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関東めぐり愛⑥・鎌倉
鎌倉と云えば、芥川賞作家西村賢太氏が好んでいた、昭和初期の無頼派作家の田中英光の生育の地である。田中英光の代表作は早稲田大学時代のボート選手としてのオリンピック出場を描いた「オリンポスの果実」が有名であるが、鎌倉の自宅から旧制湘南中学に通っていた時代の事も、英光はその私小説の中で書き記していたはずである。
今でこそ、そうして鎌倉にそれなりの思い入れがある私であるが、2014年の春頃に訪れた際には全く田中英光の事など頭になく、ただ単純に鎌倉が関東の古都である事やそこが母方の祖母の生育のただある事から興味を持ち、訪うたのであった。確かその時は江ノ電の長谷駅近くのユースホステルに泊まった記憶がある。
時は2014年の事なので、今程海外からのインバウンドもいなく、人口密度的にはかなり快適な感じで鎌倉を観光出来たのだった。で鎌倉と言えば何と言っても鶴岡八幡宮だったが、私にとっては高徳院の大仏の方が印象が深い。確かそこで私はアイスキャンディーを舐めながら、大仏を観賞したのだったが、その近くに大学生ぐらいの仲睦まじいカップルがいて、当時看護学校を中退したばかりでインフェリオリティコンプレックスを強く抱いていた私は何だかそのカップルと自身を比較して自分の努力不足は棚に上げて、何故自分だけ高卒と云う身分に堕し、且つ野郎一人で鎌倉クンダリまで旅行などしているのだろう、と云ったような負の感情を抱いてしまったものだった。
実を言えば当時の私は漫才師を目指していて、太田プロの漫才師養成学校に行こうか、迷っている時期でもあったのだったが、近くに仲睦まじいカップルがいただけで僻みなどの負の感情に支配されてしまう心の狭さに、自分はお笑いなどを志す人間ではないとその時悟ったものだった。若手芸人のライブなど、若いカップルなどが詰めかけているだろうし、それらの者達に対してその都度腹を立てていたのであれば、相方とのコンビ仲にも悪影響を及ぼすだろう。故に私はその際、漫才師の夢を一度諦めたのだった。
そう考えると鎌倉への旅行は私の人生の中での転機となったと思う。これもまた、大仏の御利益なのかもしれない。もし鎌倉へ行ってなかったら、年末のTHEMANZAIに出演していたかも?と夢想する事も未だにあるのだが🤣。
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