見出し画像

苦悶酒

「うう、寒くなったなァ、おい」

「俺のせいじゃねえよ」

「なんだよ。人が寒くなったなァってンだから、そうだなァ、冷えるなァとか、素直に返事したらどうなんだ」

「俺には俺の意見があらあ」

「生意気云うねェ。そりゃ冬ンなったのはおめえのせいじゃねえよ。だけど寒いのはおめえが博打でスッて、火鉢も布団もみんな質入れしちまったせいじゃねえか。ちったァ申し訳なさそうにしろィ」

「俺が申し訳ねえって頭ァ下げれば、あったかくなるのか」

「ならねえよ」

「じゃあいいや」

「よかァねえよ、ッたく……ああッ、寒いッ。なんかねえかな、銭ィかからねえであったまる手がよ」

「あるよ」

「どうすんだ」

「尻ッ端折りしてな、この町内、五、六遍ぐるぐるって駆け出してくるんだ。そのうち頭の天辺から湯気が出る」

「やだよ、犬ッコロじゃあるめえし、いい歳して駆け回れるかい。第一、疲れるじゃねえか」

「銭は惜しむ、身体は惜しむ、それであったまろうって了見が図々しいや。それじゃその了見に免じてとっときの奥の手ってやつをーー」

「なんだ、そんないい手があるのか」

「あのな、息止めてみな」

「息ィ止める?」

「ああ、そうするとどうなる」

「そうだな……胸ェドキドキしてーー」

「それから」

「顔が赤くなるな」

「他には」

「脂汗が出てーー」

「うんうん」

「終わったらゼイゼイ息が荒くなる」

「な」

「なにが、な、だよ」

「胸がドキドキして顔が赤くなって、汗が出て息が荒くなるんだ。走ったのと同じじゃねえか」

「ああ、云われてみりゃあおんなじだ」

「だろ。おまけに足は疲れない」

「なるほど、それじゃひとつ試しにーーはーァァ………………………………………………………………………………………………………………………………ブハァーッーーハーッ、ハーッ」

「どうだ、あったまったか」

「ハーッ、ハーッ……ちょ、ちょっと待ってくれ……ハーッ、ハーッ、ハッハッ、な、なんだか少し、あったまったような気がする」

「へえ、云ってみるもんだ」

「な、なんでえ、おめえ、自分で試したわけじゃねえのか」

「こんな間の抜けたこと、大概の大人はやらないや。お前が間抜けの一番乗りだ」

「人にばっかりやらせてねえで、おめえもやってみろィ」

「へへ、じゃあひとつ、間抜けの片棒担いだつもりで、はぁーぁ……………………………………………ァ………………………………………………………………クッ、クッ………………クッ……ブへェーッーーハッハッハッ……はァーーちょっと団扇取って」

「どうだ、おい、今年の冬はなんとかこれで凌ぐことにしてよ、せめて布団でもと思って用意しといた銭があんだが……これ、飲んじゃうか」

「なんだよ、あるんなら最初っからそう云えよ。酒飲んであったまった方が苦労がねえや。じゃあ俺がちょいと行ってーーほれ、買ってきたぞ」

「なんでえ、二人でこれっぱかりか……あったまるにはちょいと足りねえな」

「しょうがねえやな、お前の寄越した銭が少ねえんだ、我慢しろい」

「だけどよ、どうせ飲むンなら酔っぱらいてえじゃねえか。半端な酒で生酔いってのもつまらねえぜ」

「少ねえ酒で酔っぱらいたかったら、一杯飲むたんびに尻ッ端折りして町内ぐるっと駆け出してーー」

「やだよ、犬ッコロじゃあるめえしーーって、さっきも云わなかったか」

「しょうがねえ。また奥の手だな」

「えっ?」

「走らねえでも走ったみたいになるーーあれだ」

「またやンのかーーあれを」

「どうせ飲むンなら酔っぱらいてえッたのはお前だろ。酔う前に酒がなくなってみろ、あとどうするよ」

「仕方ねえ、そんじゃやってみるか。まずは一杯飲んでーーふぅーゥ………………………………………
……………………………………………………………
ブハァーッ、ハッハッハッ……さあ、おめえも一杯」

「へへ、寒い時はこれに限らあーーああ、うめえ」

「おい、ただ飲むなよ」

「なんだよ」

「やることあんだろうが。ハァーッて、クッての」

「俺も息止めんの?」

「当たりめえだよ。それともなにか、俺ひとり酔っぱらっておめえは置いてけ堀くらってもいいとーー」

「わかったよ、じゃあキューッとやって、キューッと息ィ止めてーーハァッ………………………………
……………………………………………………………
ブへェーッ、へッへッへッ……回るなァ、おい。さあ、どんどんいけ」

「どんどんて量じゃねえや。はぁーっ……………」

「よぉし、俺も、ハァーッ…………………………」

「…………………………………………………………
……………………………クッ、ク…………………」

「…………………………………………………………
……………ブ…………………………………………」

「ーーゼハァーッ、ハッハッ……ウェッ……ど、どうもあんまりいい酒じゃねえな。頭にくる酒だ」

「ーーウウッ、ブブブーー」

「お、おい、そんなに膝に爪ェ立ててーー血が出やしねえか」

「ーーべへェーッーーデハ、デハ、デハ……い、いま目の前がスーッと暗くなって……危なく酔い潰れるとこだった」

「空きっ腹で飲むと効くからな。なんか摘むもンでもねえかな」

「鼻でも摘むか。こっそり息出来ねえように」

「そこまでしねえでもーー摘むもンがねえなら、せめて余興に唄かなんかーー」

「息止めてて、どうやって唄うんだ」

「唄うときくらいいいじゃねえか」

「そんなこと云ってお前、一人だけ息を吸おうて魂胆だな」

「魂胆もくそもあるか。息くらい好きに吸わせろ」

「吸わせろったって、残りの酒はこんだけなんだ。酔っぱらいたかったらおちおち息なんぞ吸ってる暇ァねえや。どうだ、ただ息止めてんのもつまらねえなら、余興代わりにひとつ、どっちが長く止めてられるか勝負するか」

「おお、面白れェ。俺に勝とうなんぞと無理しておっ死んでも恨むんじゃねえぜ」

「お前こそ季節はずれに化けて出るなよ。よォし、そんじゃこうして湯呑みに一杯ッ入れてーーいいかーー勝負ーー」

「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」

「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」

「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………グググッ……ガッ……」

「………………………………………………………………………………………クゥーッ……クク……」

「おうおう、おめえら、なにやってんだ。畳むしったり壁に爪ェ立てたりーーなんか悪いもンでも喰ったんじゃねえだろうな」

「よ、よお、兄ィ……ハア、ハア、ハア……い、今こいつと……ハア、一杯やってたとこで」

「そりゃいいや。俺もおめえらと飲もうと思ってよ。ほれ、一升持ってきてやったぜ」

「一升も? ああ、そんなには息が続かねえ」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?