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釣瓶心中

「利吉、わたしと一緒に死んでおくれ」

「お、お嬢様、なにをおっしゃいます」

「そうするよりないと、お前にだってわかっているはず。蔵前の米問屋の一人娘と出入りの植木職人の息子、どうやったって一緒にはなれない間柄だもの。こうして夜更けに人目を忍び、屋敷を抜け出しては八幡様の裏で逢瀬を重ねるくらいがせめてものこと。それだってもしもお父様に知れでもしたら、わたしはきっと意にそまぬ縁談をまとめられ、お前とは二度と逢えないことに……」

「あたくしだって、お世話になっているお屋敷のお嬢様とこんなことになったと知れましたら、お出入り禁止はもとより、腕の一本二本も叩き折られ、半殺しの目にあって放り出されても文句も云えません」

「半殺しだなんて、お前一人をそんな目にあわせやしない。その時はあたしも一緒に半殺しにしてもらってーーいえ、いっそ半殺しと半殺し、二人合わせて丸殺しにーー好いた者同士が一緒になれないくらいなら、二人、あの世で結ばれようじゃないか」

「お、お嬢様」

「身分が違うの釣り合わないのと、そんなことで一緒になれないのなら、せめて死ぬ時くらいはーーねえ利吉、釣り合って死にたいとは思わないかい」

「釣り合って……でございますか」

「お前、釣瓶心中というのを知っているかい。一本の紐を木の枝にかけ、その紐の両方の端で二人一緒に首をくくるという……」

「それはその、真ん中に枝があって、一本の紐がこう両方に垂れて、お嬢様とあたくしとがそれぞれぶる下がってーー釣り合うと?」

「え、ええ……」

「あのでございますね……双方釣り合うということは天秤でもなんでも、そっちとこっちの重さが同じくらいじゃないとなかなかそうならない訳でございましてーーいえ、あたくしは今のままのお嬢様が好きなのでございますから、どうこう云うつもりもございませんが、ただその……釣り合うか、となりますとちょっとばかり……」

「イヤイヤ、それは云わないで」

「あっ、お嬢様、いきなり抱きつかれましてはわたくし、支えきれ……」

「利吉、わたしを抱きしめて」

「は、はいーーえーと、うーんと……」

「なにしているんだい、利吉」

「それがその……こないだまではこの、胴を回した中指の先がくっついたんでございますが……」

「ちょっとお待ち、今、息を止めてーー」

「あっ、くっつきました、くっつきました」

「ああ、もう無理……はあぁ、苦しかった……お前と逢えない時も胸が苦しいけど、逢っても苦しい」

「すみません、あたくしが頼りないばっかりに」

「いいの。お前のその頼りないところが好きなんだもの。家の男どもときたら威張ってばかりで、お前とは大違い。でも……やっぱり少しは痩せないとダメかしら。お前と釣り合うくらいとなるとーー」

「あれは正月のことでございましたか、庭木の枝に羽根突きの羽根が引っかかってーーあたくしが取ればよろしかったんでしょうが、ちょっと脇を向いてた隙にお嬢様が脚立に上られてーー」

「ああ、あの腐った脚立」

「暮れに買ったばかりでしてーーあたくしと手伝いの定吉が一緒に乗ってもびくともしなかったものが、見るも無残に……ですからその、釣り合うためにはお嬢様の胴周りから、少なくとも定吉一人分はどうにかなさらないことには」

「定吉ってあの、ぽっちゃりした子でしょ。あんなものがあたしの身体のどこにーー」

「定吉をですね、うどんを打つみたいに伸し棒で薄ゥく延ばしていって、それをお嬢様の身体にくるくると巻きつけますと今みたいにーー」

「あらいやだ、気味の悪い。身分が釣り合わないのならせめて他のことで釣り合おうと思ったのに、ここでもまた、定吉という邪魔者が二人の仲を裂こうとしてーー」

「別に定吉が邪魔しているわけじゃあーー」

「いいわ。次に逢うときまでにはきっと痩せてみせるから。そしたら一緒に……ね、利吉」

「ああ、利吉、悔しい」

「どうなさいました、お嬢様」

「こないだお前に痩せるって誓ったでしょ。あれからいろいろやってみたけどなかなかうまくいかなくって……それで今日、お琴の稽古の帰りにお光ちゃんと一緒になったから、どうしてそんなに痩せているのか尋ねたの。そしたら……そしたら……」

「そしたら?」

「恋をしてたら女は自然に痩せるものよってーー酷い! 好いた男と心中しようというわたしに向かってそんなこと云うなんて、まるで太っているわたしは恋をしてないみたいじゃない。あんまり悔しかったから帰りにうどん三杯食べてお稲荷さん五つ摘み、口直しにお汁粉二杯。家へ帰って晩の御前を三杯いただき、さっき出掛けにお茶漬けを二杯ーー」

「それじゃあ、いつまでたっても釣り合うことはーー」

「でもね、お茶漬け食べながら、わたし良いこと思いついたの。なにもわたしばっかり苦労しなくても、他にも方法はあるんだって」

「それはどのようなーー」

「お前がわたしと釣り合うくらい太ればいいのよ」

「あ、あの、わたくし至って食の細い質でして。お嬢様みたいに食の図太い方とはーーいえ、その……おまけに心中の話を聞かされてからというもの、三度の食事もろくに喉を通らず、湯屋へ行っても他のお客が入るたびに、あっちへゆらゆらこっちへふらふら、水草みたいに頼りない身体になってーー」

「大丈夫。愛があれば丼飯の五杯や十杯、どうにでもなるわよ。恋をしてても太れるんだって見せつけて、お光ちゃんを見返してやるの。そうして二人仲良くあの枝へーー見て、あそこの松の枝。二本並んで夫婦の松と呼ばれているーーあの両方から伸びた枝が交わっているところへ紐を掛ければーーね、いかにもあの世で夫婦になりますって感じでしょ」

「ああ、なるほど。ありゃあ様子の良い枝振りで。誰でもちょいとぶら下がってみたくなるようなーー」

「あらうれしい。植木職人のお前にそう云ってもらえると、わたしも選んだ甲斐があるわ。じゃあきっと、近いうちに二人であの枝にぶら下がってーー」

 選んだ方はいいものの、選ばれた松の枝の方はたまったもんじゃない。

「なんの因果か、えらいもンに見込まれちまった。夫婦の松と云われちゃいるが、お互い歳を重ねて枝葉を伸ばし、何十年と歳月を重ねた中で、葉先が触れた、枝が交わったと、その度ごとに喜びを噛み締めあったおめえとおれだ。来年の春にはおれの幹におめえの枝が、おめえの幹におれの枝が、ようやく触れ合うかどうかというところへ来てのこの仕打ちーーお松、浮かばれねえ身の上だなァ」

「松吉ッっあん。お前と結ばれたいが一心で伸ばしたこの枝が、まさか仇になろうとは」

「おめえと二人、どうがんばったところで、あんな米俵に目鼻をつけたみてえな娘一人だって支えきれるもんじゃねえ。そこへもう一人、賑やかしに男がぶら下がろうてんだ。お互い、今生では添い遂げられねえ定めと諦め、今度生まれて来るときはーーお松」

「松吉ッっあん」

「人里離れた山奥で、そっと寄り添う二本の山桜にでも生まれ変わり、きれいな花を咲かそうじゃねえか」

「あいあいーー」

 って、どうもこっちの方が艶っぽい。

 別れを惜しむ日々は早瀬のように流れ去り、ついに二本の枝の下に、丸々と肥えた大店のお嬢様と、ヒョロヒョロに痩せた植木屋の倅がやって来てーー

「利吉、なんだってお前はそう胃が弱いんだね。せっかく目方が増えてきたかと喜んでいたのに、ここに来て食あたりなんかしてーー前より痩せてしまったじゃないの」

「申し訳ございません、お嬢様。あたくしもがんばってはみたんでございますが、甘いものを頂けば胸焼けがし、油ものを頂けば胃もたれがし、生ものを頂けば腹を下しで……もう本当、あたくしの身体は漬け物と茶漬けしか受け付けないン」

「頼りない胃だねえ。そんなだからもう、心中しようというのに漬け物石を二つも持って来ることになるんじゃないの」

「食あたりの身体には重うございました。それにしても、普通、石を抱えての心中といえば、橋の上から飛び込むのが道理でございましょうが、まさか石を懐にぶら下がることになろうとは」

「そうしなけりゃ釣り合わないんだもの。あたしだって恥ずかしいやら悲しいやら……せっかく心中するのなら、あとで浄瑠璃にでもなるような、そんなきれいな形でしたかったのに……利吉、お前、心中がすんだら、すぐにその漬け物石を見えないとこへ放っておしまい」

「そんな無茶なーー」

「もういいから、早くこの帯を枝にかけてーーさあさあーー」

 緋色の縮緬の帯が、さっと月明かりを裂いて二本の松の枝にかかる。

 帯をかけられた松吉お松の夫婦松。これも今生の別れとて、互いに見交わす顔と顔。

「おめえに苦しい思いはさせたくねえ。下の二ァ人がぶる下がったら、無理に堪えるこたァねえぜ。一思いにポッキリと、潔くいこうじゃねえか」

「そんなことを云って松吉ッっあん、お前一人で支えられるだけ支えようてつもりじゃーー嫌だよ、折れる時は二人一緒と決めたじゃあないか」

「心配するねえ。帯はこうして互いの枝に渡してあるんだ。俺が折れりゃあおめえも折れる、おめえが折れりゃあ、俺も一緒よ。覚悟はいいか、お松」

「あい、松吉ッっあん」

 二本の松が覚悟を決めたと同時に、下の二人もエイヤとばかりに足場の岩を蹴ってぶら下がる。堪える暇もあらばこそ、生木の裂ける音が鎮守の杜にこだまして、その音に驚いたか二羽の真白き鳥が、一際そびえる長老杉の梢を掠め、二人の魂の如く、天高く飛び去っていく。地上に残るは白く裂けた木口も痛々しい、松吉お松、二本の枝の、互いに重なり合った骸だけーーじゃあなくて、その隣でお嬢様と利吉が目を回して大の字になっていた。

「松坊、お前の仲間の松吉とお松ちゃん、可哀想なことをしたなァ。心中なんてつまらないもンの巻き添えをくらって」

「あっ、長老杉のじっちゃん」

「昔から何度も見ちゃあいるが、なんだって人間というのはああいう馬鹿な真似をするものかな。身分が違うのなんだのとーー同じ人間同士、どこが釣り合わないと云うんだか」

「あっ、それだったらおいら知ってるよ」

「ほう、偉いな、松坊。お前知っているのか。大店の娘と職人てのは、いったいどれだけ身分が釣り合わないものだ?」

「うん、ちょうど漬け物石二ッつ分」

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