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2010年8月札幌 2 腹が減るーう月食堂

2010年の夏、北海道をツーリング中の夫が転倒事故を起こした。幸い自損事故で、命にも別条なかったが、粉砕骨折を負い、札幌の病院にそのまま入院という事態になった。手術は、プレートを入れ補強するまでの手術と、プレートを取り出す手術とで、2回に渡った。ワタシは、2010年と2011年に、札幌滞在を余儀なくされた事態に便乗して、観光を楽しんだ。

*2010年と2011年に別のブログに投稿していた記録を転載したものである。

まるで映画に出てくるような食堂があるもんだ、と感心しきり。ひと目見たとたん気になった。

長い商店街の一角にあるこの店は側面の窓から、ツル植物があふれ出し、 そこだけ見ていると、ちょっといい感じの飲み屋か何かに見える。

正面の窓には御飯物、麺類、そば、うどん、ざるそばの張り紙。入り口のガラスがはめ込まれた片扉は、開いたままだ。

ちらりと年配男性の顔が見える。近くのホテルに連泊していた私は、毎日横目で見ながら通り過ぎていた。そうやって、いつこの食堂に行こうかと、タイミングを計っていたのだ。

そして、ある夜。大通り公園のビヤガーデンに行こうとしたが、1人者の居場所はなかった。

当然だ。ビヤガーデンに一人で行こうと思う方が間違っている。それで、思い立った。「あのパンク食堂に行こう」と。本当にパンクな佇まいなのだ。うまくその気分を表現できない。

「こんばんは」
入ると、誰もいないと思っていた店内に、店主と同年代の男性がいる。
無反応の店主の代わりに、その人が「誰か来てるよ」みたいなことを知らせる。

店主は、ようやくこちらに反応した。白髪頭に鉢巻をしていて、 痩せた身体が目に心地よい。推定年齢75歳~80歳。

勧誘か何かに間違えられては困るので、こちらの意思を明確にしようと
「ご飯が食べたいんですけど?」
と明るく問いかけた。
「うちはごはん屋ですから」
「じゃあここに座りますね?」
わたしは、窓側の席を指し示してから座った。

水を運んできてくれた。2人の視線の先には小型のテレビがあって、映画をやっていた。

サンマ定食、ハムエッグ定食、親子丼、天丼、オムライス等々…白壁に書き出されている。

ラーメン、蕎麦、うどんの張り紙もあったので、品数は相当数だ。 おまかせ定食というのがあった。これに決まり。

よくよく見ると奥の厨房前に、奥さんらしい女性も座っていたので、
「おまかせ定食お願いします」と呼びかけた。

「おまかせ定食?…」少し困ったような迷惑そうな表情になった。
しかし、その声を聞くと店主は女性と一緒に厨房に消えていった。

ヘミングウェイの「日はまた昇る」を読みながら待つことにした。
毎日本を携帯しているが、日々の雑事で頭が一杯で、1行も読まないということがほとんどだ。効率の悪い脳だ。

でもその時は不思議と集中して、かれこれ20分近くは読んでいたと思う。
平易な文体でカフェや食事の場面が多く出てくるので、注文待ちのひとときには最適だ。

「はい、お待ちどうさま」
と先ほどの調子とは打って変わって、愛想よく店主が、目の前に注文したものを置いた。

待たされたのも納得がいく。しきりのついた丸い大皿にシソの葉と甘エビ刺身、たらこ、天婦羅、大根の煮物、ポテトサラダ、トマト、揚げ茄子、豚肉生姜焼きが少しずつ盛り付けられている。

作るのを躊躇したはずだ。お腹が一杯になった。

そういえば食べているあいだ、店主は、テレビ映画を見ながら、馴染み客らしい男性と「中村玉緒の若い頃だね」などと話していた。こういう食堂が家の近くにあると、通い詰めるんだけどな、と思った。
おまかせ定食 800円、2010年8月現在。

う月食堂/札幌市中央区南3条西7丁目7
昭和10年創業、2022年4月閉店。


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