2021年8月/ファッション イン ジャパン 80年代のロペとJ & Rを想う
*2021年8月Bloggerで公開した記事を加筆修正して、noteへ移動した。
80年代のJ &Rのベルベットのスーツ、上下で6万くらい。ブラックベルベットとシルバーボタンの輝きに一目惚れ、自前で買った。弟の結婚式とその他数回着ただけ。当時、母さんが珍しくこれを着たわたしを褒めてくれた。
「 ファッション イン ジャパン 1945-2020 流行と社会 2021年6月 9日~ 2021年9月 6日」に行った。馴染み深いスタイルが大量に展示されていた。
明治以降、日本人はいかに着物から洋服に着替えたか、西洋の服をどのように着こなし発展させたか、
日本の服飾史を、実際の洋服と流行、社会情勢で紐解いて見せるものだから、明治生まれのひいおばあちゃんは、普段はモンペで、グレーのパンタロンスーツを外出するときに着てたなぁ、とか、
昭和初期生まれの母さんは、雑誌「ミセス」や「マダム」から気に入った服を見つけては、付属の型紙を自分サイズに調整し、パンタロン、スカート、シャツ、ワンピース、スーツ、子供服、つまりほとんどの服を作っていた、
のは、母さんだけではなく、既成服が普及していない中、着たい服を作ることは、当時の多くのひとにとって、自己表現や着ることの大事な手段であり、
あるいは、父さんがデパートでスーツをオーダーメイドするということは、営業マンとして当たり前のことだった。
アラカンのわたしにとっても、無自覚にその時々の服を選んだつもりになってるけれど、まんまとメディア戦術に乗っかって時代の服を楽しんだなぁ、とか、
とにかく身に覚えがあり過ぎの展覧会であった。
そのうちの展示のひとつに、1970年代のJUN ROPE のテレビCMがあった。監督のリチャード・アヴェドンがローレン・ハットンのスチール写真を撮る様子をCMにしたものだ。
メイクアップアーチスト、ヘアスタイリスト、多くのスタッフたちに取り囲まれつつ、インタビューも受けるモデルのローレン・ハットン。
ペットの犬、シャンパン、ガンガン作りこまれるメイクアップとヘアスタイリングに耐えかね、とうとうローレン・ハットンは叫び声を上げる。
つけまつげを取り去り、髪をふりほどき、カメラの前で本来の表情とポーズ、その瞬間をすかさずリチャード・アヴェドンが撮る、というストーリーだ。絵に描いたような西洋的な世界感、見とれてしまった。
その当時見た記憶はないけれど、80年代には、ロペや同じJUNグループのJ&Rの服をずいぶん着た。
ロペは「ヨーロッパのクラシカルエレガンス」がコンセプトだった、上質でコンサバな服が中心だったのは、はっきりとした方向性があったからなんだ、と感慨深かった。
1980年代、20代のわたしは会社員だった。制服があったのをいいことに、突然ショートパンツとパーカーで通勤し、男性社員に、海に行くのか?と苦笑いされるほど自由に服を着た時代だった。
ある日は、膝上15センチのカーキのミニスカートに胸空きの広いベージュのカットソー、魔女風のウール混紡のチープなスーツ、墨色のマキシ丈のギャザースカートとショート丈ジャケット、コム デ ギャルソンの変形ナイロンシャツワンピース、
かと思うと、股上の深〜い下半身を強調するブリーチ加工ジーンズとトレーナー、その反動で、次の日は、白のコットンクレープ生地のロングフリルスカート、といった具合だった。
手当たり次第、買って試した。欲しいモノや服を手に入れるために働くという人も多かった。そんな中、着道楽の母さんは、気儘で無軌道なわたしの服装に苦言を呈し続けた。
彼女のスタイルは、地に足がついたエレガントさと趣味の良さが特徴だった。ロペはお気に入りのブランドで、常連だった。
母さんはわたし同様、衝動買いもしたが、まず自分のイメージがあり、それに見合った服を探すのが基本姿勢だった。
今思うと、着たい自分の服と着せたい子供服は、自分で縫った世代であることも関係しているのかも知れない。
服に自分を合わせるというよりは、明確な自分が抱くイメージの服を着るという感じだった。
自由に服を買えるようになった会社員のわたしが、好きな服を自分で買う一方で、母さんはしばしばロペやJ&Rにわたしを連れて行き、服を買ってくれたものだった。
夏は麻100%のツーピースで、襟なし半袖ブラウスと膝下丈のギャザースカート、カラシ色の上下とブルーの上下、または、麻とレーヨン混紡のツーピース、グレイッシュベージュのスクエアカットの半袖ブラウスと膝下のキュロットスカート、
冬場は、白と黒のヘリンボーンツイードのロングジャケットと膝下丈スカートなどの服を、試着させ、似合う、似合う、と嬉しそうにしてた母さんの顔が思い浮かぶ。幸福な思い出だ。
一方で、気になったものは何でも試していた20代のわたしは、ちょっと違うなぁ、と首を傾げながら、ロペとJ&Rの服を通勤着として着続けた。
徐々に、コンサバ系の服が、案外自分に似合うということ、社会というステージで服を着るということ、自分を見る視線、実はその延長上にこそ自分のスタイルがあるということを、わたしは、母さんとロペとJ&Rの服、に学んだ。
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