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野蛮な日記 25/01/18

 目標として、日記を週に2回書くことにしていたが、先週から体調を崩してしまうことが多くなった。特に、今週の水曜日からがひどく体調を崩してしまった。悪夢から起きると、急にめまいと吐き気がした。しかし、今日は休めないと思い、出勤したのだが、会社のトイレで2回ほど嘔吐してしまった。この状態だと他の方々に迷惑がかかると思い。連絡事項とやってほしい仕事を引き継ぎを行った後、午後から休暇をとり、電車で嘔吐するのを堪えながら家に戻った。すぐさま家に帰り、熱を測定したところ、37.8度あった。体の節々は痛みが少しあり、少し気だるい感じ…。もしかしたら、インフルエンザB型かもしれない…。そう思いながらも、病気で疲弊した体を休めようと2時間ほど寝込み、その後に病院を予約した。すぐに、対応して頂いたので、すぐに診察を行って頂いた。診察は、昨日に食べた、卵かけごはんによる”食中毒”だった。一応、整腸剤は頂いて、様子を見ることにした。その翌日も熱があったのでお休みを頂いた。その際は、むかつきがあるだけなので、ゼリーとスポーツ飲料を購入し、胃に負担をかけないようにしながらエネルギー補給をした。一日過ごすと熱も下がったので、金曜日から出勤をし、残っている仕事を行った。
 食べ物にあたったのは仕方ない。しかし、少しメンタルがしんどいことも重なって、症状が出たのかなと感じるようになった。以前から、新しいことにチャレンジしようと、動き続けており、生活に変化が続いていた。その時に、このままでいいのだろうかという、不安が募るようになった。

もっとしっかりしないと……、もっと現実を見ないと……。もっと、男らしくいないと……。

そんな言葉が頭の中の水槽で、イワシのように群がって泳いでいる。その言葉の群れに巻き込まれているのか、本の読むスピードが遅くなっていた。自分が世の中の目でうまく泳ぐことができない歯痒さを感じながら、抗おうとして、もがいて泳ぐ。それゆえに、一文字一文字に囚われているかのようだった。しかし、いずれかは言葉の群れも過ぎ通ることができる。そう考えれば、素直に泳げる方法が来るかもしれない。そう思いながら、日々を過ごしていくことしか今は出来ないけど、それで十分だ。そう思い、呼吸を整えながら日々を過ごしていく。

 今日は、先週購入した一眼レフカメラで写真を取ろうと思っていた。その第一号にほんの入り口さんの店内を撮ろうと思ったが、体調がすぐれないので、京都駅周辺で写真を撮ることにした。写真を撮るにつれて、頭の中が空になるような感じがした。しかし、集中しすぎて、へまをしてしまうこともあった。次から気をつけよう……。そう思いながら、背中を丸めて、写真を取っていく。一眼レフを手に入れるまでは、携帯やチェキでとっていたので、構える時すごく緊張してしまった。なので、カメラを撮るときは、本当に手汗によって、カメラが少し濡れてしまうので、撮るたびにカメラについて手汗を拭いていた。

コンクリートの無機質な写真を撮る。モノクロを設定し、通路の奥を焦点にして写真を撮る。

 絞りを変える、焦点を変える、ズームして画角を変える。自分の目の延長になるように、撮っていく。今は、試行錯誤をしていくしかない。しかし、それだけでも自分の視点が変わっていくことがある。

絞りを変えてズーム。焦点を彫刻の左端にして背景をぼかしてみる。
橋梁を撮った日陰の構造が三角で統一されているようだ。

 街中に入って、今度はシャッタスピードを変えてみる。シャッタスピードを変えると、その分光を取り込んでしまう。なので、その調整と構図の選定を同時にしながら写真を撮っていく。シャッタスピードを変えることによって、光の軟らかさが変っていく。その感触を感じながら、カメラを構え続ける。
千葉雅也さんの「センスの哲学」の中で書かれていた、波のブレをちいさくしていく感覚をつかんでいく。

シャッタスピードを遅くして写真撮る。それだけで、光が軟らかくなる。

 今度は、京都駅のガラスに映る京都タワーを取っていく。光の屈折のせいなのか、上下が分断されている。それを撮るだけで、自分がここにいるということを確認ができる。

屈折した京都タワー

 今度はシャッタスピードを遅めに設定したままで京都タワーを撮っていく。シャッタスピードを変えて写真を撮るので、人が流れと京都タワーという静と動を表現する。

京都タワーと人の流れという静と動を表現する。

 この頃は、人もとるのだが、鏡のように映ったものを撮るが好きなのかもしれないと考えるようになる。それが自分のスタイルかもしれない。

 他にもいろんな写真を撮り、陽が落ちそうだったので、電車に乗って帰宅した。電車に乗っていた時に、集中力が切れたのか、急に吐き気がした。カメラにはかけたくなかったので、カメラをバックの中にしまい。電車の窓の景色を見ていた。その時、いつも電車の中で見ている風景がいつもより変わっていた。何か自分ではないような、ふわふわした感覚を感じながら電車で揺られていた。そうやって自分の皮がむけていくのだろう。これからどのように自分の皮を向けていくのか、楽しみで仕方がない。

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