生活に溶け込む宗教。マレーシアで見たイスラム教の人々
タイの観光で定番の寺院巡り
マレーシアで初めて触れたイスラムの文化。
日本と海外を比べてみると気づくことはいろいろありますが
今回は宗教観について考えてみました。
知識がないなりに思ったことを書いてみます。その宗教の方に失礼があったらすみません。温かい目で読んでいただけたら嬉しいです。
宗教って怖い、変、よくわからない
日本では、自分の宗教について話すのは
なんとなくセンシティブなことであるような気がします。
▼中学〜高校の私が経験した宗教エピソード
・変わった名前の子が「あいつは家が宗教だから名前が変!」と言われていた
・あの家の母親は宗教にハマって、近所にフライパンを売り歩いている!やばいからその家の子は仲間はずれにしよう!
・高校の同級生が入信して、大学に行くのをやめて、修行のために山に篭ったらしい。もう連絡も取れない。
以上のような話を聞いた経験から
「宗教ってよくわからないけど変なことなんだ。入ると仲間はずれにされるんだ。頭のおかしい人がハマるものなんだ。普通のことではないんだ」
と思いました。
芸能人が宗教にハマっておかしくなったニュースもあったし
宗教から生じた過激派テロ組織もあるし
あながち間違ってはいない印象だとは思うのですが。
(というか日本で生きてて宗教の話を聞く機会なんてこういうニュースくらいしかなかった気がする)
その印象が消えないまま、そして宗教について考えることのないまま大人になったのだと思います。
今回、タイやマレーシアでさまざまな宗教の寺院・聖地に足を運び
現地の人の、宗教が生活の一部となった様子を見たことで
自分の中でイメージが変わりました。
京都でお寺巡りしたこともあったんですけど
日本より宗教がより深く根付いている海外の生活が衝撃で
そういえば日本はどうだったかな?と考えるきっかけになったのだと思います。
イスラム教という衝撃
今までは「あんなに美味しい豚肉を食べられないなんてかわいそ〜」
くらいに思っていました。(浅はかオブ浅はか自分が恥ずかしいです)
でも仕方のないことだとも思うんです。
日本で暮らしてたらイスラムについて考える機会なんて無いもの。
マレーシアで、ショッピングモールに向かって歩いていた時のこと。
歩道橋から、たまたまモスクが見えて、ちょうどお祈りの時間でした。
モスクを埋め尽くすた〜〜くさんの人、人、人(男性のみ)が
一斉に同じ方向に、同じ動きをしてお祈りをしています。
モスクに入りきれず、歩道橋の上からお祈りしている人もいました。
夕方、外にいると、毎日歌が聞こえます。
最初は「町内放送かな〜賑やかだねえ〜」程度に思っていましたが
お祈りの合図の放送でした。ヒンディーもイスラムも放送があるので結構長い時間歌が聞こえます。
イスラムの女性は、頭にスカーフを巻いています。
灼熱多湿のマレーシアでも服は長袖長ズボン。
それでもメイクやお洋服はとてもおしゃれです。
私が友達と原宿でやるのと同じように、可愛いカフェで友達とセルフィーをしています。
ホテル、ショッピングオールには必ず、トイレの近くに男女分かれたお祈りの場所がありました。
こういった様子を町中で見られるので、私はその度に衝撃を受けていました。
イスラムは厳しい宗教かと思っていましたが
モスクのガイドさんが
「10分お祈りするだけで、その日の罪が許されて新しい自分になれるんだよ。とっても素敵だと思わない?」
と言っていました。(英語の意訳です。イスラム教に対して正しい言葉でなかったらすみません)
自分と比べてしまい
「毎週モスクに行くの…?大変…」
「ヘアアレンジができないなんて!ミニスカートを履けないなんて!おしゃれできないじゃん!」
という印象も正直受けました。
でも彼らにとってはそれが普通。
カルチャーショックとはこのことか。
歴史や美術を語る上で必要不可欠な「宗教の知識」
まだまだ世界には知らないことがたくさんあるのだなあと思うばかりです。
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