極私的「翔ぶが如く」論
大河ドラマの「翔ぶが如く」が好きである。平成2年(1990年)に放映されたこの作品の脚本は小山内美江子氏であったと思う。一方原作の方はと言うと、第5巻まで読んだ。つまりはまだ完読していないのである。であるから私は司馬遼太郎氏の小説としての「翔ぶが如く」については語れないのだが、大河ドラマの方はリアルタイムではないものの(平成2年時はまだ生まれてもいなかった。)、25歳の時にTSUTAYAで借りて最終回まで見通したので私なりの一家言を持っている。今回はそれを書き記す事としたい。
この作品を観た人には説明するまでもないのだが、この作品は幕末維新期の2人の男が主人公である。すなわち大久保利通と西郷隆盛の2人だ。大久保役が鹿賀丈史氏で西郷隆盛役がこの間亡くなった西田敏行氏となっている。加賀氏演じる大久保は背格好も近い事から、瓜二つであったし、片や西田氏演じる西郷は上背だけが難点だったものの、西郷隆盛が持っていた人徳や人間味と云ったものを見事に西田氏が演じ切っていて、個人的に文句の付け所はなかった。それは2人とも石川県出身(鹿賀氏)、福島県出身(西田氏)で九州の出身ですらないのに、臨場感溢れる見事な鹿児島弁を話して演じているからでもあったと思う。本物の薩摩隼人か、と思わせるような力強い鹿児島弁がこの2人だけでなく、出演している薩摩藩士役の役者から発せられるのも、この大河ドラマの特徴であろう。それも恐らくこの大河ドラマが放映された平成2年(1990年)と云う時代背景が大きいのかもしれない。撮影当時(1989年〜1990年)はインターネットも普及しておらず、世の中の景気もバブル景気の好景気でもあった為、国民の心はおおらかであったから、一々細かい事に文句を付ける視聴者は皆無であっただろう。今だったら、鹿児島県民からSNSなどでクレームが付く事を恐れて、この「翔ぶが如く」で使われているような、激しい内容の鹿児島弁は使えないのではないだろうか。
そして個人的にこの大河ドラマのハイライトシーンは大久保利通と西郷隆盛と云う両雄が朝鮮を巡って対立した征韓論を巡るシーンであったと思う。幼い頃から固い絆で結ばれ、倒幕維新までを成し遂げた2人だったが、明治初期と云う時代にあっては朝鮮に関しての外交観が決定的に一致しなかったのである。武を以ってしても、朝鮮に開国を迫るべきだとする西郷隆盛、それに対して明治6年の段階では対外戦争は避けるべきだと考える大久保。実際のシーンでは最早大久保利通と西郷隆盛の霊が憑依しているかのような、鹿賀丈史氏と西田敏行氏の迫真の演技が僕の心を揺さぶった。
ラストを飾る西南戦争では今のように戦闘シーンをCGで片付ける事はせず、広い野外でセットを組み立ててふんだんな火薬を使って撮影が行われている。これも撮影当時(1989年〜1990年)のバブル景気の時代的な要素が大きかった気がする。一々そこで怪我をしても役者側や事務所側もNHKに文句や訴えをインターネットが普及していないから言えなかっただろうし、セットにしてもバブル景気で金回りが良いから、実際に臨場感溢れる戦闘シーンを再現出来てしまったのではないか。これはやはり名作が生まれる要因には時代的な要因が大きいと云う証拠でもあろう。