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豆名月

「ああ、いいお月様じゃ。真ん丸と夜空に浮かんでござる。まるで硯に割り落とした卵の黄身のようじゃ……針で突いたら流れ出しゃせんかの――ふふ、突つこうにもお山の上まで届くほどの、そんなに長い針はないか……

里の衆も今頃はみんな、こうして月見をしておるじゃろう。団子に青柿、里芋枝豆と、こんな山寺へもいろいろと持ってきてくれてありがたいことじゃ。ススキだけはそこらに茫々と生えておるが、あとは何もない寺じゃからなあ……

うん? なんじゃいな。ススキの間から黒いものが……野ねずみ――いや、狸か。子狸のようじゃ。どうした、おまえ、腹でも減っておるのか、ヨロヨロとして――

おや、おまえ、怪我をしておるな。こりゃひどい。仲間同士、喧嘩でもして――いや、噛み傷、引っ掻き傷ではないようじゃ。さては里のいたずら小僧にでもやられたか。そりゃすまなかった、すまなかった。わしが代わりに謝る。あとで子供らにはわしからよぉく云って聞かせるでな。さあさあ、傷を見せてごらん――

大丈夫じゃ、大丈夫――これこれ、そう暴れるな。取って喰おうというわけではない……と云うても、人間が信じられぬのも無理はないか。よしよし、今、薬をつけてやるで――ああ、これじゃ。切り傷、擦り傷、打ち身に捻挫、なんにでもよう効くぞ。ちょいとばかりしみるかも知れんが……

ああ、これ、薬じゃ、薬、いじめておるわけじゃあ――と云うてもわからんか。アイタタタ――これ、そう引っ掻くな。見て見い、今おまえに引っ掻かれた傷じゃ。ここにな、ほれ、こうして薬を塗ると――どうだ。たちどころに痛みが去って血が止まる――とまでは云わんが、あとあとの治りが早い。な、わしも塗るからおまえも塗って、早くよくなるようにな」

 和尚さん、自分も傷だらけになりながら、ようよう子狸の傷の手当てをしてやりまして、子狸のほうも気持ちが通じたのか、それとももう暴れる元気もなくなったのか、おとなしく縁側でうずくまっております。

「ひどい目に遇うたな。尻尾はざんばらでススキのようだし、身体は泥だらけで里芋のよう――そういえば頭のコブは団子のようで、なにやらおまえ一匹で月見のお供えができそうじゃ。どうじゃな、腹は減っておらんか。団子でも喰うか。ほれ――はは、小さな手でしっかりつかまえて食べておる……うまいか。ほれ、もうひとつ――柿もあるが、これはまだ渋かろう。団子がよければもっとやるぞ。

うん? もう帰るのか。腹が一杯になって元気になったか。よしよし、もう里へは下りるでないぞ。腹が減ったらわしのところへ来てな、貧乏寺じゃが、なんぞ分けてやるくらいのことはできるじゃろう――

おお、そうそう。今宵は満月、十五夜じゃ。今夜の月見をこの寺でしたのじゃから、来月の十三夜もまたおいで。十五夜だけ見て十三夜を見ないのは、片月見と云うて良くないでな。わかったか、豆狸。必ず来るんじゃぞ。また団子を喰わせてやるでな」

 狸と勝手な約束をして和尚さん、次の十三夜を心待ちにしております。いよいよ今宵は十三夜、という晩、近くの宿場から逃げてきた博打打ちが一人、この山寺へとやってまいりまして――

「ああ、助かった。こんな山ン中に寺があったとはありがてえ。ここでしばらく、ほとぼりを冷ましてから、どっかまた知らねえ土地へでも行って――おいおい、無住の荒れ寺かと思ったら、人がいるじゃねえか。坊主が一人、縁側で呑気そうに空ァ見上げてやがる。なんでえ、せっかく一息つけられると思ったのによ。どうするかな……あんな老いぼれ坊主の一人くれえ、ふん縛って物置にでも叩き込んで――」

「誰じゃな、そこに居るのは」

「うわっと――いけねえ、見つかった」

「こんな時分にこの寺を訪れるとは……そうか、おまえ十五夜の晩の――狸か」

「えっ? た、田ノ吉って……ど、どうして俺の名前を知ってやがんだ」

「傷の具合はどうじゃな。まだ痛むか」

「な、なんだよ。俺があちこち怪我ァしてるってことまで知ってんのかよ」

「いつまでもそんなところに居らんで、こっちへ入ったらどうじゃ」

「し、知り合いか? いゃあ、こんな坊主、会ったことも……あっ、いけねえ、こりゃ人間じゃねえぞ。サトリとかってえ山に住む物の怪だ。こっちの考ェがなんでもかんでもわかっちまって、最期にゃガブリと――ブルルル、せっかく助かったと思ったのに、とんだ化け寺へ飛び込んじまった。早えとこ逃げ出さねえと――」

「なにをしておる。早く入りなさい。団子もあるぞ」

「団子ォ? ああ……俺が団子に目がねえってことまで知ってやがる。これじゃどこへ行こうがお見通し、とても逃げおおせるもンじゃねえ……ここは下手に逆らわねえ方が――」

「ぐずぐずしておらんで、早くおいで」

「へ、へい、それじゃちょいとその、お邪魔させてもらって――どうも、大将、へへ、ご機嫌よろしゅう」

「ふふ、よう化けたもんじゃな」

「化けた? ああ、これ……なにしろ裸同然で飛び出したもンですからね、途中で干してあった女物の着物を拝借しまして――へへ、こんな恰好でお恥ずかしい」

「いやいや、大したものじゃ。豆狸にしては上出来、上出来」

「豆狸たァどうも畏れ入りやす。まあ、あァたなんかあれでしょ、もう二、三百年くらい生きてらっしゃるだろうから、それから見りゃあ確かにね、あっしなんか豆狸みたいなもンで」

「はは、面白いことを云う。それより、ほれ、団子じゃ、団子。おまえが来ると思うて用意しておいたんじゃ」

「あっしがここへ来ると――はあ、さすが大将、なんでもお見通しだァ……ええ団子ね、団子と……泥団子じゃねえだろうな」

「うん? なんじゃ」

「いけねえ、こっちの腹ン中ァ読まれてンだ。こうなりゃなんだって――へえへえ、いただきやす。こっちゃァもう、ゆンべっからなんにも喰ってねえもんで――ああ、こりゃうめえや。うめえね、大将、これ」

「なんじゃ、まる一日エサにありつけなかったのか――可哀相に」

「そ、そう! 可哀相なんですよ、あっしは。もうね、下の宿場で殴られ蹴られ、さんざんな目に遭わされて――それをやっとこ逃げ出してきたってのに、ここで大将に頭からガブリとやられた日にゃあ、可哀相すぎて目も当てられねえ。石の地蔵だって袖ェ濡らすってやつだ」

「これこれ、誰がおまえを喰うと云った。わしゃそんなことはせんぞ」

「ほ、ほんとですかい? 絶対? 間違いねえ? や、や、約束しましたよ、気が変わったりするの無しですよ。いや、ありがてェ。あっしを喰わねえでおいてくれて、代わりにこっちに団子を喰わしてくれるなんざァ、大将太っ腹だ。この御恩てものは、あっしは一生忘れません。これからはね、朝な夕なに大将のお姿を思い浮かべちゃあ手ェ合わせますんで……ええ、それじゃまあ、あんまり長居するのもご迷惑でしょうから、あっしはそろそろこのへんで――」

「まてまて、今きたばかりじゃろうが、腰の落ちつかん――それになんじゃ、おまえ。また里でひどい目に遭うたのか。どうも傷の治りが遅いと思うとったが――今度はどうした」

「へへ、ご存じのくせに――あっしの口から云わせようてンで? 参ったね、どうも。いえね、チョボ一で仕込みのさいころォ使ってちょいといたずらを――目立たねえよう旅商人てえ素人拵えで、端は上手くいってたんでさァ。それが潮目ェ読み違えて、ズラかろうってときにはもう化けの皮ァ剥がされましてね。おっかない兄さん方がずらっと並んで、よくも騙しやがったなってんで、ぐるぐる巻きに縛られて物置に一晩。いよいよ今夜ァ川へ放り込むってえから、慌てて逃げ出してきたって――ドジな話で」

「化けの皮を剥がされた? なんじゃ、おまえ。その格好で里へ下りて、村人を騙したのか。そらぁいかんぞ。縛られて川へ放り込まれても文句も云えん」

「そらァ大将みたいなその――お偉い方ならね、里へ下りて人をたぶらかすなんてこたァしねえでしょうけれども、あっしみてえな小物は、小手先で人を騙しでもしなけりゃ、世間を渡って行かれねえんで」

「これこれ、考え違えをしてはいかんぞ」

「へ、へえ……」

「たとえ一人を騙してその時はいい目を見ても、噂の広まるのは早いもの。あいつは人を騙す奴じゃ、悪い奴じゃと思われたら、もうその里へは近づけん。渡る世間も狭くなるばかりと違うか」

「へえ、まあ、そう云われりゃ確かにね、あちらこちらと流れ歩いちゃいますが、ほとぼりが冷めねえことには二度と足ィ向けることもできませんで……ちょいといい女が居て、また会いてえなと思ったって、顔さえ拝めねえなんてことも……」

「それに今頃ならば、木の実草の実と山の恵みも多いじゃろう。わざわざ里へ下りんでもよかろうに」

「へ? い、いや、木の実草の実ばっかりじゃあどうも……酒だって飲みてぇし」

「やれやれ、よほど里で悪さをしておるようじゃな。人の暮らしが染みついたか。今のうちに真っ当な暮らしに戻らねば、この先が思いやられるぞ」

「いや、大将の前ェですがね、いまさら――いや、ですからね、そう簡単には……だから、なんてぇンですか……へえ、その通り、わかっちゃあいるんですよ。あっしだってね、真っ当な暮らしをしてえなって思う時も、そりゃありますよ。旅から旅の暮らしで、帰る家も土地もねえ。手足伸ばして大の字ンなって、あーあ、帰ってきたって、のんびりできる場所があればどんだけありがてえだろうかってね」

「帰る場所なら、この山があるじゃろう」

「この山?」

「気に入ったと云うのなら、この寺に住んでも良いのじゃぞ」

「い、いや、そりゃちょっと……大将とひとつ屋根の下ってのはどうも、ありがてえような……どっちかってえとおっかねえような……」

「うんうん、おまえの気持ちもようわかる。これまでさんざん痛い目に遇わされて来たのじゃ、人間の云うことなど素直に信じられんじゃろう。だがな、世の中、そうそう悪い奴ばかりでもないぞ。身に覚えもあるじゃろ、ん? おまえの傷の手当てをしてくれたような者だって、ちゃーんと居ったはずじゃ」

「まったく……大将にかかっちゃかなわねえや。そこまで御存知ですかい。……ありゃあ、賭場の親分のイロですかねぇ。女狐の姐さんとか、お紺姐さんとかって呼ばれてて……ぐるぐる巻きンなって放り込まれてたあっしンとこへそっとやってきて、傷口を焼酎湿した綿で拭いてくれましてね。ちょいとしみるけど男の子なら我慢おしよッて、へへ、ガキに云うみてえに……おまけにこっそり、剃刀を一本握らせてくれて……生き別れンなった弟に似てるとかなんとかってましたがね……あン時ァロクに礼も云えねえで……」

「ほぉ、そうか。どこぞの狐か狸か知らんが、他にもおまえの身を案じてくれた者が居ったのか。ならばなおさら、おまえもその親切に応えなけりゃいかん。今のようなことを続けておったら、いつまた酷い目に遭って、命を落とすか知れんぞ。そうなればせっかく助けてもらったその命を無駄にすることになる。わかっておるのか――狸」

「へ、へえ……あっしもどっかでけりィつけなくちゃならねえと常々思ってやしたが……いい潮時かも知れねえな。こんなこと続けてりゃあ、ずるずる深間にはまる一方だ……わかりやした。大将のおっしゃる通り、今日を限りにすっぱり足ィ洗って、これからは真っ当に――」

「うん?」
「ほ、本当でござんすよ。大将ならお見通しのはずだァ。あっしは正真正銘、腹の底からそう思って……あの、大将――聞いてます?」

 和尚の顔が自分の肩越しに庭のほうへ向けられているのに気づき、ひょいと振り返ったその先に、

「……た、狸……?」

「おやおや、その子狸――こないだわしが傷口に巻いてやった晒をしておるな。とすると……目の前にいるお前様はどなたじゃ?」

「へっ? ど、どなたって、あの、田ノ吉……」

「田ノ吉なあ……知らん」

「知らんて――じゃあ今まで誰と思って話ィしてたと――」

「すまんすまん、狸だと思っとったが、人間だとは驚いた」

「じょ、冗談じゃねえ、人と思ったら狸だったてえなら驚くが、人が人の格好をしてぇて、なんで驚かれなけりゃならねえんだよ。て、てめえ、そんなこともわからねえとこォみるとサトリじゃねえな。てめえも人間だろ」

「わしゃ初めから、ただの坊主じゃよ」

「ただの坊主だァ? な、なんでえ、畜生。こっちァてっきり化けもンかなんかだと思うから――おうおうおう、下手に出てりゃあ付け上がりやがって、よくもへいこら頭ァ下げさせやがったな。そこらのカボチャ頭と違って、俺の頭ァ安かねえンだ。どうしてくれるよ、おい」

「わしゃあなにも……お前様が勝手に張子の首振り人形みたく、ヒョコヒョコしとっただけじゃろう」

「なにおゥ、この野郎」

「これこれ、そう大声を出されては、せっかく来てくれた豆狸が驚いて逃げてしまう。よしよし、約束を守ってよう来たな。ほれ、団子じゃ。うまいか。うんうん――十五夜を見て十三夜を見んことには、片月見じゃからな」

「へっ、狸相手になに云ってやがる、馬鹿馬鹿しい。片月見だってやン。月なんぞありがたがって見るもんじゃねえや。あんなもなァ、野宿のたんびに嫌だって目に入ェるんだ。いつも屋根の下でぬくぬく寝てる野郎が、真ん丸だの四角だのって喜びやがって」

「この歳になるが、まだ月の四角いのは見たことないがの。まあまあ、わしも若い頃は修行の旅で、草の褥に月を見上げることも多かったが……よう話し相手になってくれたものじゃ」

「誰が」

「お月様がじゃよ」

「またふざけたことを。てめえ人間だってさっき――」

「夜更けて一人、月を眺めておると、心の裡が映し出されるようでな。ああ、今日はこんなことがあった、あんなことがあった。あの時わしはああしたが、本当はこうしたかったのじゃなかろうか……いろんな思いが月の面に浮かんでは消え、浮かんでは消え……それと語り合ううち、いつしか朝を迎えることもしばしば――」

「なに云ってやがる。こっちァそんな呑気な旅じゃねえんだ。誰か追っちゃ来ねえか、次の稼ぎ場所はどこにするか、知った面に会いやしねえか……考えりゃ考えるほどおちおち寝てもいられねえ。月なんぞ見てる暇があるかい」

「そんなに気が休まらんのなら、イカサマ博打なぞ止したらよかろう。さっき、足を洗って真っ当に暮らすと――」

「ありゃあ、おめえ――おめえが化けもんかなんかだと思ったから、調子合わせただけだい。老いぼれ坊主とわかってりゃあ、誰がおめえの説教なんぞ――」

「化け物の云うことは聞いても、坊主じゃだめか。まあ、こんな貧乏寺では無理もないが……そう云えばわしのことをサトリとか云うておったが、サトリとはなんじゃな」

「知らねえのか。サトリってなァ、なんでも相手の考えてることがわかっちまう化けもンのことよ」

「ほう、そんなものが山の中に居るのか……これ豆狸、おまえ知っておるか? 知らんか? ……団子がうまいか」

「ちぇっ――おい、狸にばかりやらねえで、俺にも喰わせろィ」

「こらすまんかった。さあさあ……しかしなんじゃな、サトリというのはお月様と似ておるな」

「ああ? どこがだよ」

「どちらも自分の心の裡を写しだす鏡のようなものじゃろ。お前様はずっと、サトリと思うてただ、自分と話をしていただけじゃあないのか。化け物でも坊主でもない、おのれ自身の云うたことは、素直に聞けるのかな?」

「う、うるせえや。だから坊主と話すのは嫌なんだよ、小難しいことばかり抜かしやがって。俺ァもう寝るぜ」

 男はゴロッと横になる。そのまますぐに寝入るかと思いきや、冴えざえと射し込む月明かりが古畳を白く光らせる中、目だけはいつまでも開いたままで――十三夜の月が荒れた土塀の向こうに消える頃、やっと寝息が聴こえてまいります。

「これこれ、もうお天道様もだいぶ高うなったぞ」

「ふぁーあ、もう朝かい」

「よう寝とったな。手足伸ばして大の字になって、おまけに高いびきまで」

「そ、そうか……」

「朝飯はどうするな。団子はないが、粥くらいならあるぞ」

「ああ、じゃあ一杯……そういや、あの豆狸ァどうした?」

「この寺が気に入ったのか、縁の下にもぐったようじゃ。……お前様ももぐるか」

「だから俺ァ狸じゃねえッて……ああ、ごちそうさん。そいじゃあ俺ァ行くよ」

「なにもそう急がんでも。しばらくはこの寺で休んでいったらどうじゃな」

「へっ、また坊主の説教聞かされちゃあ、たまんねえや。……ああ、これ――団子の礼っちゃあなんだけど、こんなもンしか持ってねえんでな。ほらよ」

「うん? さいころか」

「云っとくが双六にゃ使えねえよ。ピンしか出ねえから。――じゃあな」

「ああ、お待ちお待ち。お前様、この寺で十三夜の月見をして、十五夜を見ておらんだろう。月見は両方せんといかん。今度来るときは十五夜の晩においで。片方だけ見るのはよくないぞ」

「今度って――先のことなんぞわからねえよ。まあ、生きてりゃそン時は十五夜と十三夜、両方の月見団子でも喰わせてもらうか」

「ああ、それがいい。それまでこのさいころは預かっておくよ。いいかい、必ず帰っておいで――片見(形見)になっちゃいけない」

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