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駅寝の思い出

実は僕は駅舎で泊まった事がある。所謂駅寝、STBをした事があるのだ。ただそれは遂最近の事ではない。10年前の2014年の6月の事だった。場所も本州ではなく、北海道の田舎の駅だったが、今でも良く憶えているのはニセコ駅での事である。現在ニセコはインバウンドの観光客で賑わっていると聞くし、それによりおそらくニセコ駅は10年前とは異なり、夜になると改札口が閉められ、中には入れない状態になってしまうと思う。しかし10年前のニセコ駅は終日駅舎が開放されており、よってその中で泊まる事も出来たのだった。

当時、僕は道南の木古内という町から旭川まで徒歩とヒッチハイクを兼ての貧乏旅行の真っ只中にあった。その旅行の途中においてニセコの街にたどり着いたのである。当初僕は金を惜しむ気持ちからニセコの街のどこかの公園で野宿をするつもりだった。一泊でもいいから宿泊代を浮かしたかったのである。ところがやはり6月だと云ってもニセコの夜は寒い。仕方なく僕はどこか安いビジネスホテルにでも泊まろうと思い直して、当時はスマホを持っていなかった故に、駅近くの交番でその事について聞こうと思い、夜のニセコ駅へと行ったのだった。ところが既に午後9時を過ぎていたので、どうやらお巡りさんは巡察に赴いていた模様で、交番には誰もいなかったのだった。

ニセコ駅

で当てが外れた形の僕は取り合えず、ニセコ駅の駅舎の待合室に入ると、そこには寝袋を床に敷いて横たわっている男がいるではないか。気になった僕は恐る恐るその男に何をしているのか?と尋ねてみると、男の素性はどうやら中国人らしく、今夜はここで寝袋を敷き、一泊するのだと言う。驚いた僕は「それって犯罪じゃないの?」と聞くや、その中国人は流暢な日本語で「大丈夫だよ。駅長さんの許可も取ってあるから」と答えるではないか。そしてその中国人は「君もここで泊まれば?」と勧めてもくるのである。

これに僕は「ここで泊まりたいな」と素直に思う反面、「見ず知らずの中国人と一緒に寝て大丈夫なのか?」と煩悶する気持ちになってしまった。何を隠そう当時の僕は中国や中国人に対して良いイメージを持っておらず、「ここでこの中国人と一緒に寝たら、何かをこいつにスラれるんじゃないかな?」と思い込む程の差別意識が強かったのだった。当時(2014年)は嫌韓・嫌中本が一代ムーブメントになっていた事もあり、それに毒されていた面は多分にあると思うが、それにしても初対面で相手が中国人だと云うだけで、泥棒のイメージを持ってしまうなんて当時の僕はあまりに酷い奴である。

が結局、再度交番へ行ってビジネスホテルについて尋ねても、こちらが期待するような値段のビジネスホテルがなかった為、僕は駅舎で中国人とともに寝る事になった。その際忘れられないのはその中国人から貰ったみかんの事である。僕はリュックサックを枕にして、その中国人に背を向けるようにして寝入ると突然僕のお腹が「グーッ」と鳴ったのだった。何を隠そう、僕はその日夕食を食べておらず、大変腹が減っていたのである。

すると突然隣に寝ていた中国人が起き上がり僕の肩を叩いたので、振り向くと、彼は僕に一つのみかんを差し出してくれたのだった。これに僕は意味が分からず、「どうしたのこれ?」と聞くと、彼は「やるよ。お腹が空いているんだろ」と言ってくる。どうやら中国人は僕のお腹の音から僕の空腹を察して、みかんをくれたようなのである。とりあえず、僕は「ありがとう」と答え、そのみかんを貰ったが、その場で食べる事はしなかった。未だ僕は彼の事を疑っていて、そのみかんに「毒が入っているのではないか?」などと詰まらない事を考えてしまったのである。

そうして僕は空腹を我慢して目を瞑ると、やがて夜が明け朝になった。起きたのは午前7時の事だったと思う。始発の電車がホームに到着した際の大きな音で僕は目覚めたのだ。起きた僕は頭がいきなりハッとし、リュックサックを確認したが、物は何も盗まれてはいなかった。で隣を見てみると、中国人は既におらず、代わりにみかんがもう一つ置いてある。そのみかんを見た時、僕は最後の最後まで、その彼の事を疑っていた自分の愚かさに嫌気がさし、居た堪れない気持ちになってしまった事をよく憶えている。これは青春時代の苦い思い出の一つだろう。

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