日本漢詩の将来
漢詩に強い興味がある。僕は本来の漢詩が持つ男性的な、雄々しい味わいが好きなのである。だが未だにまともな漢詩を僕は作れた試しがない。漢詩は平仄を合わせなければならないし、詩語と呼ばれる漢詩特有の漢語表現を組み合わせて作らなければならないので、短歌等とは異なり、一首作るのにかなりの時間を要するものなのである。
そもそも漢詩とは全て漢字で出来ている詩であるので、日本語の詩ではなく、古代中国語で書かれた詩の事である。故に漢詩を作れるという事は古代中国語をある程度理解出来る事になるのだが、これが日本人には外国語であるので、なかなか難しいのである。しかし明治時代までの日本の知識人の多くは漢詩が書けたというし、主に普段読む書物も小説ではなく、四書五経等の漢籍であったはずである。もっと言えば、全ての新聞から投稿の漢詩欄が消えたのが大正6年の事だというのが象徴するように、大正時代から日本人の漢学力や漢詩力の衰えが始まり、今に至らという訳なのだろう。日本人と漢詩の関係性が縁遠くなったのはたかだかこの百年の事なのだ。
つまりは明治時代までの日本では漢詩は短歌と同様に国民にとって切っても切り離せない大切な詩であったのである。しかしながら漢字を軽視する昨今の風潮が続いていけば、将来日本では漢詩が造られなくなるに違いない。そう思うとなんとも悲しくなる今日この頃であるが、そもそも高校教育から古文・漢文を除外しろ、等と主張するインフルエンサーが幅を利かせる世の中であるからそれも宜なるかな、といったところだろうか。
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