RCサクセション
初期のRCサクセション[70]RCサクセション
EXPRESS[東芝音楽工業] (PRESS ORIGINAL)
[忌野 清志郎の高校時代の美術教師である小林先生を題材にした(ぼくの好きな先生)を含むタイトル通り初期のRCサクセションの名曲が凝縮されている名盤。初回オリジナル盤、見開きジャケット]
忌野清志郎をフロントマンとし、[King of Rock/King of Live]の異名をとり、日本語ロックの成立/日本のロックコンサート、ライブパフォーマンスのスタイルの確立に大きな影響を及ぼした。RCサクセションのファースト・アルバム!1970年、幼馴染だった忌野清志郎(ボーカル、ギター)/淋呼和生(ベース)/破廉ケンチ(リードギター)のアコースティック・トリオとしてデビュー。1970年3月5日デビューシングル[宝くじは買わない]発売。この頃はジャズ喫茶でザ・ゴールデン・カップス等と一緒に演奏したり、フォーク喫茶(青い森)で泉谷しげるやフォーク・デュオ古井戸らと演奏していた。忌野の高校の同級生である俳優の三浦友和は、[初期のRCサクセション]に収録の(言論の自由)にボンゴで参加している。彼はステージにもよく加わることがあり、また一時期破廉と同居するなどかなりRCと親交が深かった。しばらくはヒットには恵まれず。1stアルバム[初期のRCサクセション]を出すが、レコードの音源には勝手なアレンジがほどこされていた為に業界への不信感が増す。その為に2ndから自分たちの演奏を主体としたレコード作りを始める。忌野が作詞・作曲した(指輪をはめたい)を元にして、井上陽水と(帰れない二人)を共作。もう1曲(待ちぼうけ)を共作し、この2曲が収録された井上のアルバム[氷の世界-所有] (1973年) がミリオンセラーとなる。1974年、ホリプロダクションのプロデューサー奥田義行が、当時大ブレーク中だった井上陽水を連れてホリプロを離れ独立事務所(りぼん)を設立。この造反行為に激怒したホリプロは、奥田の子飼いだったRCの(りぼん)移籍を阻止。RCはスタッフも仕事も与えられず飼い殺し状態となる。この頃、3枚目のアルバム[シングル・マン]を録音するも、事務所の移籍トラブルによりお蔵入りになってしまう。
2時間35分
(作詞:忌野清志郎 作曲:肝沢幅一 編曲:穂口雄右)
ぼくの好きな先生
(作詞:忌野清志郎 作曲:肝沢幅一 編曲:穂口雄右)
国立市中区3-1(返事をおくれよ)
(作詞:忌野清志郎 作曲:肝沢幅一 編曲:穂口雄右)
シュー
(作詞:忌野清志郎 作曲:肝沢幅一 編曲:穂口雄右)
春が来たから
(作詞:忌野清志郎 作曲:肝沢幅一 編曲:穂口雄右)
メッセージ
(作詞:忌野清志郎 作曲:肝沢幅一 編曲:穂口雄右)
国王ワノン一世の歌
(作詞:忌野清志郎 作曲:肝沢幅一 編曲:穂口雄右)
この世は金さ
(作詞:忌野清志郎 作曲:肝沢幅一 編曲:穂口雄右)
金もうけのために生れたんじゃないぜ
(作詞:忌野清志郎 作曲:肝沢幅一 編曲:穂口雄右)
言論の自由
(作詞:忌野清志郎 作曲:肝沢幅一 編曲:穂口雄右)
ベイビーもう泣かないで
(作詞:忌野清志郎 作曲:肝沢幅一 編曲:穂口雄右)
寝床の中で
(作詞:忌野清志郎 作曲:肝沢幅一 編曲:穂口雄右)
https://youtu.be/gwS1wHW9F3E
RCサクセション - Wikipedia
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