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俺たちの旅の世界観は昭和50年だから成立した。

昭和50年から昭和51年にかけて日本テレビで放送されたテレビ映画である「俺たちの旅」を全て鑑賞した。端的に言って素晴らしかった。そこには令和を生きる日本人が忘れてしまった日本の心の故郷とも言えるものが描かれていた。恋情、友情、思いやり、無意識によるすれ違い、摩擦と言った青春の普遍的なテーマが主題となっている作品だけに平成4年生まれの僕の心にも響く内容の作品となっていた。まず何と言ってもこの作品はドラマ中に流れるBGMが観ている者の道徳心をくすぐる。いわばそれは生きる事の喜び、反対に苦悩や悲しみを視聴者に考えさせる誘導曲とも言えると思うのだ。ドラマの最後に「ただお前がいい」と共に現れる散文詩も僕には魅力的だった。はっきり言ってこんな素敵なドラマをリアルタイムで視聴出来た60代以上の人間が心底羨ましいし、1970年代のテレビ文化の質は現在のくだらないお笑い芸人が多数出演するバラエティ偏重思考と異なり、非常に上質だったのだと思う。

思えばこの1970年代、いや昭和50年代(1975年〜1984年)の日本社会と言うのは、明治維新以来で一番日本人にとって心地が良くて幸せが感じられた時代だったのではないか、とさえこのドラマを観て思ってしまった。勿論石油ショック等の負の側面もあったとは思うが、この昭和50年代は高度経済成長もひと段落し、安定成長時代へと突入した事で公害問題等も落ち着きを見せて日本人は物心共に豊かになったのではないだろうか。当時を生きていない僕は心の底からそうだ、とは断言出来ないものの、現在の日本社会の経済停滞や円安による生活苦を思うにつれそう思ってしまうのだ。今俺たちの旅を観ていてそう思う人間はきっと僕だけではないはずだとも思う。

ところでこの俺たちの旅の話の中で特に僕が好きな回はグズ六の兄としてこの間亡くなられた中尾彬さんが出演する回だった。エリート商社サラリーマンである昌也(中尾彬さん演じるグズ六の兄)にはグズ六達の生き方(なんとかする会社で生きるという事)が全く理解出来ない。そんなものは根無し草だと昌也は喝破し、特にこの回の最後で日本経済をここまで引っ張ってきたという自負のある昌也が中東へ行く直前の空港からグズ六に電話をかけて「お前達なんかに日本の将来を任せられるか」と告げた場面は非常に印象的だった。今昌也のように日本経済の行く末を憂いて働いているサラリーマンが一体世の中にどれだけいるのだろうか?僕が予想する限りではそう数は多くない気がする。それもまた当然かもしれないが、今は電車の中で哲学者や文学書を読むサラリーマンは皆無で、スマホでゲームをしたり、漫画を読んでいるサラリーマンで溢れ返っているのだから、昭和50年、51年当時のエリートサラリーマンがこの状況を見たらどう思うか。

そう思うとつくづく「俺たちの旅」のドラマの世界観は昭和50年だから成立したという気がする。ファミコンの登場が昭和58年で、インベーダーゲームでさえ昭和53年の登場である。勿論携帯電話等は昭和50年にはない。所謂デジタル端末の悪影響に侵される前の日本社会を「俺たちの旅」は描いていて、そういう意味で今とは隔世の感があったが、僕は「俺たちの旅」の世界の方が人間らしい、もっと言えば日本人らしい風景だと思った。ある意味で映画「男はつらいよ」を観ている時と同じ気持ちにさせてくれる作品でもある。昭和50年という個人的に思う、日本の黄金時代の幕開けと共に生まれた「俺たちの旅」だが、僕はこの作品に出会えて本当に良かった。心から感謝である。

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