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「BRAVE TUNING」MVを考える。

二階堂高嗣(Kis-My-Ft2)「BRAVE TUNING」の分析

今回はKis-My-Ft2のメンバー・二階堂高嗣のソロ曲「BRAVE TUNING」のMVについて分析し、思考することを試みたい。
この楽曲は2021年5月に行われた配信ライブ「Kis-My-Ft2 LIVE TOUR 2021 HOME」のために制作され、同年5月にYoutubeにMVが投稿された。
曲のコンセプトとして公式HPには以下のように記載されている。

2年前にYouTubeで公開された「ベノム」が2,000万回再生を突破し、初音ミクや様々なアーティストに楽曲提供を行い、ボカロ界を牽引する人気ボカロP「かいりきベア」が楽曲提供!
今作は、時に流されてしまいそうな事もあるが、情熱を絶やさず常に勇敢な意志を持つ。当たり前のようで、忘れがちな感情に立ち戻ることができるハードでコアな1曲となっています!
さらに、ボーカルは二階堂の声をデジタルボイスにした自身初となる試み!?

Kis-My-Ft2 HP
NEWS2021.05.07「7人7色の個性が爆発したソロMVを本日19:00より順次、
YouTubeプレミア公開!」より引用 
https://mentrecording.jp/kismyft2/news/detail.php?id=1091351

HPにあるようにこの「BRAVE TUNING」はボーカロイドを用いて楽曲を制作するボカロP、かいりきベアが楽曲提供を行っている。そのため、二階堂高嗣自身の声もボーカロイド化して楽曲に組み込まれている。

着眼点ー画面中の画面

Youtubeに投稿されたMV、視聴者の目に一番最初に留まるものであるサムネイルは二階堂本人ではなく、イラストである。映像が始まると二階堂本人がずっと同じ背景にずっと同じポーズで歌う(歌詞通りに口を動かす)映像が主として流れる。
こうしたMVの構成は楽曲提供者であるかいりきベアに寄せたものである。以下のようにサムネイルを比較すると分かりやすいだろう。上が今回取り上げている「BRAVE TUNING」MVのサムネイルであり、下が2021年4月にかいりきベアYoutubeチャンネルで投稿された「メンタルチェンソー」のサムネイルである。

中央にイラストを配置、その周囲で歌詞があらゆる形(フォントや動き)などで表示される。大まかなつくりとしては共通している。また、これについてはHPにも以下のように記載されている。

MVでは、かいりきべアが手がけるMVの世界観を踏襲し、実写でやってみた?!という切り口でデジタルとアナログがうまく融合した攻めのMVが完成しました!

同前、https://mentrecording.jp/kismyft2/news/detail.php?id=1091351

このことからもMVがかいりきベアの楽曲MVに寄せられたことが分かるだろう。ただ違和感を抱く演出が見られた。それは0:12-と1:23-に登場するスマートフォンによる演出である。視聴者が見る画面の中に画面が登場する。かいりきベアのMV中ではこうしたメタ的なものは見られなかった。
提供楽曲だから?生身の人間だから?なぜこうした演出があったのか。これを「BRAVE TUNING」分析の起点とし、考察する。

二重画面

0:12- 分離と繰り返し

イラストと同じポーズをとった二階堂が登場し始まる映像。しかし0:11でその画面は停止し、0:12から停止した画面の映ったスマートフォン、それを持つ二階堂の手元が映り、スマートフォンは置かれ、立ち上がる二階堂がカメラに入り込む。
これまで視聴者が見ていた画面は、画面中のスマートフォンに映った画面であったのだと思わされる。その後、立ち上がった二階堂が冒頭の同じセットの前に、同じポーズで立ち、先ほどの映像の続きを行うまでが流れる。
こうした視点はスタッフ的、言い換えればメタ的な視点と言える。演者がセットにつくところまでを見るのは通常その場にいるカメラマン・スタッフに限られるだろう。それを視聴者が見る。
一度視聴者という立場から離れる、あるいは映像が途切れることで作品自体から離れるような分離がある。そしてまた同じ背景・ポーズの映像が繰り返される。

1:23- 誘導と繰り返し

楽曲最後のサビが終わると同時にスマートフォンを持った二階堂の画面が登場する。しかしそれは静止画ではない。二階堂が持つスマートフォンを中心に映像はクローズアップされる。スマートフォンの画面を見ると奥にまでスマートフォンの画面が続いている。クローズアップの果てで、次のスマートフォンの画面へ、転々と移っていく。画面の中に入るような感覚に近い。
また、映る画面内は同じものではない。

二階堂(無表情)

イラスト

二階堂(笑顔・左側)

二階堂(笑顔・右側)

イラスト

全4パターンの画面が上記のように繰り返される。最後は二階堂(笑顔・左側)の画面の奥に今までの背景が表示されて映像が終了する。
視聴者の視点を内へ内へと引きずろうとするような、しかもそれは二階堂自身にではなく、彼が持つスマートフォンの画面へと誘導するような動きがある。そしてそれが画面のパターンを持って繰り返される。

繰り返し・メターつくる

スマートフォンによる演出、という点に共通して繰り返しの構成が見られた。そしてそれはどこかメタ的な視点を彷彿とさせていた。スタッフ的な画角、誘導という形で人の操作が感じられる画面。

これらが可能にするのはそれが”人工物”であるという認識なのではないだろうか。0:12のメタ的な映像の後に同じ映像を繰り返すことで、その場が”つくられたもの”であることが印象付けられる。
1:23以降続く繰り返しでは、人の手で描かれたイラスト版二階堂と表情が定められた二階堂自身を繰り返すことで、その二階堂が”つくられたもの(作為的なもの)”であることが強調される。

アイドルがボーカロイドになる

そしてこの楽曲の大きな特徴に回帰することとなる。
アイドルがボーカロイドになる。
普段、自分たちの声で歌い表現するアイドル、Kis-My-Ft2、二階堂高嗣。
その声が”つくられたもの”になって視聴者に届く。
”つくられた”ことの強調。それは逆説的に人間、ここでは二階堂本人に立ち返ることを可能にするのではないだろうか。この場でつくる素材となった二階堂自身がどのような素材であるかを辿る、その契機になりうる。

つまり、「BRAVE TUNING」にあったスマートフォンの演出は、楽曲提供者であるかいりきベアに寄らない独自の演出でありながら、それがもたらす繰り返しによって”つくる”というボーカロイドに帰結させているのだ。

しかしそんな彼はこの楽曲で”つくられる”ばかりではない。この楽曲をライブで歌い、踊るのは紛れもない彼自身である。二階堂高嗣、彼もまた”つくる”人であり、この楽曲における”つくり手”は循環し、繰り返されていくのだ。


反省

まずはこの文章が賛辞のようになってしまったことを断っておきたい。その上で何故今日、この楽曲を選択したか(何故この時間まで書いてでも今日投稿したかったのか)示しておこうと思う。
Kis-My-Ft2・二階堂高嗣、誕生日おめでとう。どうか健やかな日々を送ってほしい。

私的な理由だが、このような形で祝う(祝いの言葉がなくとも祝いの気持ちがあるという意味で)、自分にとってのきっかけを作ることもダメではないな、と思うなどした。新しい観点。
しかし今回も小難しい言葉で展開しようとする強引さが出たように思われる。読みづらい箇所や分かりづらい箇所があれば、遠慮なく教えて頂きたい。よろしくお願いします。

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