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【エッセイ】愚か者よ、夜に踊れ

午前1時、終電後のとある駅前。
自宅の最寄り駅から数km離れたそこに
私は真顔で佇んでいた。
私と同じく飲み帰りと思われる人々の
喧騒をのんびり眺めていると、
いつの間にか最寄り駅をすぎていたらしい。

キショめのお茶目を認めたあと、
Googleマップで自宅への経路を調べると
48分とのことだった。
人々の営みがひとまず消えた街の中で
手元の明かりは私に労働を強いるらしい。
少しの吐き気と多大な眠気を抱えたまま
軽めの風邪をひいた時の夢のような
曖昧な光が照らす道を、たった一人で
進まなければならないことがここで確定した。

結論から言うと、まあ悪くなかったのだ。
コンビニだけがピッカピカの風景は
酷く滑稽に見えて楽しかったし、
街灯がひとつ飛ばしでポツポツ
点滅している姿はどこか儚さを感じた。
少し街をぬけて公園に着くと、
どこかで勢いを削がれた風が枯れ草と共に
颯爽と私の肌を撫でていく。
そして土と青い臭いが私の鼻をくすぐった。
また、忙しげに通るトラックの走る音と
悠然と佇む木の葉の擦れが酷くズレていて、
文明と自然の対称性を感じずにはいられない。
ただ時間だけが忙しなく動くこの静寂は
思案を巡らせるにはちょうど良かったと思う。

果たして、しんみりといけ好かない私の雰囲気は
大きな連絡橋に立った時、終わりを迎えたのだ。
視界を遮る構造物は地平の向こうへ、
空を覆う雲は彼方遠くへ過ぎ去っている。
まさに解放された空間がそこにあったのだ。
解き放たれた空気の塊は私の体とぶつかり、
後を追う間もなく過ぎ去っていく。
ライトはプログラム通りオレンジ色に照らし、
生きた生命のゆらぎを何一つ感じさせなかった。そんな命の輝きとは正反対の無機質さの
上にたっている命は私だけだ。
そう錯覚させるには十分なほど静かだった。

両手を広げ通り過ぎる風を捕まえようともがく。
派手に足音をたてて自分の存在をひけらかす。
まるで無規律な群衆のように体を動かし、
酔っぱらいの騒ぎ声のように音を奏でた。
あの場は観衆なきたった一人のステージ、
自己実現を満たす格好の場だったのだ。

自転車で颯爽と通り過ぎる
赤の他人と目が合うまでは。

それまでのさらけ出した自己はなりを潜め、
おずおずと、申し訳なさそうに腰を曲げて
私は連絡橋を歩き始めた。
いやそうだ、別に私だけの場所では無い。
道があれば動けるものは誰だって通るのだ。
夜が私の目を暗くして、静寂は私の耳を塞いだ。
そして、私の心から恥を忘れさせたのである。

でも幸いである。昼では無いのだ。
日の明るさのように私の愚かさは目立たない。
とすると、愚かになれるのは結局夜だけなのだ。
己をさらけ出せたあの場は幸福だったのだと。

きっとまた、言いようもない感情を
どこかにぶつけたくなってくる時がやってくる。
そういうとき、ぶつけ先がなく自分に矛先が
向くことは何も改善がなく、寂しいことなのだ。
であれば、誰もいない場所で1人、開放された
ステージの上でその感情を晒そうでは無いか。
「愚か者よ、夜に踊れ」。
そしてまた、恥を得た賢者になろうではないか。

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