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犬夜叉信者
小学生の頃の僕はこれと言った趣味のない、結構無気力な少年だった。僕は野球にもサッカーにもゲームにも興味が持てず、当然そうなると友達も少なかった。故に当時の僕の唯一の楽しみはテレビを視聴する事以外にほとんどないと云った状況であった。今ではテレビ嫌いとなってしまったが、所謂当時の僕はテレビっ子だったのである。
そしてテレビっ子の小学生と言うとアニメばかり視聴していたような印象を与えるかもしれないが、当時の僕は同世代の男子に圧倒的な人気があった戦闘漫画の「ワンピース」や「NARUTO」には全く興味が持てず、唯一アニメの中で視聴していたのが、「犬夜叉」であった。約20年前まで、日テレにおいて月曜日夜7時から放映していたので、この「犬夜叉」を視聴していたと云う同世代の、特に女子は多いに違いないと思う。同じ戦闘漫画でも「ワンピース」や「NARUTO」は男子人気が、「犬夜叉」は女子人気が高かった作品だったろう。
でこの「犬夜叉」、どうして当時の僕にそんなにハマったのかと云うと、単純に「犬夜叉」の容姿が格好良かったから、ヒロインの日暮かごめの容姿が可愛いかったから、と云う理由もあったが、アニメで使用されているBGMの曲調が魅力的だったからと云う要因が大きかった。
「犬夜叉」のBGMは当時アニメを視聴していた人なら問答無用で理解出来ると思うが、勇ましいものやひょうきんなものや切ないものなど、多種多様な感情を揺さぶる曲調が揃っており、それは視聴者を飽きさせない一つの大きな武器ともなっていたと思うのだ。ちなみに僕は上に貼り付けたような切ない曲調のBGMがとても好きだった。
正直ストーリーとしての「犬夜叉」は犬夜叉一行がバスである「奈落」と出会っては闘うが、結局奈落はどこかへ逃げて決着が付かないと云う事の繰り返しであって戦闘漫画として読むだけなら冗長だろう。しかしそこに「犬夜叉」と「かごめ」と「桔梗」の三角関係などの恋愛要素も入っているから、退屈にならないのであり、そうした工夫はBGMにおいても発揮されていたはずなのである。
こうして2000年10月の放送開始から、僕は「犬夜叉」の世界観に魅了され、すっかり「犬夜叉信者」と言った程の心酔振りであった。大袈裟でなくあの頃の僕は「犬夜叉」の次の回観たさに、生き延びていたと云う気がする。勉強も得意でなかったし、スポーツも嫌いだった少年が学校では居場所を見つけられないのはある意味で当然だが、心底ハマれるものがテレビの世界にあった事はとても幸福だったと思う。お陰で生きる意味みたいなものを当時の僕は得られていた訳だから。
ただそんな状況も2003年を過ぎた辺りから一変する。それは何故なのか?実は2002年辺りまで放映されていた回では、アニメの画質が今と違ってセル画であり、その点も当時の僕を大いに満足させる要因ともなっていた。その後2003年からは、すなわち七人隊編以降の「犬夜叉」のアニメの画質はセル画からデジタル画質に切り変わったが、どうにもこの変革がそれまで毎週欠かさず「犬夜叉」を視聴していた程の「犬夜叉信者」だった僕にはダメージが大きかったようで、段々と「犬夜叉」から気持ちが離れていく決定的なきっかけとなってしまったのである。
どうにも私は「犬夜叉」に限らず、アニメはセル画でないと、受け付けない質となっているようなのである。特に「犬夜叉」は妖怪漫画でもあるだけに、セル画とデジタル画質では妖怪の迫力や怪しさの点で、個人的判定に過ぎないが、どうしてもセル画の方に軍配が上らざるを得ないと思う。雲泥の差とも言っても良い。それ程の違いがセル画の「犬夜叉」とデジタル画質の「犬夜叉」にはあったのだった。
さてこうして何とか七人隊編までは見通した僕だったが、白霊山が崩壊して以降の「犬夜叉」はほとんど視聴する事なく、例の突然の打ち切り最終回(2004年9月13日)をも見逃してしまった。つまり僕は2004年以降の「犬夜叉」に関しては全くと言って良いほど視聴していないのである。故にか分からぬが、僕は毎年9月13日になると、何だか日本国民にとっての8月15日の敗戦の日のように、感慨深く「犬夜叉」を思い出し、リアルタイムで当時最終回を視聴出来なかった事を悔やむのである。やはり「犬夜叉」は僕にとってはいつまでもヒーローなのだろう。そもそもこの漫画のお陰で僕は日本史にも興味を持ったし、着物好きにもなったのだから、改めて自分は計り知れない影響を「犬夜叉」から受けたのだ。