「Fear」MVを考える。
Kis-My-Ft2「Fear」を分析する。
今回はKis-My-Ft2の28枚目のシングルである「Fear」のMVについて分析し、思考することを試みたい。
28th SINGLE『Fear / SO BLUE』 | Kis-My-Ft2|MENT RECORDING
「Fear」は昨年9月に発売されたシングルであり、メンバーである北山宏光が主演を務めたドラマ『ただ離婚してないだけ』の主題歌となっていた。
楽曲コンセプトへの理解のために、補助的にドラマのあらすじを見ておく。
ネタバレを恐れずに言うならば(ドラマでも冒頭である程度描写されるためさほど影響はないと思うが)北山演じる主人公の柿野正隆は妻の目の前で不倫相手である萌を殺害してしまう。
このような夫婦、不倫、死といった様々な要素が複雑に絡み合ったドラマである。
このような作品の主題歌である「Fear」もまた、ドラマの雰囲気を受け継ぎ助長・演出するような楽曲となっている。
今回はYoutubeに公開されている「Fear」のMVを対象とし、分析を行う。
「Fear」MVにある違和感
MVの概要
Kis-My-Ft2 / 「Fear」Music Video - YouTube
全体で4分程度のMVは冒頭がモノクロの画面から始まる。幹と枝のみ、葉が無い木々の中に北山1人が佇んでいる。
メンバーの後ろ姿から始まるこの映像は1人ずつ撮影されたものである。そのため、集合カットのようなものはない。またリップシーンと呼ばれる、曲に合わせて歌詞を口ずさむシーンも無く、メンバー1人1人の表情のみで構成されている。ざっくりと分けると以下のように表すことができる。
1:10あたり~ 画面全体が赤く色づき始める
1:30あたり~ 画面全体がはっきりとした赤色になる
2:17ごろ~ 雷のような一瞬の強い光が背景に差し込む
3:00~ 雨のように上から水が降り注ぐ
3:22~3:27 メンバー個々の映像が横並びに表示される(ここで初めて7人を同時に見る)
コンセプトを拾ってか全体を通して暗い印象で進み赤・青・モノトーンのような限られた色彩によって構成されている。
こうした映像の中で今回注目したいのが3:27~3:44にある個人カットのシーンである。この場面はMV全体の中で唯一逆再生となっている場面である。逆再生を用いることで違和感が生まれることは容易に想像できる。
では、この場面での違和感は逆再生によるものだけなのか。なぜこのシーンで逆再生が用いられたのか。唯一用いられる逆再生のシーンからその意図と効果について考察する。
逆再生に見られる二重の違和感
逆再生が用いられている3:27~3:44は楽曲の中でラストのサビにあたる。メンバーの玉森から順に、北山、二階堂、宮田、藤ヶ谷、千賀、横尾と個人の表情が流れる。それまでは上から落ちていた水が下から上へ向かっていることが違和感となり、逆再生であることに気付くことができる。
ただ私はこの映像を初めて見たとき、その場面が逆再生であることに気付かなかった。それは大量の水が同時に動いており、上下の向きに違和感を抱きづらいということもある。しかし水によってのみではない。その気付きづらさはメンバーの表情によってもたらされていると考える。
例えば、4番目に流れる宮田俊哉の視線を取り上げる。表示されたとき、宮田はこちら側、つまりカメラの方を向いている。その後画面左下の方へ顔の向きと視線を移動させる。
この視線移動は視聴者にとって「目を逸らした」と認識することができる。目を逸らすこと自体は自然な動作であり、違和感を持たない。
しかし、視聴者はこうした自然な動作と同時に、彼の前髪に触れる水滴が下から上がってくる場面を目にする。
つまり、この逆再生のシーンには①唯一逆再生であることから映像全体への違和感 ②逆再生がメンバーの表情と合致しない(ように見える)とおいう違和感 の二重の違和感を見出すことができる。
逆再生の意図・効果
何故この場面で逆再生が用いられたのか。
すぐに思い浮かぶものとして、視聴者の飽きを防ぐという意図が挙げられる。メンバーそれぞれが表す表情は異なるとはいえ、同じ背景・同じ配置で7人の顔を続けて見ることは幾分かの集中を要するのではないか。そのため画面に変化を与える方法として逆再生が用いられたと考えられる。
また映像全体のストーリーを考えたときも逆再生・違和感への意図を考察することができる。そしてこれこそが効果なのではないだろうか。
ここで映像のストーリーを述べることは私個人の作品解釈を述べることになるため避けるが、こうした前後の映像と異なる点というものは何故違うのかを言及することのできる対象となる。
変化があるということは何か理由があるはず、と私たちの頭は考え出す。理由を追究するために何度も映像を再生したり、SNSに考察や解釈を投稿したり、周囲の人に聞くために薦めることもあるかもしれない。
違和感は、視聴者に思考させるための種になりうるのではないだろうか。
違和感・変化を受容する
今回Kis-My-Ft2の「Fear」MVに見られた逆再生シーンについて分析を行った。その結果、視聴者にとって二重の違和感が発見できることを述べた。
また、これら違和感が視聴者の行動のきっかけになりうることまで言及した。
勿論こうした逆再生などの編集を加えることは作品のクオリティ・世界観上必要とされた側面もあるだろう。しかしより再生されるための、より話題になるための1つの材料であったという考えも不可能ではないだろう。
実際にここでは触れなかったものが多々あり(MV内に登場する蝶、女性の手、北山のネイル等)、それらを深く思考することは解釈を深めることにつながる。
逆再生がもたらす違和感もそうした要素の1つであったと考える。
反省
22:31 本文書き終わり。今日もまた何とかして結論に持っていった感が強い(が事実、これを書くために何度もMVを再生したためあながち間違っていないのかもしれない)。しかし図が無いことが見づらくも感じる。映像をどう処理するか、どう図像にして分かりやすくするのか、今後の課題である。
ところでKis-My-Ft2の説明は初回以降端折っているが大丈夫なのだろうか。私の知っている、をベーシックにし過ぎないようには意識を向けたいところである。
ここでも分かりづらい点、読みづらいと思う点があればぜひ教えて頂きたいと思う。よろしくお願いします。