私の中の西洋コンプレックスー2009年4月ヨーロッパひとり旅 NO1全行程と費用
*この記録は、2009年4月から1か月弱のヨーロッパ1人旅から帰った後、作成した小冊誌の内容を、旧ブログで公開し、その記事を再構成してnoteに移動したものである。
現在とは、ユーロ円の相場も、物価もかなり違う。日本でのアイフォン発売が、2008年にはじまったばかりで、スマホもなかった。ガラケーも電源を切ったまま旅行中は使わなかった。現在の海外旅行事情とは、状況が異なることを、お知らせしておきたい。
自己満足的な長文を読む時間はないよ~、というひとは、旅の食と値段メモもあり!
何年か前「人生は『TRIP』の繰り返しである。というキャッチコピーが書店で目に留まった。マガジンハウスの「ブルータストリップ」だった。
心を揺さぶられた。
旅行雑誌が、旅行ブログが、世の中には溢れている現象が示すように、「常に旅行中」という概念は、何かしら人を惹きつけるものがある。「ここではないどこか」を求めて一生を送りたかった。
過去形なのは、私がすでに中年であり、すぐに実行に移したとしても「一生を送った」とは表現できないからである。
地方都市に生まれ、平凡な家庭に育った。会社員だった父は、わたしが中学生の頃脱サラして、専業主婦だった母と共に薬局を開いた。短大を卒業して、銀行に何年か勤め「何か出来る、ここじゃないどこかで」という曖昧な願望にとりつかれて、突然辞表を出した。
よくある話だ。
そのまま父が提案した「専門学校で勉強し直して、薬局を継ぐ」ことを受け入れ、大阪で昼間は薬局でアルバイトをしながら、1年間、夜間の専門学校に通った。薬局を継ぐことに興味は無かった。ただ、都会に出るというチャンスに飛びついた訳だ。その後、実家の薬局の取引先が主催していた、
東京での漢方薬の研修に成り行きで一年間参加した。だから今となっては父に感謝している。
「ここではないどこか」に行くきっかけを作ってくれたし、薬局を継がせるという前提であるとはいえ、援助してくれた。結局そのまま東京に住み着いて結婚した。
実家に帰ったとき、休日でさえ、街一番の繁華街の人の少なさに驚く。適度な物に囲まれた真っ当な人と人の距離にほっとする。買い物しながら、お茶をしながら、懐かしさと安らぎに浸る。そして一週間もたつと、物足りなさを感じる。
都会は癖になる。恋愛探しや酒のように、東京の密度は癖になる。一度それに馴染み、同化してしまうと、離れられない。満員電車の身動きのとれない状況の中で、文庫本を読むのが好きだと言う人がいる。
「そういうことなんだ」と思う。押しつぶされそうなほど人に囲まれながらも、孤独がわたしを呑み込み魅了する。
だから同様に、パリ、ロンドン、ベルリン、などの単語を耳にしたときの
わたしの中で条件反射のように起こる、ある種の刺激的な感情の裏付けを、自分なりに検証して見たかった。
ただ人々の流れを感じようと思った。いち観光客として漂ってみたかった。そして、できるだけ多くの都市のイメージを、自分の頭に索引を作るみたいに焼付けたかった。
40歳を過ぎて、服飾専門学校に入学した。服が好き、書くことが好き、ライターになりたい、という願望を形にするためだ。
服飾専門学校だったけれど、ファッション情報科という、服を製作しない学科を選んだ。服は好きだけれど、服を縫いたくはなかった。
ファッション情報科では、情報の収集、分析、予測の方法を学びつつ、パソコンで、フリーペーパーやポスター、映像などを制作した。ブラウス1枚が2年間を通して作る服のすべてだった。
卒業後、暮らしの美意識、を主題にした雑誌の編集部で、2年間のアルバイトをした。翌年の2010年に、その雑誌は休刊になった。
ある日突然、若くない、場違いなアルバイトがやってきて、ベテラン編集者の方々は、わたしをどう扱ってよいかわからなかったはずだ。
仕事を覚えるのに、かなりの努力が必要だった。手書き原稿の打ち込み、読者ハガキの整理、出来上がった雑誌を関係者に届ける作業、イベントの準備などの仕事をした。非常に勉強になった。
2年間のアルバイトが終わった直後、2009年4月から1か月くらい、ヨーロッパ1人旅をしようと思った。
帰国後、その時のメモと画像を元に、小冊誌を、印刷物作成ソフトのインデザインで制作した。どのくらい自分が成長したか試したかった。
2009年3月1日に旅行会社のカウンターに行き、4月一杯でヨーロッパを回ること、直行便がよいこと、その範囲で出来るだけ安く、という条件で検索してもらった。
1ヶ月と言う期間はいかにも中途半端で、これまでの人生を象徴しているかのようだ。ただひと月という期間が、身の丈に合っていた。
日本航空がキャンペーンをやっていて、パリ往復便、4月3日発、27日帰国87440円があるという。燃料チャージと手数料込みである、即決。
地図をバッグに常備し、出発前まで、何度も行程をたどっていくうちに、
ヨーロッパ全体を見渡したいという欲望にとらわれた。もちろん不可能。結局、実際にたどった経路は
パリ→ロンドン→ブリュッセル→アントワープ→アムステルダム→ベルリン→ニヨン(スイス、レマン湖畔の街)→ジュネーブ→パリだった。
パリには、行き帰りで合計10日余り滞在した。
語学の実力は英検2級、仏検2級、留学経験もなければ、仕事で海外に行ったこともない。つまりそれは、最低限必要な旅行会話以外喋れないことを意味する。
パリだけは10回近く観光と1ヶ月の短期留学で行ったことがある。ヨーロッパに知人はゼロ、過去にロンドン、ミラノ、ベニスには、それぞれ3日から1週間程度観光した。だからこの記録は、西洋に漠然と憧れた世代の、感想文の域を出ない。
日本航空のパリー成田の往復便、87440円とユーレイルグローバルパス67600円を含む、宿泊代、食費、交通費、雑費で、約43万円かかった。お土産代は含まれていない。*2009年4月当時1ユーロはおよそ130円だった。
成田―パリ往復航空券、ユーレイルグローバルパス、パリからロンドン移動の航空券、最初のパリ2泊、ロンドン3泊は、日本で手配した。後は現地で成り行きにまかせた。
【全行程】
2009年 4月3日
成田→パリ(JAL405)11:05分発、同日・パリ、シャルル・ド・ゴール空港16:30着
4月3日―6日
パリ「Bastille De Launay 」宿泊、シングルシャワートイレ付67ユーロ
4月6日
パリ→ロンドン、
イージージェット67.74ユーロ、
パリCDG空港 12:05分発→ロンドン・ルートン空港12時20分着
ルートン空港→ロンドン・ビクトリア駅(グリーンラインバス)
4月6日―9日
ロンドン「Europa House Hotel」宿泊、シングル、シャワートイレ付6900円
4月9日
ロンドン→ブリュッセル(ユーロスター9120)
セント・パンクラス駅8:34発・ブリュッセル南駅11:29着
4月9日―11日
ブリュッセル「Hotel Opera」宿泊、
シングル、シャワートイレ付朝食ビュッフェ付60ユーロ
4月11日
ブリュッセル→アントワープ(インターシティ)所要時間1時間弱。
4月11日―13日アントワープ
「Campanile Hotel Antwerpen」宿泊 シングルシャワートイレ付55ユーロ
4月13日 アントワープ→アムステルダム
(タリス) アントワープ中央駅10:00発→アムステルダム中央駅1200頃着
4月13日―15日 アムステルダム
「Hotel de Gerstekorrel」宿泊 ツイン、シャワートイレ付49ユーロ、
4月15日
アムステルダム→ベルリン(ユーロナイト457)
アムステルダム中央駅19:01発→ベルリン中央駅翌日04:23着
4月16日―17日
ベルリン「Bax Pax Downtown Hostel」宿泊、
ダブル、シャワー、トイレ付59.40ユーロ
4月17日
ベルリン→バーゼル→ニヨン
シティナイトライン1258、インターシティ614
ベルリン中央駅発22:22→バーゼル18日7:55着→バーゼル09:03発ニヨン駅下車
4月18日―19日
スイス、ニヨン「Hotel des Alpes」宿泊ダブル、
シャワートイレ付165スイスフラン
4月19日
ニヨン→ジュネーブ9時頃着 列車、所要時間約15分
4月19日
ジュネーブ→パリ(TGV6588)
ジュネーブ中央駅20:17発→パリ・リヨン駅23:59着
4月19日―27日パリ
「Bastille Hostel」宿泊 シングル、シャワー朝食付トイレ共同、35ユーロ、
4月27日
パリ→東京JAL406 CDG19:20発→成田 14:10翌日着