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私の中の西洋コンプレックスー2009年4月ヨーロッパひとり旅 No8 アムステルダム編 2「生乾きのシーツに包まって」
*この記録は、2009年4月から1か月弱のヨーロッパ1人旅から帰った後、作成した小冊誌の内容を、旧ブログで公開し、その記事を再構成してnoteに移動したものである。
当然ながら現在とは、ユーロ円の相場も、物価もかなり違う。日本でのアイフォン発売が、2008年にはじまったばかりで、スマホもなかった。ガラケーも電源を切ったまま旅行中は使わなかった。現在の海外旅行事情とは、状況が異なることを、お知らせしておきたい。
一夜明けて、ホテルから出たわたしは、目を見張った。昨夜の溢れんばかりの人は消え、ごみは一掃され、ダム広場は通勤に向かう急ぎ足の人や自転車が行き交っていた。
街は秩序を取り戻している。
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巨大な絶叫マシンは、撤去作業の最中だ。広場の東側に伸びる飲食店が立ち並ぶダム通りの*ホテルに引き返し、もう1泊予約した。
*「Hotel de Gerstekorrel /Damstraat 22, Amsterdam Centrum, 1012 JM Amsterdam ツイン、シャワートイレ付49ユーロ。2009年4月の情報です。
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前日の夕方、わたしは1階部分はピザ屋になっている3階のホテルの部屋へ、急な階段をトランクを引きずりながら登った。
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ツインなので20㎡程度の広さはあり、ドアを開けると右手に、シャワー、トイレ、洗面がある。十分熱いお湯も出て一応清潔な水周りだった。
通りに面して、縦長で白枠の窓が2つあり、朝は太陽の光が差し込んだ。シーツは糊が効いていて真っ白だった。
ベッドに潜り込むと、生乾きの匂いがツーンと鼻につく。どこか懐かしい感触が、体にシーツを通して伝わってくる。
運河に囲まれているアムステルダムの空気は、湿っていた。一晩干せば乾いているはずの手洗い下着は、朝になってもじっとり濡れたままだった。
ブルーのカーペットを裸足で歩くと、少しべたついた。そういったどこか懐かしい湿った空気も、滞在を延ばした理由の一つだった。
その夜は2時頃まで、人々の笑いざわめく声が、窓越しに伝わってきた。後からわかったことだが、このダム通りから北側、アムステルダム中央駅の間は、「飾り窓」と呼ばれる風俗街で、治安が悪い地区らしい。
ホテル正面入口にある受付は、ようやく2人擦り抜けられる位の幅だった。
ボリュームのあるボディに、ぴったりとしたミニスカート、腕にはタトゥー、キャスケットを目深に被った、にこやかな30歳前後の金髪女性が働いていた。
「一番好きな場所はどこ?」と聞いて彼女に教えられたとおり、アンネ・フランクの隠れ家があったプリンセン運河沿いに、ぶらぶら歩いて移動する。普通に歩くとダム広場から15分ほどだ。
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「アンネの日記」は、当時のアンネとほぼ同年代の中学生の頃読み、一時期枕元に常備するほど熱中していた。
第2次世界大戦中ドイツ占領下、アムステルダム住民の中には、危険を冒して同胞のユダヤ人を匿う人々がいた。
アムステルダムに移住していたユダヤ系ドイツ人のアンネ・フランク一家も、このプリンセン運河沿いの家で、2年に渡り隠れ家生活を続けていた。最終的に一家はゲシュタポに発見され、アンネの父、オットー・フランク以外は収容所で最後を遂げる。
未熟だったわたしは、日記から伝わる閉塞感に一種の憧れのようなものを抱いていた。
援助者の女性ミープがクリスマスに作ったケーキ、砂糖を節約して作るお菓子、アンネが垣間見る運河の風景などに思いを馳せた。
記念館の入口には、観光客の行列が建物の一片をぐるりと囲む形で、出来ていた。30分ほど待つと中に入ることが出来た。
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隠れ家の入口になっている可動式の本棚も残されていて、何度も想像した空間とさほどずれていない世界が、保存されていた。はるか昔にイメージを膨らませ記憶の片隅に残っていたアンネ・フランクに、そっと
「こんにちは、来たよ」
と声を掛けた。
当時のアムステルダムの住民が、まだこの辺りで暮らしている可能性を感じると、運河沿いの景色も違った風に見えてくる。
すぐ近くには、17世紀を代表するオランダの画家、レンブラントの眠る西教会がある。アンネもこの教会の時を告げる音について書いている。そのアムステルダム一高い85メートルの鐘楼を見上げた後回りを散歩した。
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町は、中央駅を中心にして、扇型に5つの運河が張り巡らされている。いくつもの運河を渡りながら、ぽかぽか陽気の下、アムステルダムっ子に紛れて散歩する。
若い女性が、水路を眺めながら、サンドイッチを食べている。上半身裸の男性が、太陽の光を全身で浴びるかのように、ボートを漕いでいる。
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この辺はお洒落なカフェ、アンティークの食器屋、ギャラリーなどが
点在していた。
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途中で目に付いたパン屋に入り、ハードパンとチーズ入りパンを買い併設のテーブルで食べて見る。
一口かじると皮ごしに、チーズの香りが口いっぱいに広がった。わたしは、そこで購入したパンと、スーパーで買った缶詰で、夜、ホテルの部屋で、ひっそりと食事した。食後、強烈な眠りに襲われ、倒れこむように、再び生乾きの匂いのするシーツにくるまって眠った。
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アムステルダム食べたものメモと、続きはこちら!