきが、この詩を書いたのはメンバーでした。
みょんさんです。
よくここまで男心を再現できるよなと思います。
メンバーの歌声からは、相手方の冷めたような感情を受け取ります。
辺見花琳さんの歌声はまさに刺さってきます。
サビではみょんさん、佐藤倫子さんによる喉をつぶしそうなハイトーンの絶叫が歌詞に味付けしています。
引き付けるような歌い方が、メンバー総じて上手いです。
だからこそ、なんだか残酷なものを見せられているような、救いの無さを余計に感じてしまいます。
5. :Dum spiro spero / 綺星★フィオレナード
何と読めばいいのか一瞬戸惑ってしまう曲名です。
本来は「ドゥムスピーロースペーロー」と発音するらしいですが、スタフィオメンバーがこの曲を振るときは「ドゥムスピロスペロ」と短くコールします。
ラテン語で「生きている限り、希望を持てる」という意味だそうです。
この曲、メロディーはさることながら、それよりも先に、多めのメンバー構成という点から注目してみたいと思います。
綺星★フィオレナード、略称スタフィオは、「:Dum spiro spero」の初披露時には7人、卒業と新加入を経た12月現在では8人のメンバーからなります。
基本的には全員が横一列にならんだ所からこの曲はスタートするのですが、なにせ7,8人もの大所帯なので、ステージは俄然狭く見えます。
しかし、多いながらもメンバーそれぞれのソロパートやフォーカスするパートは粒立っていて、調和のなかにあるそれぞれの主張が見えてきます。
アップされているライブ映像でもよく分かり、ここが見どころの一つではないかと思っています。
そこで、これまでのライブレポで書いたことの重複もありますが、各メンバーの動きや歌声についてここからは書いてみます。
サビでは、末永香乃さんと橘すずさんの二人が入れ替わりで歌います。
末永さんは、歌唱スタイルが独特です。
足を開きめにして前かがみになり、マイクの先を上げて歌います。
気持ちは誰よりも入り込んでいるのが、はっきりと伝わってきます。
入り込みすぎているのではないかというほどですが、末永さんの存在こそがこの曲をさらにエモーショナルにしていると思います。
声質は綺麗か可愛いかでいうと後者のほうで、絶対音感を持つだけにどんなに気持ちが入っていても音は正確です。
橘すずさんは、曲の感情の引き出し方が末永さんとは少し違います。
不自然という意味では無く、あえて動きを遅らせて角張った動きで、カッコよさという点で抜けていました。
対照的なふたりは、曲の最後に邂逅を迎えます。
「フィオレナード 咲き誇れ 永遠に」
ステージ中央でふたりは高く掲げた手を合わせます。
誰にも邪魔されない、ふたりだけの世界です。
この曲のコレオグラファーの方によると、ここでは「百合」をイメージしてほしいとの要望を二人に入れたそうです。
辻彩花さんの動きも、つい観てしまいます。
誰よりも大きい動作にはひねりが加わり、髪はそれに合わせて乱れていきます。
矢羽根かこさんは、長身ということだけではなくて手がまっすぐに見えます。
もともと長いリーチがさらに大きく見えるので、まず見失うことはありません。
木咲りんさんは、動きに緩急がついています。
他のメンバーより半テンポより早い動きをしたかと思えば、そこで生まれた余裕を活かして遅らせたりと自在です。
サビの「安らぎを得る」で手を下ろすときは、ギリギリまで下ろさずに溜めたりするところがあります。
橘さんにもこの傾向があります。
スタフィオで一番の拠り所であり、安定していると毎度思うのが冨田菜緒さんです。
落ち着き以外の言葉を探しているのですが、ともかくどこかで冨田さんパートがやってくるのを待っている部分があります。
一回ライブを観ただけではここに書いたすべてに対しては目も耳も追いつきませんが、目の前のメンバーをただ眺めているだけでも、それぞれの個性を感じることが出来ます。
唯一のライブ映像が公式より上がっていますが、それぞれのメンバーにフォーカスして何度見たか分かりません。
新メンバーの猫宮りなさんと満天ころもさんについては、まだしっかりと観られていないので、これ以降のライブレポで取り上げられればと思っています。
「:Dum spiro spero」には明るさやノリはなく、そちらは同時期に初披露された「Shu★parklinG!!×Ⅱ」のほうに完全に持ってかれています。
では何が特色か、どこに引き付けられるのかと考えてみると、暗がりから次第に光を見つけ出すような体験。
ここではないかなと思っています。
ストーリー性と言うには微妙ですが、沈んでいた感情が引き上げられるような感じを、4分間の中に覚えます。
「暗い話題ばかりだと気持ちが沈んでく」
「出口が見えない迷路にいるかのようだと」
ABメロは陰鬱としています。
音も低めです。
しかし、サビにかけては徐々に光が見えてきます。
そのきっかけが、サビ前の「生きる限りは希望を持て」という歌詞。
前のフレーズに、食い気味の三連符で覆いかぶさりながら、メンバーは歌います。
やがてサビではツリーチャイムのキラキラ音が存在感を増し、打ち込みのハイハットの裏拍やシンセサイザーのような電子音がメンバーの歌声に良く混ざっていきます。
「花が咲くときは星屑」
サビのワンフレーズは「シ→ラ→ソ」のように一音ずつ下り、今度は一音ずつ上がっていったかと思いきやまた一音ずつ下りるという音の動きをしています。
調べてみたら、同一コード内で音が一度ずつ移動するのを「クリシェ」というらしいのですが(間違っていたら教えてください)、クリシェによって一つずつ音を踏み締めていく感じが生まれてきます。
この「クリシェ」はフランス語で「常套句」というらしく、どちらかというと否定的なニュアンスの方が強いそうです。
しかし、陰鬱な雰囲気に光を持たせていると感じるのは、「ありきたり」ともされる手法があえて使われているからこそなのかもしれません。
「:Dum spiro spero」は、先に貼ったライブ動画が公開されているのみで、音源は公開されていません。
どういう形態でリリースされるのか、されないのかは分かりませんが、続報は2022年以降を待たないといけません。
早く音源を聴きたいとは思うのですが、でも、この曲との出会いが音だけだったら、サブスクオンリーだったら、ここまで惹きつけられることはなかったかもしれません。
6. SUNDAY MORNING / Pimm’s
日曜日の朝、好きな人に会いに自転車をこいで街を越えていく、というストーリーが、この曲の根元にあります。
アルバム「URBAN WARFARE」収録曲ですが、アルバムリリースに先駆けてサブスクで公開されたときのジャケットには、歌詞にも出てくる「赤い自転車」があしらわれています。
「水溜り避けたら 遠回りみたいだ」
「うっかり忘れ物 バカだ!」
引き返したり回り道をするのか。
歌詞で出した答えは、「このまま行こう」でした。
回り道をしようがしまいが、かかる時間にそれほど差はないのかもしれません。
それでも、1秒でさえも惜しいくらい気持ちは先走っています。
他でもない自転車をチョイスしたというところも、純な気持ちが伝わってくるようです。
「深呼吸しながら リズムをあげてく」
小山星奈さんのソロパートでは、ピアノの音が気持ちよく転がり出します。
この直後、曲は転調を迎えます。
この曲には2回の転調があります。
一つがこのサビ、そしてもう一つがラスサビです。
当たり前といってはそれまでですが、転調によって雰囲気が効果的に変わります。
「いつからか ボクの情景の中 隙間(こどく)を埋め尽くしているんだよ」
サビのところでは、歌詞もあって切なさが急に出てきます。
個人的に好きなのが、ここの2番「いつの日も キミの奏でる歌を ボクだけ 聞かせてみて欲しいんだよ」
大切に抱えながら歌う高橋真由さんの歌い方がすごく良いです。
そしてもう一つがラスサビです。
半音あがる転調を経て、曲はクライマックスに達します。
「涙カバンに入れて」を歌う小林智絵さんから小山さん、早川渚紗さん、そして川崎優菜さんと高橋真由さんをへてラストの林茜実里さんに繋がれるところは「充実」。
この一言に尽きます。
別々に録ったはずですが、繋ぎ目が見えないほど綺麗にリレーされ、ラストの林さんのパートに向かって徐々に上がっていっていることが、耳からだけでもよくわかりす。
もれなくメンバー全員がこのラストパートに関わり、それぞれの役割を果たしているところに、何度も書きますがPimm’sというグループが歌にどれほど強いかが分かります。
MVについても触れてみます。
MVには2パターンのカットがあり、スタジオでのダンスショットと、演技パートとに分かれています。
メンバーが登場するのはダンスショットのみです。
普通、アイドルのMVであれば演技もそのアイドルがやりそうなものなのですが、この曲では役割が綺麗に切り分けられています。
MVシーンのうち半分を占める演技パートに出演するのは、女優・和内璃乃さんです。
さらに加えれば、このMVのYouTubeサムネ画像は、和内さんのアップです。
どこにもメンバーの姿はありません。
MVを手がけた監督の方によると、演技とダンス・パフォーマンスを分けたのにはこうした意図があったそうです。
「メンバーではなく彼女をフューチャーした事によってこの曲が『誰か』の曲になる事を願ってます」
主人公の視線をあえてメンバーにしないことで生まれた距離感によって、Pimm’sメンバーが遠巻きから主人公(和内さん)のこの物語を応援しているような感じを強めたということなのでしょうか。
MV中では一回も和内さんとPimm’sメンバーが混ざらないところが、逆に新鮮です。
7. 僕等のスーパーノヴァ / 群青の世界
夢が形を持とうとしたときに また一つ違う夢が目の前にある
走っていたら過去になってくんだよ
バスドラがABメロから急かすように刻み、ブレイクを挟んでメロディーの空気感が変わってサビに向かいます。
群青の世界の洗練されたビジュアルが、音速を飛ばしていく疾走感とマッチしています。
前向きな歌詞を勢いで押し付けるというのは、ともすれば凡庸な感じになり下がってしまってもおかしくはないのですが、群青の世界メンバーの表現力はそうなりません。
最低音は恐らく「ソ」で、これはここまで取り上げたどの曲よりも低く、音域の振れ幅もありますが、さほど難しくないように歌っているところも素晴らしいです。
楽器は多いものの音はスッキリとしていて、長めの本を読破したような気持ちいい読後感に似たものを感じます。
先日のライブツアーファイナル「BLUE SYMPHONY」にて、サビでの拳で4回、手のひらで4回と目の前を強く打ち付ける振り付けをしていたメンバーの姿は力強く、心を打たれました。
手のひらの4拍目を打った後には右腕を翻すかのように振りかぶるのですが、ここは助走から一気に飛び立つようなイメージでした。
ーーー
以上が、個人的な2021年楽曲大賞でした。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
ところで、ここに書いた7グループは、ご紹介した曲以外にも良い曲をたくさん持っています。
つくづく「楽曲派」の定義がよく分からなくなってしまいますが、どのグループもそうタグをつけたくなるくらいもれなく良い曲を持っています。
まもなく解散してしまうグループもあったりするのですが、2022年もこれらのグループにかける期待は大きいです。
来年からもまた良い曲を聴かせてもらえることと信じています。