第1回「看護覚え書」のおぼえがき
なぜ「看護覚え書」?
私は障害のある方が利用するグループホーム(以下GH)に勤めています。施設長は金井一薫先生というナイチンゲール研究をしている方から直接教えを学ぶ機会があったこと、私は社会福祉士の受験資格を取るため学校に通っている時に講義を聞いたことがあったことという共通点からGH内でこの本をテキストとして研修をすることにしました。
この本をこれまでしっかり読んだことはありませんでしたが、当時の講義で、看護覚え書にある「看護」と福祉の「介護」の定義は同じと理解していました。そのため、私の勤めるGHで看護覚え書をヒントに支援にあたることに不思議はありません。施設長はこの看護覚え書を読み返しては支援の質の向上にに役立ててきた経験がありました。ナイチンゲールの看護の視点を活かすことで、GHの利用者に対する支援をより良いものにしていきたいとの考えから、皆で看護覚え書を少しづつ読むという勉強会を開催することにしました。これは利用者と関わる上でより良い支援は何なのかを考えるきっかけになりました。
このGH内研修での学びをここに記録することで誰かの役に立つことがあるかもと考え公開してみます。
※この「看護覚え書」は1968年(昭和43年)に第1版が発行されて以来2011年(平成23年)までに第7版となり、2018年(平成30年)に第7版が10刷されています。ナイチンゲールがこれを書いたのは1860年。160年以上経っても世界中で読まれ続けている名著です。
昭和50年の訳者まえがき より
上記に付け加えると金井先生はナイチンゲールを科学者であり、生命哲学者でもあったと言っています。
またこの前書きでは「地球全般にわたって生命の危機がしのびよっているといわれる今日」という記述がありました。昭和50年のころからずっといわれていたのかという思いと、現在はより一層その危機が迫っているなという思いがあります。そんな今読むからこそ、「ナイチンゲールが熱望してやまなかった人間をそして健康をより高めていく歩みを力強く前進させていく実践家として成長されるように期待している。」という言葉がぐっと胸に来ます。
1860年 はじめに より
この覚え書は看護師のためのマニュアルではないと最初に言っています。
19世紀のイギリスの病院は今で考えるような病院ではなく、極貧の人々が病気になったときに収容される施設で不衛生だったそうです。そして看護婦と言われる人も同じく貧しい方でなんの技術も知識も持っていなかったのだと金井先生は言います。
そのような時代背景があって書かれている本であることを認識の上読むことがまずは大切です。
序章
P.13 ~P.20 の内容を私なりに簡単にまとめました。
・病気とは回復過程:すべての病気はその経過のどの時期をとっても、程度の差こそあれ、その性質は回復過程であって必ずしも苦痛を伴うものではない。つまり、病気とは毒されたり、衰えたりする過程を癒そうとする自然努力の現れであり、その時々の結果として現れたのが病気と言う現象である。
・その病気で避けられないと一般的に考えられている症状や苦痛などが、実はその病気の症状ではなくて、まったく別のところからくる症状、すなわち新鮮な空気や陽光、暖かさ、静かさ、清潔さ、食事の規則正しさと食事の世話などのうちのどれか、または全部が欠けていることから生じる症状であることが非常に多い。
・看護とは新鮮な空気、陽光、暖かさ、清潔さ、静かさなどを適切に整え、これらを活かして用いること、また食事内容を適切に選択し適切に与えること。こういったことのすべてを、患者の生命力の消耗を最小にするように整えることを意味すべきである。
この本を改めて読み返しながら再度、よりよい支援とはケアとは何かを考えるきっかけにしたいと思いました。次回は1章換気と保温について書いてみます。
ここまで読んでくださりありがとうございます。一緒にナイチンゲールの思いに触れ、自分の実践に活かすヒントを得て行けると良いですね。
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